初級翻訳・地底獣国 第14話

久生 十蘭

揉み合いが落ち着くと、教授は片手で舟の縁を掴みながら、素早く後退りして船尾の方へ登り、隙なく拳銃を膝の上に構えました。
ナターシャは安全灯の光を五人に向け、こちらも油断なく監視を続けています。

三十分。
永遠とも思えるほど長い三十分が過ぎましたが、舟は依然として落下をやめません。
恐ろしい、終わりのない落下です。
真っ暗な洞窟の中で、耳を聾(ろう)するばかりのすさまじい水音が轟きわたり、一同の聴覚を麻痺させます。
さらに、異様な現象が始まりました。
舟が落ちるにつれて、洞窟内の温度が急激に上がっていくのです。
一時間が経つ頃には、誰も彼も汗だくになり、犬のように舌を出してハアハアと喘ぎ始めました。
少なくとも四十二、三度はある暑さです。
モローゾフ教授は、顎からポタポタと汗を垂らしながら、皮肉たっぷりに言いました。
「ねえ、博士。われわれは今、どろどろに溶けた岩漿(マグマ)帯の中へ落ち込もうとしているのですよ。私が地獄への道連れなら、あなたもさぞかしご満足でしょう?」
博士は生真面目に言い返しました。
「岩漿帯の中へ流れ込む水流などあるはずがありません。そのうちに落下は終わるはずです」
教授は肩をピクリとさせると、やりきれないといった顔で黙り込んでしまいました。

博士の予想通りでした。
それから十分ほどすると、だんだん落下の速度が緩やかになり、大きな水のうねりに二、三度急激に押し上げられたかと思うと、舟は洞窟を突き抜け、突然、羊歯(シダ)や木賊(トクサ)が鬱蒼と茂った薄暗い沼地へと飛び出しました。

そこは、鬱蒼とした亜熱帯の沼沢地でした。
一同の目の前には、ボルネオの湿地帯のような景色が広がっています。
水は澱(よど)んでとろりと重く、動いているのかどうかも分からないような緩やかな流れに引かれて、舟は静かに進んでいきました。
岸辺には、奇妙な姿をした古生代の銀杏の細い枝や、白柏木の根茎が蛇のように絡み合い、不気味に水面へ垂れ下がっています。白亜紀のトクサや網羊歯、棕櫚(シュロ)羊歯が足の踏み場もないほどに繁茂し、剣のような葉を持った胡留陀木(こるだもく)の群れが、まるで踊りでも踊っているような独特の姿で遠くに立っていました。

ここもひどい暑さです。
空気はそよとも動かず、その中には、嗅いだこともないような、恍惚とするほど不思議な香りがムッと重苦しく立ち込めていました。
羊歯の間には、直径七尺(約二メートル強)ほどもある、ヒマワリの化物のような真っ赤な蘇鉄(ソテツ)の花が至る所で咲き誇り、悪夢のように毒々しい香りを放っています。そこには、二尺(約六十センチ)もある大きなトンボや、七宝細工のようにキラキラと輝く美しい蝶が、まるで夢遊病にでもかかったかのようにフワフワと飛び回っていました。
酔いそうなほど不思議な香りは、その花から漂ってくるのでした。
この沼地全体が、蘇鉄花の媚薬の瘴気に包まれて、まるで愛の夢の中でうっとりと昏睡しているかのようでした。一度その中に入り込んでしまえば、不思議な花の香りにうっとりとして、そのまま眠るように死んでしまうという、インドのジャクダブール河の上流にある「迦摩の閨房(かまのけいぼう)」と呼ばれる陶酔の地。まさに、今の状況はそんな場所のように思われました。

誰も彼もが、あまりの暑さに汗で溶けてしまいそうでした。熱気は恐ろしいほど高く、どんなに勇気を振り絞っても、五分と続けて舟を漕ぐことはできませんでした。そのうえ、同じような羊歯(シダ)の茂る岸辺を持つ水路が迷路のように右にも左にも分かれていて、コンパスを見ては何度も何度も、最初からやり直さなければなりませんでした。

モローゾフ教授は、ここでも自分の好きなように舟を停めさせては、花や羊歯に顔を近づけて熱心に観察したり、スケッチをしたりしていました。鉛筆も手帳も取り上げられてしまった博士の方は、まるで目に焼き付けておこうとでもするように、焼けつくような眼差しでそれらを眺めていました。

そうするうちに、水路はだんだんと狭くなってきて、はるか向こうに緑色の木賊(トクサ)で覆われた広い湿原が開けました。その上では、四、五匹の大きな爬虫類たちの群れがうろついていました。博士は急に手を挙げると、舟を停めさせました。教授が尋ねます。
「どうしたのです?」
博士は指で爬虫類たちのほうを指さしました。
「危険ですから……」
「あれは剣竜(けんりゅう)でしょう。別に危険なことはありますまい」
博士は首を振りました。
「信じがたいことですが、私たちはもう、ジュラ紀にはいないのです。白亜紀にいるのです。私たちを取り囲んでいる網羊歯(あみしだ)の植物界が、はっきりとそれを証明しています。したがって、この沼沢地にはジュラ紀の剣竜などはいないはずです。白亜紀の肉食性の獰猛な種類……禽竜(いんりゅう)や恐竜がいるはずなのです。向こうの湿原でうろついているのは、確かにそいつらだと思います」
「ここに網羊歯があるというだけでですか? 地質時代の水陸の移り変わりや、植物の移動などを考えに入れれば、こうした食い違いはむしろ自然なことでしょう。……六日前までジュラ紀にいて、今日は白亜紀にいるというのは、一体どういう科学的な根拠によるのですか?」
「つまり、私たちはこの一時間ほどの間に、突然ジュラ紀から白亜紀へ落下してきたという事実。……それ以上の説明はつきません」
「一時間で一千万年の落下! なんという幻想!」
教授は口をすぼめて「ほう」と冷笑しました。しかし、無理に舟を進めようとはしませんでした。コンパスの針が指す方向へ行くには、どうしても湿原を横切って進むほかはなかったからです。一同は流れの中に舟を停めて、獣の群れが立ち去るのを辛抱強く待っていました。

夕方近くになって、ようやく群れが動き出し、はるか向こうの黒い蘇鉄(ソテツ)の森の中へとノソノソと入っていきました。一行は櫂(かい)の音を忍ばせながら、そろそろと舟を進めました。根茎がツタのように絡み合っている薄暗い岸に上陸すると、篁(たかむら)を先頭にして縦隊を作り、用心深く網羊歯の中を進んでいきました。モローゾフ教授とナターシャは、いつもの通り五人から三十間(約五十四メートル)ほど離れて、列の後尾についていました。

およそ半里(約二キロ)ほど歩いたころ、五人の後ろで突然、つんざくような恐怖の叫び声が上がりました。戦慄すべき出来事が起こっていたのです!
一匹の巨大な恐竜が前肢を胸のところへ引き上げ、象牙のように反り返った太い尾をピンと後ろへ跳ね上げ、カンガルーのような格好で跳ねながら、教授とナターシャを追いかけていたのです!

恐竜! 爬虫類の中の暴君。残忍な殺戮者。地球が生んだもっとも凶暴な動物とされている恐竜です!
体長はゆうに五十フィート(約十五メートル)以上あり、立ち上がったその頭は、三十フィート(約九メートル)もある胡留陀木(こるだもく)の頂よりもさらに上に出ていました。前肢にはコウモリのような水かきがあり、後肢には偃月刀(えんげつとう)のような鋭い爪がありました。

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