今日が預かり始めだ」
すると多助は言いました。「お金はいりません。これは余所の物を拾ったのではなく、家の物を拾ったのですから、旦那様へ差し上げます。私がこうして皆に見せれば、少しは皆も草履を大事にするだろうと思って手本に貯めただけで、お金を貰おうと思って貯めたのではありません。まだそれだけではありません。他にも大きく御奉公していることがあるのですが、それはもう十年も経ってからお見せすることにします」
「不思議な男だのう。なあ番頭、感心なものじゃないか」
「驚きましたなあ」
多助は言いました。「番頭さんも、目先の計算ばかりで心の計算ができていないから、何がいくら入るか分かっていないのです。店を預かる番頭さんなのですから、しっかりしてくださいよ」
「はい、畏まりました」
こうして番頭も大いに気を引き締め、主人も深く感服いたしました。これから多助が他の人には真似のできない仕事をしていくお話は、一息ついてから申し上げます。
塩原多助は思いがけず山口屋善右衛門に助けられ、この家に奉公しておりましたが、その行いが誠実であることは、主人はもちろん奉公人一同が感心するところでした。
多助の気の利くところは、主人の用事ばかりでなく、番頭から小僧、出入りする者一同、さらには台所仕事にまで及びました。しかし、決してご機嫌取りでするのではなく、心から誠実に行うのです。番頭が肩が凝ったと言えばすぐに後ろへ回って揉み、エヘンと咳払いをすればすぐに灰吹きを持っていく。風邪を引いたと言えばすぐにお医者さんを呼び、少し病気が重いと思えばすぐに早桶(棺桶)を買ってくるほどでした。まさかそんな事があるはずもないでしょうが、多助は少しも隙を見せず懸命に働きます。これも追々お金を貯めて国へ帰り、自分を育ててくれた家へ恩返しをしようという思いからでした。後年には土地を二十四ヶ所も持つまでになりますが、そうなるには「後楯(うしろだて)」となる存在が不可欠です。商人が大きく飛躍するには、資本を貸してくれる金主という存在がいなければ大商人にはなれないものなのです。
さて、下野国(しもつけのくに)安蘇郡(あそぐん)飛駒村(ひこまむら)に、吉田八右衛門という人がおりました。後に多助の荷主となる人物です。この人は三十五歳になるまで江戸へ出たことがありませんでした。というのも、父親の八左衛門が六十歳を過ぎた今もなお、江戸との取引をすべて自分で取り仕切っていたからです。しかし、その親父の八左衛門がふと病に倒れたため、八右衛門は初めて江戸へ出てくることになりました。
時は宝暦十二年十二月十五日。深川八幡の「年の市」が開かれており、当時は大変な賑わいでした。あまりの混雑に、田舎者である八右衛門は恐縮しながら高橋を渡り、深川元町へと出ました。猿子橋(さるこばし)のそばに「濱田」という料理屋があります。その夜は雪がちらつき始め、外は真っ暗で、ほかにお客の姿もあまり見当たらない様子でした。濱田へ上がってみると、衝立(ついたて)が立てられ、あちらこちらにお客さんが座っています。
八右衛門が食事をしていると、足利に猿田という場所があり、そこで「早川藤助」という出船宿を営んでいる主人が偶然居合わせました。思いがけない再会に、藤助は八右衛門のそばへやってきて言いました。
「これは誠に久方ぶりでございます。八右衛門様ではありませんか」
「いやあ、これは本当に久しぶりだ。藤助殿ではないか。訪ねてみようとは思っていたのだが、つい無沙汰をしてしまったよ」
「よくお出でになりました。今日はどのような御用で?」
「ああ。私も一度は江戸という所へ来てみたいと思っていたのだが、親父が『自分はまだ達者だから江戸との取引は自分がやる。お前は家にいろ』と言うので、ずっと家にいたのさ。大したことではないのだが、親父の具合が悪くなってしまったので、代わりに私が行って仕切りを取ってこいということでね。取引先の中でも、神田佐久間町の善右衛門のところが一番の大店だから、あそこへ行って一晩二晩泊まってこいとは言われたが、親父の体調が心配で、早く帰ろうと思っているんだ」
「なるほど。山口屋善右衛門といえば大変な大店で、荷主を大事にすることにかけては右に出る家はありませんよ。あの親父さんも荷主を大切にしますが、息子の善太郎もまだ若いが非常にお客を大事にする。それに番頭の和平も、実に行き届いた対応をしてくれる。何よりあの家はもてなしが違いますからね」
「そうだと親父からも聞いていたが、あちらは私の顔を知らないからな。金を渡してくれないのではないかと心配なんだが、そんなことはあるまいか」
「なに、そんなことはありませんよ。貴方は初めてのことですから、親父さんが行くよりもかえって丁重に扱ってくれるはずです」
「親父も『お前は初めて行くのだから、これを持っていけ』と言って、寝床で受取証文を書いてくれたんだ。手紙とこの八十両の受取証文を持ってきているから、たぶん渡してくれるだろうと思っているんだが」
「それなら大丈夫、間違いなく受け取れますよ。ここから佐久間町へ行くには、大橋を渡って浜町へ出るのがいいでしょう。私は花川戸の炭問屋へ少し預けているものがあって寄らねばならないので、大橋のたもとまで一緒に参りましょう」
昔の田舎の衆は、このように大声で会話をしたものでした。
二人は勘定を済ませて店を出ると、連れ立って歩き出し、大橋のたもとで別れました。早川藤助はお船倉の方へ向かい、八右衛門は大橋を渡って二十間(約36メートル)ほど進みました。すると、バラバラバラと何者かが駆け寄ってきました。当時は商人も皆、雪駄を履いておりました。その男は、鼻緒が切れた雪駄のまま猛スピードで走ってきた拍子に前へつんのめり、八右衛門の肋骨に頭を激しくぶつけてしまったのです。八右衛門は驚いて声を上げ、ぶつかった男も肝を冷やしました。
男「申し訳ありません! 少し怪しい奴に後をつけられていまして。少々蓄えもあるものですから、大橋の真ん中まで逃げてきたところで貴方のお姿が見えたので、追いつこうと急いでいたら突っ込んでしまいました。本当に申し訳ありません、お許しください。どこか当たりましたか? 大丈夫ですか」
八「あぁっ、痛い! あんた、怪我をしたなら仕方がないが、人の横っ腹に石でも打ち付けたのかと思ったぞ」
男「石ではありません、転んだ拍子に頭が当たってしまったのです」
八「ひどい石頭だなあ……あぁ痛い。それならいいが、体がしびれて立てないよ」
男「本当に申し訳ありません。ここは往来ですのでお話もできません。どこか茶屋へでも参りましょう。持参の薬もありますから」
八「あぁ、痛い……立てないよ」
男「それでは、私が背負って差し上げましょう」
その男も、怪我をさせたことを気の毒に思い、八右衛門を背負うような格好で橋のたもとの茶屋へと連れて行ったのでした。
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