初級翻訳・塩原多助一代記 第28話

塩原多助一代記

五八は「旦那様は、己の家から見てどういう関係にあたりますか」と尋ねました。
太左衛門は「馬鹿野郎! 何年奉公しているんだ。そんなことも知らねえのか。亡くなった角右衛門殿の甥といえば、俺一人しかいねえだろう」と返しました。
五八は「それじゃあ、己の家の分家ですね」と言いました。
太左衛門は「そうだ」と答えました。
五八は「それなのに、分家である旦那様が、己の家へ婿が来るのを知らずにいるのですか!」と問い詰めました。
太左衛門は「フーン、誰に婿が来るっていうんだ?」と不思議がりました。
五八は息巻いて言いました。「だからダメなんです。多助さんが出て行ったからいい気になって、おえいさんに婿を取るなんて。呆れ果てて言葉も出ません。あの仏様のような多助さんを追い出しておいて、悪い噂のあった丹三郎を婿に取るなんて。お内儀さんに膳を拭けと言われて、誰が来るのか聞いたら婿が来るなんて言うから、相手は城内の原丹治の息子だというから魂消ましたよ。あんた、いつまで布団の上に座っているんですか。行って掛け合ってきてください!」
太左衛門は「何て図太い女だ。いつ婿が来るんだ?」と怒りました。
五八は「今夜ですよ」と答えました。
太左衛門は「掛け合ってやるからな!」と立ち上がりました。
五八は「行ってください。名主まで仲人になってグルになっているんですから」と訴えました。
太左衛門は「おい婆さん、脇差を出せ」と命じました。
婆さんは「やめておきなよ。五八だってそんなこと言わなきゃいいのに。相手は侍で名主が仲人だっていうんだから、揉め事になるといけないよ。行かないほうがいいわ」と止めましたが、太左衛門は「黙っていろ。羽織を出せ」と聞き入れません。
太左衛門は、襟幅が三寸五分もあるような、色あせた小紋の羽織を着込みました。前から見ると帯も締めずに裸同然のような格好でしたが、五八と一緒に怒り心頭で出かけていきました。
一方、家ではちょうど祝言の盃を交わそうとしているところへ、太左衛門が何も言わずに上がり込み、祝言の座敷にドサリと座って、これから談判を始めようというところでございます。

さて、ここで少し一息つきましょう。
塩原多助は実に孝行者ですが、人生には幸と不幸というものがあります。初めはとても恵まれた身の上でも晩年に苦労する人もいれば、若い頃に苦労を重ねて後に安楽な暮らしを送る人もいます。これは仏説で言うところの因縁で、どうしてそうなるのかは誰にもわかりません。運が良いと良いことばかり続き、運が悪いと悪いことばかり続くものです。運の良い人は転んだ拍子に宝くじを拾ったり、川に落ちてバシャバシャしていると金時計を拾ったりするようなことがあります。
逆に運が悪いと、途中で急にトイレに行きたくなって「どこかにトイレがないかな」と思うと、幸い三つ並んだトイレがあるのに、全部咳払いが聞こえて塞がっていたりします。横浜へ行こうと急いで人力車で駅へ駆けつけると、汽車がプイと出て行ってしまったり、晴れていると思って合羽を脱いで出かけると雨が降ってきたり、芸者を呼んでもブツブツと不機嫌な顔ばかりされていたり……世の中、すべてが十分にはいかないものでございます。
多助のような良い人には神様や仏様がついているかと思いきや、前回お話ししたような難儀な目に遭いました。自分が慣れ親しんだ馬に別れを告げて、ようやく岩上村へ差し掛かると、胡麻の灰(強盗)の道連れである小平と仁助に会い、いきなり足で蹴り倒され、抜刀を突きつけられて「さあ金を出せ、出さねば殺すぞ」と脅されました。多助は青ざめて手を合わせ、「何卒お許しを。裸になっても何でもしますから」と頼みましたが、二人は聞く耳を持ちません。
小平が「仁助、剥いでしまえ」と言うので多助の着物を剥ぐと、着ているのはぼろ布の綿入れだけで、中から六百文がバタリと落ちました。
仁助が「兄貴、本当に六百文しかねえぜ」と言うと、小平は「手前、本当にそれだけか? 縁起が悪りいや。夜が明けてしまう、起きろ!」と言い放ちました。
多助が裸のまま小平を拝みますと、小平は「縁起の悪い奴だ」と言いながら、今まさに起き上がろうとする多助の胸を土足で蹴り飛ばしました。多助は逆さまに利根川の枝川へドブーンと落ちました。川は浅かったので、多助は何とか這い上がってきましたが、強盗の二人の姿はもうありません。
着物はなく、六百文の銭もあちこちに散らばって、拾い集めても四百何十文。五百文にも満たない銭を「これでも命の綱だ」と思い、ずぶ濡れになって前橋の手前まで来ると、ようやく少し日が当たってまいりました。朝日が差してくるとはいえ、裸のままでは歩けません。宿の近くに古着屋があったので、百五十文を払って襦袢を一枚買い、帯の代わりに縄を締めました。残ったわずかなお金で木賃宿(宿代の安い宿)に泊まり、四日かけてようやく江戸の街へたどり着きました。

しかし、その頃の江戸は今とは違って道も複雑で、特に多助は江戸の勝手を知りません。頼れる当てもないのですが、江戸には「桂庵」といって奉公人の世話をしてくれる場所があることを聞きました。ただ、そこを利用するには身元を保証してくれる「受人」が必要です。そこで多助はふと考えました。

「そうだ、十四年前に別れた実の父、塩原角右衛門様は阿部伊予守様の家来だったが、浪人した後に戸田様の家来になったはずだ。訪ねて行って頼めば、受人くらいにはなってくれるだろう。実のお母様やお父様はお元気だろうか。下新田へ養子に行ってからは便りもしていないけれど、どうなったか……会いたいものだ」

そう思って、筋違橋(すじかいばし)にある戸田様のお屋敷へと向かいました。本来なら通用門へ行くべきところを、江戸の作法を知らない多助は表門へ行ってしまい、お役人が詰めている場所へ、ボロボロの姿で現れたのです。

多助「はい、ご免なさい」
役人「どこへ行くのだ。物貰いならあっちへ行け、あっちへ!」
多助「はい、少々お聞きしたいことがございまして」
役人「聞きたいことがあるならお辻(辻説法や説教所)へ行け。なんだ、乞食みたいな格好をして」
多助「これから乞食になるならそうしますが、まだ乞食にはなっておりません。あの、戸田様のお屋敷はここでございますか?」
役人「戸田様の屋敷はここだ」
多助「それでは、十四年前にこちらへ召し抱えられた、塩原角右衛門という方はおいでになりますか?」
役人「なに、塩原だと? ああ、彼は十三年前に国詰(地方勤務)になって、このお屋敷にはいないぞ」
多助「国というのは、野州(栃木県)の宇都宮でございますか?」
役人「前は宇都宮だったが、松平主殿頭殿とお国替えになって、今では肥前の島原だ」
多助「へえ、肥前の島原という所は遠うございますか?」
役人「そうさ、島原までは三百一里半あるな」

そう言われて多助はガックリとうなだれ、「ああ……」と声を漏らしながら、思わずその場に泣き崩れてしまいました。

役人「これ、こら! あっちへ行け、あっちへ!」
多助「はい、はい……。腹を空かせて、手元に残った金は二十八文。

コメント

タイトルとURLをコピーしました