これもきっと熱病のせいだ」
バカ猫はそう捨て台詞を吐くと、立ち上がって背伸びをし、茂みの中へと跳ねていった。
「そうかもしれないな」とグラントも納得して向き直り、言った。
「さようなら、ミス……。そうだ、リーと呼んでも差し支えないだろう。本物じゃないんだから。それじゃあ、リー」
「さようなら、グラントさん。でも、そっちへ行っちゃだめよ。草原の向こうにはスリネズミの村があるから」
「違う、あっちだ」
「そっちよ。建設現場を見たんだもの。でも攻撃はされないわ。いくらスリネズミだって、幽霊をやっつけることはできないから。では、ごきげんよう、グラントさん」
女は疲れたように目を閉じた。
雨が激しくなってきた。グラントが流血草を押し分けて進むと、赤い樹液が血の滴りのように長靴にまとわりついた。もはや一刻の猶予もなく小屋へ帰らなければならない。さもなければ白熱病がぶり返し、意識が混濁して、完全に道に迷ってしまうだろう。気付け薬が必要だ。
突然、グラントは足を一瞬止めた。
真正面の草木が開け、狭い平野に、肩ほどの高さの尖塔や胸壁が現れた。スリネズミの新しい村だ。できかけの家々が散在し、頭巾をかぶった体長15センチほどのスリネズミたちが、石をせっせと積み上げていた。
チューチュー、ギャーギャーと大騒ぎが起こった。
グラントが後ずさりすると、ちっぽけな矢がビュンと十数本飛んできた。幸い、長靴に一本の矢が爪楊枝のように刺さっただけで、皮膚までは届かなかった。あれには間違いなく毒が塗ってあるはずだ。
さらに急いで歩を進めたが、辺り一帯は多肉質の草木に覆われ、ガサガサ、チューチューと、得も言われぬ呪いのような音で満ちている。
グラントは迂回した。風船のような顔をした「べらぼう」たちが草の上でひょこひょこと首を動かしていたが、時折スリネズミに噛まれたり刺されたりするたびに、ヒィヒィと言って苦しんでいる。
グラントがスリネズミの群れを突っ切って、草の中にいる小悪魔たちを追い払おうとすると、紫色の顔をした長身の「べらぼう」が1匹、長い首をまげてニタニタと笑い、腕先の指の骨をカチカチと鳴らした。グラントは無視して、掘立小屋へ向かった。
スリネズミから逃れたと思い、必死に歩いた。
のどから手が出るほど気付け薬が欲しいからだ。
だが、突然、顔をしかめて立ち止まり、向きを変え、引き返し始め、つぶやいた。
「うそだろ。
でも女が言ったスリネズミ村は本当だった。
ここにあるとは知らなかった。
しかし俺の知らないものを幻覚が教えられようか」
リー・ニーランは、まだ石木の丸太に座っていた。
まさに別れた時と同じ、オリバーも脇に座っている。
女は目を閉じていた。
2匹のスリネズミが、すその長い女のスカートをギラギラ光る小刀で切っている。
グラントの知るところでは、スリネズミ達はいつも地球の織物を狙っており、どうやらサテンの魅惑的な光沢を複製することができないようだ。
でも小悪魔たちは、ちっぽけな手にしてはすごく器用。
グラントが近づいてみると、足首から大腿部までスカートが切り裂かれていたが、女はびくとも動かなかった。
グラントが大声で叫ぶと、邪悪な小悪魔たちは何とも知れない呪い声を浴びせて、絹の略奪品を持ち、飛び跳ねて逃げた。
リー・ニーランが目を開けて、かすかにつぶやいた。
「また、あなたなの。
ちょっと前は父がいた。
今度はあなたが……」
顔面がますます蒼白になり、白熱病が体中に広がっている。
「父上だと。
そうかここでオリバーは聞いたんだ。
いいか、リー、スリネズミの村を見つけた。
俺はそこにあることを知らなかったが、まさにきみが言った通りだった。
これがどういうことかわかるか。
我々は2人とも本物だ」
リーがけだるく言った。
「本物ですって。
あなたの後ろに紫のべらぼうが1匹ニタニタ笑っている。
あっちへ追いやって。
吐き気がする」
グラントがあたりをちらと見ると、紫顔のべらぼうがほんとに背後にいた。
しっかりしろ、と言いながら、女の腕をつかんだ。
女のしっとりした肌の感触で証拠は充分だ。
「小屋に行って気付け薬を飲むんだ。
わからないのか。
俺は本物だ」
と女を引っ張った。
「いいえ、違う」
と女はぼうっとして言った。
「いいか、リー、一体きみがどうやって、なぜここへ来たのか知らないが、俺はまだイオで狂ってないぞ。
きみも俺も本物だ」
グラントは女を強く揺さぶって、また叫んだ。
「俺は本物だ」
女のうつろな目にかすかに意識が戻った。
本物なの、とつぶやいて、
「ほんとうだ、ああ、神様、この変なところから連れ出して」
女はふらつき、懸命に我を取り戻そうとして、前のめりにグラントへ倒れこんだ。
もちろんイオでは女の重さは地球の3分の1で、大したことない。
グラントは女をさっと抱きかかえ、小屋へ向かい、スリネズミの村々から距離をとった。
辺りは興奮したべらぼう達がひょこひょこ出没し、時折紫顔のべらぼうが1、2匹、まさにグラントのようにニタニタ笑ったり、指さしたり、手を振っている。
雨が強くなってきて、首元に生温かいしずくが流れ、さらに妙なことに、棘ヤシの林に迷い込んでしまい、棘がシャツを貫いて痛く刺さった。
この棘の毒抜きに失敗しようものなら、命取りだ。
実際この棘ヤシの為に、貿易商人が強心草を集めず、代わりにべらぼうたちに任せている。
低い雨雲の向こうに太陽が沈み、木星の赤い日が偽りの光線を差すと、意識を失ったリー・ニーランのほほが、いっそう愛らしく見えた。
おそらく女の顔に見とれていたせいだろうが、またしてもグラントはスリネズミ達に囲まれてしまった。
チューチュー、もぞもぞ。
紫顔のべらぼうは足をかまれたり、矢で刺されたりして、痛みにのたうちまわっている。
しかし、もちろん、べらぼう達は毒に免疫を持っている。
小悪魔たちがグラントの足元にまとわりついた。
低い声でののしって、激しく1匹けり上げると、鼠のような体が15メートルほど空中をくるくる舞った。
グラントは自動拳銃と火炎放射機を腰にぶら下げていたが、ある理由で使わなかった。
第1に、自動拳銃を小獣の群れに使うのは蚊の群れにぶっ放すようなものだ。
弾で1匹、2匹、あるいは10匹殺そうが、残り何千という蚊には何ら影響ない。
火炎放射機についてはビッグ・バーサ大砲で1匹のハエを撃つようなものだ。
巨大な炎を放射すると、直下の炎道はたちまちすべてのスリネズミや、草木、べらぼう達も確実に灰にできようが、外れた群れには少しも影響せず、それに黒ダイヤモンドと銃身の再装填に手間がかかる。
掘立小屋にはガス球があるが、この瞬間は手に入らないし、そのうえ予備ガスマスクもないし、人間を殺さずスリネズミを殺すガスはまだ発明されてない。
だから結局いまはどんな武器も使えないので、リー・ニーランを下に置かず、あえて両手を自由にしなかった。
前方に広場があり、小屋があった。広場はスリネズミたちで埋め尽くされていましたが、小屋そのものは、少なくともしばらくの間は彼らの侵入を防げるはずでした。
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