初級翻訳・河童の話 第1話

折口 信夫

ぼくは二つの夏のあいだ、壱岐(いき)という島へ渡りました。
そして、この島が、北九州じゅうの河童(かっぱ)の伝説が集まる場所になっていることを知ったのです。
さらに考えてみると、かすかではありますが、水の神さまを信じる古い姿が、今でもこの島の人たちの暮らしの中に生きていることに気づきました。

それともう一つ、ぼくはなるべく、よく確かめられていない他人の記録にあるめずらしい話を利用するのではなく、当時のリアルな実感をつかむために、自分で歩いて集めたメモを資料にしたいと思いました。民俗学(昔からの人々の暮らしや信仰を研究する学問)をするうえで、それが一番大切な態度だと考えるからです。だから、壱岐とその近くの島に伝わるお話を真ん中に置いて、この研究の大まかな内容を書くことに挑戦してみました。

このお話は、河童という存在が、海の向こうからやってくる尊い「水の神さまの信仰」に、場所ごとの「水の精霊(せいれい)の要素」が合わさることで生まれてきた、ということを基本にして組み立てています。
ただ、ここでは、そのあたりの難しい証明をしていくと退屈になってしまうかもしれないので、あらかじめ決まった前提であるかのようにして、どんどん話を進めていくことにしました。

このお話の中に差し込んだ河童の絵はすべて、昔の熊本藩の水泳の先生だった小堀平七(こぼりへいしち)さんのおうちに伝わっている、河童の絵巻物からお借りしたものです。

一 河童の女

河郎の恋する宿や夏の月

与謝蕪村(よさぶそん)のこの俳句には、その絵に込められた世界が、ものすごくはっきりと表れています。
自由に表現しているようでも、流派の伝統や教えには逆らえなかったのです。
彼の心の中にある土佐絵や浮世絵のテイストが、俳句(短い詩)の形を借りて現れました。

この句だって、ただの墨書きではありません。
また、いわゆるただの俳画(俳句に添える絵)というものでもないのです。
男に化けて、娘の宿を訪ねてくる河童。
水辺の町(水郷)の夜更けにかかる夏の月。
昔の「合巻(ごうかん:絵がメインの読み物)」を思わせるような絵の構図です。

こうした演出はもしかすると、蕪村自身が思いついた創作のように見えるかもしれません。
もちろん、現代の河童の伝説では、こういう部分が抜けてしまっているものも多いですが、昔はちゃんと言い伝えられていたのです。

ぼくは、壱岐の島を二度も調査しました。
その結果、「河(川)」という名前がつく場所から、河童の本拠地は川やそのほかの淡水(真水)があるところなのだろう、と考えていた予想が、ガラガラと崩れ去ってしまいました。

「長者原(ちょうじゃばる)」と呼ばれる、海に面した高台は、「があたろ(河童の方言)」を使って大金持ち(長者)になった人の屋敷の跡だと言われています。
そこにやってきたのは、髪をふり乱した小さな子どもの姿でした。
それがやってくるようになってから、急にお金持ちになり、家の建物もどんどん大きく建て増していきました。
があたろが歩いた場所は、どこもびしょびしょに濡れています。
なんと、畳の上までその足で上がってくるのです。

しまいには、長者の奥さんが嫌がるようになって、があたろを家に入れないようにしました。
するとどうでしょう、家もあっという間に消えてなくなってしまい、長者の家の後ろにあった屏風(びょうぶ)だけが、岩になって残ったのです。
この話のがあたろは、男の子のようですね。

平戸(ひらど)には、女のがあたろのお話が伝わっています。
ある大金持ちの家に仕えている女の人がいて、毎日やってきては、毎晩どこかへ帰っていきます。
一体どこから通っているのか、家を絶対に教えません。
あるとき、あとをこっそりつけていくと、海の波がパカッと二つに割れました。
通いの女の人はどんどんその中へ入っていき、見えなくなってしまいました。
女の人はそれに気づいたのか、その日をさかいに、パッタリと姿を見せなくなったということです。

この二つのお話からわかるのは、毎日海から出てくること、家の繁栄(富み)に関係があること、ある家の主人に使われること、主人の失敗を恨んで来なくなること、そして子どもではなく女性の姿をしていることもある、ということです。

だけどこれ以外にも、毎日通って来るのではなく、ずっとその家に住み着いているタイプもあったようです。
「殿川屋敷(とのかわやしき)」というのは、壱岐にあった大豪邸のあった場所です。
ある時代のお殿様が、お出かけの途中で出会った美しい女性を連れ帰って、お嫁さんにしました。
子どもまで生まれましたが、あるとき、屋敷の中にある井戸に飛び込んで、海へ帰ってしまいました。
そのとき、お椀を持ったまま走り出したので、井戸の底をのぞきこむと、お椀が沈んでいるのが見えると言われています。

この、日本の「信田妻(しだづま:狐などの異類が妻になる伝説)」に似た「海の夫人」のお話を、あの島でも知っている人がもう少なくなっていました。

この言い伝えでわかるのは、井戸のような湧き水も、地下を通って海につながっているんだ、という古い考え方がそこに見えるということです。

こうした物語がついていなくても、信仰の形そのものは、日本国中に残っています。
たとえば、奈良の東大寺二月堂にある「お水取り」という行事は、若狭(わかさ:今の福井県)の池の水を呼び出していると言われています。
諏訪の湖や、琵琶湖、霧島山の大汝(おおなんじ)の池なども、はるか遠く離れた井戸や湧き水につながっていると言われているのです。

不思議なことに、龍宮(りゅうぐう)につながっているという井戸や湧き水も、本当にたくさんあります。
大規模なものになると、龍宮へは瀬田の唐橋(せたのからはし)の下から行ける、などとも言われています。

だけど、龍宮に通じている水が、どうしてしょっぱい海水ではなく真水なのか、それを説明した人は誰もいません。
一年のうちのある特別なとき以外は使ってはいけない「神秘の水」があったということについて、また別の機会に書きたいと思っています。
昔の人たちは、神聖な真水が、海から地下をぬけて、お祈りや行事の日のために湧き出てくると考えていたようなのです。

「海からどうして塩辛くない水がやってくるのか?」というこの問題は、ここに書ききれないほど長い説明が必要です。
神聖な場所にある湖や池につながっているという信仰も、実はこの「海からやってくる地下水」という考え方が変化したものです。

この話の中では「河童」とは言われていません。
けれど、井戸や泉から、海へと行ったり来たりするものがあったことは確かなのです。

河童が、まったく思いがけない山や野原、都会のきれいな水や井戸から、ひょっこり顔や姿をあらわしたというお話を、みなさんも一つや二つは聞いたことがあるはずだと信じています。

男であれ女であれ、人間の姿を借りて、人間と結婚する伝説にもまた、その正体が「水の世界の生き物」であるというものがたくさんあります。
さっきの殿川屋敷のお話も、こうしたタイプを河童の伝説の中にうまく織り込んだもののようです。

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