見ると、それは石炭紀の貴重な「プレウロトマリア」でした。
生きている長者貝! これに博士は夢中になりました。狂ったように西側の断崖へと駆けて行きましたが、それっきり戻ってくることはありませんでした。
海鳥の卵と古鱈ばかりの食生活が、私たちの壊血病に拍車をかけます。
今朝、突然亀井が言葉を失ってしまいました。要するに、時間の問題なのです。早晩、同じ運命が他の三人にも襲いかかることでしょう。
希望のない日々が続きます。死が少しずつ、着実に近づいてきています。
ああ、太陽よ! まもなく私たちは、あの懐かしい光を見ることもなく、深海の目の見えない魚のように死んでいくのです。
(九月十日記)
手紙(モスクワ大学地質学部 ニコライ・ラザレフ教授宛)
これは、全同盟科学研究計画会に提出した「ψ62°30′N. λ140°17′0″E における学術調査報告」とは何の関係もありません。純粋にあなた個人へあてた私信であることを、あらかじめご承知おきください。
別れにあたり、報告書には記載しなかったちょっとした隠れた事実をお伝えして、変わらぬあなたの友情への感謝のしるしとしたいと思います。
この島に釘づけになってからちょうど二十三日目、つまり九月十三日の朝九時二十分ごろ、突然、島の南側からかすかに汽笛の音が聞こえ、海霧の中から一艘の汽船がぼんやりと姿を現しました。
幻影ではありません。本物の汽船です! 「OTARU MARU」という船名さえ、舷側にくっきりと読み取ることができました。
この時の私の混乱と動揺がどのようなものであったか、あらためてここに書き記す必要はないでしょう。
ヤロスラフスキー博士は成功していました。地底の道は、たしかにロバトカ山から日本領土の一部へとつながっていたのです。
しかし、それは南樺太の恵須取山(えすとるさん)の旧火口ではなく、カムチャッカ半島に接した千島列島の北端の島へと抜けていたのでした。
この事実は、今回の学術探検の真の目的であったあらゆる軍事的な意味を、無効にしてしまいました。その島は、カムチャッカの作戦基地であるペトロパウロスク港から、わずか八十海里ほどしか離れていない、周囲十露里(約四十キロ)ほどの小さな岩島にすぎないからです。
私たちが「地底の海」だと思っていたものは、じつはオホーツク海だったのでした。
「アイ」と名づけた島は、すでに「阿頼度島(あらいどとう)」という名前で、日本の地図に明瞭に記されていました。
博士がジュラ紀の古鱈だと信じていたのは、じつはこの辺りの海でいくらでも獲れる「介党鱈(スケトウダラ)」であり、石炭紀の長者貝だと思い込んでいたのは、千島に生息する「琥珀貝(ハワイアの一種)」だったのでした。
こうしたちょっとした悲喜劇と、博士の墜死の本当の原因を報告書に記載しなかったのは、博士に対する友情というよりは、むしろ学究としての連帯心によるものです。
報告書とあなた宛の手紙は、三人の漁夫が小樽のソヴィエト領事館へ届けてくれることになっています。
私は……? 私は、「地底獣国」の調査の正確を期するために、もう一度地底の道を通ってスタノヴォイへ帰るつもりです。
食糧も十分ではなく、壊血病も患っているので、たぶん私は途中で倒れるでしょう。
しかし、やれるだけやってみるより他にありません。
……では、ごきげんよう。
奥様と二人の愛娘によろしく。とりわけ、アンナさんによろしくお伝えください!
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