初級翻訳・楽聖物語 第65話

楽聖物語

 しかし、ここでは音楽の「白亜紀」や「カンブリア紀」のような太古の時代を扱うことは避け、一般の方々が鑑賞して楽しめる少数の作品と、そのレコードを紹介するにとどめたいと思います。
 バッハ以前の音楽を、レコードを通して収集し鑑賞するためには、

「アントロジイ・ソノール協会」レコード
コロムビア「音楽史」第一集および第二集
パルロフォン「音楽二千年史」

 この三種類のレコードセットを用意するのが、最も便利で有効な方法だと思います。
 このうち、
「アントロジイ・ソノール協会」
のレコードは、世界的な音楽史学者であるクルト・ザックス博士の編集によるもので、フランスでは既に五十枚以上が発売されているといいます。日本でもコロムビア社がプレスして日本の市場に送り出したものが十八枚に及んでおり(昭和十六年初頭まで)、これはまさに珠玉のような、美しくも重要な古典のコレクションです。
 このシリーズの素晴らしいところは、曲の選び方が良いだけでなく、演奏がいかにも誠実であるという点です。音楽史を学ぶ学生はもちろんのこと、一般のレコードファンや音楽を愛する方々も十分に楽しむことができます。古代の楽器が奏でる穏やかな美しさや、古代の歌が持つのどかな心地よさは、他に比べるものがないほど素晴らしいものです。
 すべての曲目を挙げるのは大変ですが、まさに今この文章を書きながらも、私はボーリン・オーベルが弾く十七世紀のクラヴサン曲の、邪念のない美しさにうっとりと陶酔しながらペンを走らせているところです。
 芸術の世界において、長い時の厳しいフィルターを通り抜け、後世に残された古典の傑作というものは、いつの時代も美しいものです。
 それは一時の流行や気まぐれ、あるいは見栄やジャーナリズムから生まれたものではなく、常に人間本来の欲求に根ざし、人の心の奥底にある、変わることのない願いを語りかけているからです。
 古典を楽しむことは、いつ、どの国にいたとしても、人間に与えられた極めて健康的で贅沢な特権だと言えるでしょう。
 何はさておき、既発売の「アントロジイ・ソノール」のレコードを手に入れることは、今日ではなかなか難しいことですが、幸運にも手元にお持ちの方は、もう一度箱の底から取り出して、昔の人々の心意気を味わってみてください。
 そこには信仰があり、恋があり、古い時代の人間生活が、音楽を通して鮮やかに蘇ってきます。古人が言った「詩三百一言以って之を蔽えば思い邪ま無し(詩経三百編をひとことで言えば、心に邪念がない)」という境地を、ほほえましく見出すことができるはずです。
 ベートーヴェンの交響曲のレコードについて、オーケストラや指揮者、録音状態の細部に至るまで熱心に研究する人は少なくありませんが、おそらく「アントロジイ・ソノール」の曲目を三分の一でも記憶している人はいないでしょう。
 それは当たり前のことかもしれませんが、どこか少し物足りないことだと私は感じています。
 コロムビアの「音楽史」
も、最近、第五集を世に出しました。
 第三集や第四集は少々振るいませんでしたが、第五集の選曲は目的がはっきりしていました。それでも私は、第一集、第二集の曲の並べ方には多くの興味を持っています。
 それは「耳と目によるコロムビア音楽史」というだけあって、解説書に半分ほどの重要性を持たせた構成になっています。しかし選曲はどれも聴くに堪えるもので、古典を楽しく味わうための、この要領の良さには敬服せざるを得ません。
 この中には宗教的な合唱曲が収録されていますが、イギリスの「バッハ・カンタータ・クラブ」による演奏は非常に質の高いものです。また、ドルメッチ一家が古い楽器を使って演奏する中世の器楽合曲の面白さは、非常に特色ある復古主義的な魅力に溢れています。
 パルロフォンの「音楽二千年史」
は、「アントロジイ・ソノール」と同じくクルト・ザックス博士の編集によるものです。キリスト以前の音楽から十七世紀に至る二千年の音楽のエッセンスを、十インチのレコードわずか十二枚に収めた手際の良さと、その選曲に見られる音楽史家としての聡明さには、ただただ敬服するほかありません。
 聴いて楽しむという点ではコロムビアの「音楽史」には及びませんが、歴史的な取捨選択と配列の巧みさにおいては、はるかに上をいっています。研究者にとっては非常に有益な資料ですが、惜しいことに解説が粗雑で資料としての役割を十分に果たせていません。そのうえ、早くに廃盤になってしまい、今では手に入れるどころか、聴くことさえ難しくなっています。
 このレコードの母型(マスター)は日本に現存しているはずです。パルロフォンの権利を引き継いだコロムビア社によって再プレスされたなら、その喜びは筆者一人にとどまらないことでしょう。
 レコード界の一つの課題として、ここに提案しておく次第です。古典音楽のレコードは他にも少なくありませんが、研究者のためのものではなく、一般の音楽ファンが聴いて面白いと感じるものは、そうたくさんあるわけではありません。
ビクターから出ているベン・スタット指揮の「古代の音楽」は、非常に重要な古典の編集であり、演奏も「アメリカ古代楽器研究会」による優れたものですが、一般の方々にはそれよりも、ランドフスカ夫人の弾くクラヴサン曲の方が、より魅力的に感じられることでしょう。
クープラン(1668―1733)の「クラヴサン曲集」などはその代表的なものです。
この楽器特有の古風で素朴な響きが、ランドフスカ夫人の素晴らしい演奏によって、この上なく面白く聴こえてきます。

古典ヴァイオリン曲にも、重要で面白いものは少なくありません。その中から一、二曲ほど取り上げてみましょう。
コレルリ(1653―1713)の「ラ・フォリア」は、イタリア古典音楽の代表作の一つです。演奏するのは難しい曲ですが、コロムビアのエネスコ盤(J7940)と、ビクターのメニューイン盤(JD208)があり、この師弟によるレコードは、それぞれに深い興味をそそられます。
前者は録音が古いものの温かく優雅な演奏で、後者の若さと勢いに対照的であり、どちらも捨てがたい魅力があります。
しかし、一般的なレコード収集家の方であれば、常識として録音の新しい後者を選ぶのが正解でしょう。

タルティーニ(1692―1770)のヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」は、「作曲者タルティーニが悪魔に魂を売った代償として、この曲の楽想を得た」という伝説と共に有名ですが、レコードとしてはビクターから出ているメニューインの演奏(JD8―9)が、最も条件が揃ったものと言えるでしょう。
実に颯爽とした演奏です。

ヴィヴァルディ(1678―1741)のヴァイオリン協奏曲ト短調は、ナシェッツが編曲したものがビクターにあります(JD1155―6)。
エルマンの演奏はやや豊かで柔らかすぎるかもしれませんが、代表的なイタリア古典を面白く聴かせる腕前は見事なものです。
良い演奏だと言ってよいでしょう。

同じくヴィヴァルディの「コンチェルト・グロッソ」は、後にバッハにも影響を与えた重要な作品で、レコードの数も少なくありません。

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