初級翻訳・大力物語 第3話

大力物語

これには女性もカチンときて大怒り! 川の中にバシャバシャと入っていくと、船の先端(へさき)をぐっと力任せに水の中へ押し込みました。
すると、船に積んであった荷物が全部ビショビショの水浸しになってしまったのです。
困った船の連中は、人手を雇って荷物を陸にあげ、船の中の水を全部かき出して乾かし、もう一度荷物を積み込みました。そして、いざ出発しようとしたとき、また懲りずに彼女の悪口を言ったのです。
女性は再びカンカンに怒ると、今度はその船にガバッと手をかけると、人も荷物も乗せたままの船を、グングンと陸の上へ引き引っ張りあげ、そのまま一町(約100メートル)もガタガタと引きずっていってしまいました!
これには船の人たちも顔を真っ青にして、「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」と、ひたすら謝り倒しました。
女性はやっとご機嫌を直すと、また船をスイスイと川まで引きずり戻してあげたのでした。

六

 さて、もう一人の怪力を持つ女性は、有名なお相撲さんである大井光遠(おおいのみつとお)の妹さんです。
お兄さんの光遠は、がっしりした体つきで力が強く、足もとても速いお相撲さんでした。
一方、妹のほうは、姿も様子もごくごく普通で、とても美しい女性でした。
彼女は光遠とは少し離れた家で暮らしていました。
ある日のこと、村人が光遠のところへ大慌てで駆け込んできて言いました。「大変です! 妹さんが泥棒に捕まって、人質にされてしまいました!」
光遠はそれを聞いても少しも驚かず、「噂に聞く昔の薩摩の強い武士ならともかく、普通の泥棒ごときが妹を人質にできるわけがないだろう」と、澄まし顔で言っています。
村人はすっかり拍子抜けして、妹の家の方へ戻ってきました。
さっき泥棒は、追いかけてきた村人たちから逃げ遅れて妹の家に飛び込み、「この女を人質にとったぞ! 近づく奴がいたら、この女を刺し殺してしまうぞ!」と村人たちを脅していたのです。
そこで村人の一人が、慌ててお兄さんの家へ知らせに行ったのでした。
兄がまったく相手にしてくれないので、村人は一体どんな様子だろうと、恐る恐る家の中を覗き込んでみました。
すると泥棒は、光遠の妹を後ろから両足でしっかり抱え込み、彼女の胸元に逆手に持った短刀を突きつけています。
光遠の妹は、なんだか恥ずかしそうに袖で顔を隠していましたが、だんだん退屈してきたようです。ふと見ると、板の間に削ったばかりの硬い竹(矢竹)が二、三十本ほど散らばっていました。妹はその竹をいじり始めると、板の間にギューッと押しつけ、まるで柔らかいワラをすりつぶすかのように、一本ずつメリメリと揉み潰していたのです!
覗いていた村人は腰を抜かさんばかりにビックリしましたが、泥棒もその恐ろしい光景に気づいたようです。急に顔色を真っ青にすると、たちまち妹を放り出して逃げ出しました!
すっかり怯えてしまった泥棒は力が出ず、あっという間に村人たちに捕まってしまいました。
村人たちがその泥棒を光遠の家へ連れていき、「この男を殺してしまいましょうか?」と尋ねると、光遠は笑って言いました。「もし妹が、あの男の刀を持っている手を逆にねじ上げたら、男の肩の骨は一瞬でバキバキに砕けていたはずだ。危ない目に遭っていたのは妹じゃなくて、その泥棒の方だったんだよ。殺す必要なんてないじゃないか」と言って、逃がしてあげました。
そして光遠は続けて言いました。「妹は、わしよりも二倍は強いんだ。もし男に生まれていたら、日本中に敵なんていなかっただろうに……」と、ため息をついたのでした。

七

 力持ちの女性のお話のついでに、男の怪力自慢も二人ほど紹介しておきましょう。
比叡山(ひえいざん)の西塔(さいとう)という場所に、実因僧都(じついんそうず)というお坊さんがいました。この人がまた、とんでもない怪力の持ち主だったのです。
ある日のこと、お寺の仕事で皇居へお祈りに行き、夜遅くなってから帰ろうとすると、どうした手違いか、一緒にお供をするお付きの者が誰もいませんでした。
仕方なく門を出ようとすると、身軽な格好をした男が一人近寄ってきて、「お供がいないのですか。それなら、私が背負っていってあげましょう」と言いました。
「それはありがたい」と言って背中に負ぶさると、男は大宮二条の交差点まで行ったところで、「ここで降りてくれ」と言いました。
お坊さんが「いやいや、わしの行く場所はここではないぞ」と言うと、男は急に恐ろしい声を張り上げて、「命が惜しくないのか! その高級な着物を脱いで置いていけ。脱いだらどこへでも勝手に行きやがれ!」と言いました。
するとお坊さんは、背負われたままで、両足を使って男の腰をギュッ!!と締めあげました。
それはまるで、腰がバキバキと折れて切れてしまいそうなほどの強さでした。
男はビックリ仰天して、「ひえっ、大変失礼いたしました! お望みの場所へどこでもお連れします!」と叫びました。
するとお坊さんは、「そうか、では宴の松原(えんのまつばら)へ行って月見でもしようか」と言い、男は青ざめながらそこまで背負っていきました。
「どうぞお降りください」と男が言っても、お坊さんは一向に降りようとしません。
ゆったりとお月様を眺めて歌を口ずさんでから、「うーむ、次は右近の馬場(うこんのばば)に行きたくなったぞ。あそこへ向かえ」と言うと、男は「そんなに遠くまでは行けません! もう勘弁してください!」と泣きつきました。するとお坊さんは、また両足で腰をギュ〜ッと締めつけました!
男が「行きます! 行きますから〜!」と悲鳴をあげたので、お坊さんは足を緩めてあげました。
男は泣く泣く、右近の馬場まで歩いていきました。
お坊さんはそこでまた優雅に歌などを吟じてから、今度は「よし、次は喜辻の馬場(きつのばば)へ歩け」と命じました。
そうやって一晩中連れ回され、お坊さんの泊まり先まで背負ってきた頃には、もう空が白みかける明け方になっていて、男はヘトヘトのフラフラになっていました。
お坊さんはようやく男の背中から降りると、自分の着物を脱いで与えてやりましたが、男は地面に崩れ落ちてうずくまったまま、しばらくの間起き上がることもできないほど疲れ果てていたのでした。

もう一人の男の力持ちも、やっぱりお坊さんで、広沢の寛朝僧正(かんちょうそうじょう)という人です。
のちに一番偉いお坊さん(大僧正)になった方で、仏教の世界でもとても有名でしたし、実は宇多(うだ)天皇のお孫さんにあたる大変身分の高いお方でした。
この人は広沢という場所に住んでいましたが、同時に有名なお寺である仁和寺(にんなじ)の長官(別当)も兼ねていました。
「別当」というのは、警察のトップ(検非違使の長官)のことも指しますが、神社やお寺のすべての事務を取り仕切る一番偉い責任者のことでもあります。
これは、あるとき仁和寺が建物の修理工事を始めていた頃のお話です。ある夕方のこと、寛朝僧正(かんちょうそうじょう)は、工事がどれくらい進んだか気になって見に行きたくなりました。そこで一人で背の高い木履(たかあしだ)をはき、つえをついて、工事の現場へ見回りに出かけたのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました