初級翻訳・水中の宮殿 第6話

水中の宮殿

念のために鶴嘴(つるはし)で二つ三つ叩いてみたら、ポコリと大きな穴が開いてね」
「えっ」
「覗いてみると、立派な隧道(トンネル)だよ。中は石で丁寧に畳み上げてある。宝庫の入り口かもしれないと思ったから、大急ぎで穴を塞いで帰ってきたんだ。何しろ、四方は見通しがいいし、この明るさだからね」
 健一がこれほど驚くのも、全く無理はありません。
「お兄様、一緒に行ってみましょうか」
「待て待て。どうせ人夫は一人もいないんだから、そっとしておけば誰も気がつくはずはない。晩まであのままにしておいて、暗くなったら出かけよう」
 今度ばかりは、健一の方が利口でした。

人の足跡と――銅板の絵図面

 その晩九時ごろ、健一と燿子、そして綾子の三人は、北極探検かと思うほどの用意を整えて、高館下の河床へと降りていきました。
「お兄様、歩きにくい道ね。……それに、月も出ていないし」
 燿子と綾子は、何度も足を取られて転びました。堤防を築いて無理やり水を干した川の中を歩くのですから、大小の岩石が邪魔をして、なかなか思うように進めません。
「懐中電灯を点けようか」
「そんなことをしたら、どこまでも遠くまで見えてしまいますわ」
 燿子にたしなめられながら、それでもどうにかこうにか、昼のうちに見定めておいた穴の入り口までたどり着きました。
「ここだ。少し待っていろ、入れるようにするから」
 健一は石の間に隠しておいた鶴嘴を取り出すと、力任せに叩き込みました。二打、三打と打ち込むと、穴は次第に広がり、少し屈みさえすれば楽に入れるほどの入り口が、闇の中にぽっかりと開きました。
「さあ、入るぞ。有毒ガスが溜まっているかもしれないから、中に入ったら蝋燭(ろうそく)を灯そう」
 健一はこういうことには慣れていました。持ってきた二メートルほどの棒の先に蝋燭を括り付け、火を灯します。それを前方に突き出すようにして進んでいくのです。道は少しずつ下り坂になっていますが、隧道は泥磐岩をくり抜いたもので、思いのほか安全なつくりです。足元には水垢こそ溜まっていますが、八百年前に造られたままの見事な石畳で、なんの不安もありません。石畳は一本道で、それを辿っていくと、やがて少しずつ上り坂になり、十メートル四方ほどの広間に出ました。
「おや?」
 燿子が頓狂な声を上げます。
「どうしたの、燿ちゃん」
「人の足跡よ」
「えっ」
 懐中電灯二つと蝋燭一つという粗末な明かりですが、かなり手際よく敷かれた石畳の上には、場所によっては三センチも四センチも水垢が溜まっているというのに、その上に二つ、三つ、五つ……いや、もっともっとたくさん、紛れもない人間の足跡がはっきりと印されているのです。
「藤原時代の人間の足跡だろうか」
 運動家らしい健一は、すぐに物を楽天的に考えますが、燿子と綾子はそれほど呑気ではありません。
「でも、踵(かかと)の跡に鋲(びょう)を打っていますわよ。八百年も前の人が、こんな靴を履いたかしら」
「フーム」
 健一も唸り出しました。靴を履いた人間がここへ入ってきたのだとすれば、これはただ事ではありません。
「お兄様、昼見たとき、穴の入り口はどんな状態になっていたの?」
「砂利と岩と泥で、しっかりと塞がっていたよ」
「八百年も前から水底で塞がっていたのに、お兄様が鶴嘴でそんなにわけもなく開けられるものかしら」
「そう言われてみれば、確かにそうだな」
「この穴は宝庫とは関係のない、昔の抜け穴じゃないかしら。……綾子さんのお父様が一度発見なすって、何もなかったから入り口を塞いでおいたのじゃないかしら?」
 燿子の推理は、次第に緻密になっていきます。
「おや?」
 今度は綾子が何かを見つけました。
「何?」
「なんでしょう、これ。随分と重いわ」
 半メートル四方ほどの薄い銅板で、綾子の手では持ち上げるのが精一杯の重さです。
「あッ、宝庫の絵図面よ、きっと!」
「どれどれ」
 三人は思わず身を乗り出し、顔を寄せ合いました。

堤防は切れた――水が物凄い勢いで隧道へ

 それは地図を毛彫りにした銅の薄板で、半分ほど緑色に腐食していましたが、決して読めないことはありませんでした。
「わかったわ」
 綾子は急に顔を上げ、周囲を見回しました。
「どうしたの、綾子さん」と燿子が尋ねます。
「この銅板の絵図面は、あの潜水夫が殺された頃から行方不明になっていたんですって。……だから、多分こうじゃないかしら。この穴の中にまだ水があった頃、潜水夫はこの銅板の絵図面を持ってここへ入り、宝庫へ通じる秘密の道を探しているうちに、空気を送る管を切られて、ここで窒息して死んだんじゃないでしょうか。死体は穴の入り口から縄で引き上げられたけれど、銅板は潜水夫が死ぬときに落としたまま、ここに残されていたんだわ」
 綾子の言葉に、燿子と健一も思わずゾッとして顔を見合わせました。
「それじゃあ、入り口を塞いだのは?」と燿子が問うと、
「きっとお父様よ」「水がなくなると人に見つけられるから、それで穴を塞いで東京へ引き揚げたんじゃないの」
 もう疑う余地もありません。
「それじゃ、その銅板を見て、宝庫へ通ずる秘密の地下道を捜し出そう」
 健一は蝋燭(ろうそく)を棒から外して、綾子の持っている銅板の上へ持って行きました。
 この絵図面さえあれば、八百年来の秘密は解けて、藤原家の栄華の形見である金銀財宝も手に入り、詐欺師にされて死んだ立花博士の汚名も雪(そそ)げるでしょう。
「おや、変だね」
 健一はふと四方を見ました。
 風もないのに、手に持った蝋燭の灯がゆらゆらと揺れているのです。
「あの音はなんでしょう」
 綾子は耳を澄ませました。
 なんとも知れない恐ろしい音が、地響きを立てて迫ってくるのです。
「堤防が切れたのかもしれないわ。大急ぎで外へ出ましょう」
 と燿子は敏感に状況を察知しました。
「よしッ、銅板は俺が持つ」
 健一は大事な絵図面を小脇に抱え、綾子と燿子の手を取るようにして駆け出しました。
 いや、駆け出そうとしたのですが、十メートル四方ほどの広間を出て、外へ出る隧道(トンネル)へかかろうとして、立ちすくんでしまったのです。
「あッ!」
 想像もできないような恐ろしい水が、穴の入り口から奔流のように、隧道いっぱいに流れ込んでいるのです。
 この凄まじい水が吹き荒れる隧道を、逆に泳いで行くことなど、世界一の水泳名人でもできるはずがありません。
 おまけに水は隧道いっぱいに溢れて、首を出す隙間もないうえ、隧道の長さは三十メートル以上もあるのです。
 そのうちに、水は次第に地下の広間を浸して、三人の立っている足元まで迫ってきました。
「どうしましょう、お兄様」
 燿子はさすがに顔を蒼白にしました。
「絵図面を見て、宝庫へ行く道を捜したら」
 こんな時は、内気な綾子の方が落ち着いています。
 しかし、懐中電灯と蝋燭を持って行ったところで、銅板の絵図面と見比べながら、咄嗟の間に宝庫への秘密の地下道を見つけるのは至難の業です。

絶体絶命――闇と水の隧道

「おや、水が増えないのはどうしたことでしょう」
 燿子はようやく冷静になりました。

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