帆桁の索は一つ一つ正規の場所に留まっているだけでなく、何よりも不可解なのは、非常用の短艇が一隻もなくなっていないことでした。
みんなちゃんと短艇台に収まっているのです。
これで、乗組員が船を見捨てたのではないことは確定的でしたが、それは一層、不気味さを増すばかりでした。
いつどこから何が飛び出してくるかわからないため、四人は極度に緊張して警戒し合いながら、足音を忍ばせて船内を歩き回りました。
どこかに船長以下、乗組員の死体が転がっていなければおかしいはずです。
炊事場の隅々から水槽の一つ一つまで丹念に覗き込みました。
中央船倉の覆いが半分ほどめくりかけられたままになっていたので、一同は「このハッチの下に死体が重なっているに違いない」と思い込んで中へ入ってみましたが、暗い中に荷物が並んでいるだけでした。
見回れば見回るほど謎は深まり、ボイス船長の一行は、得体の知れない大きな恐怖に直面していました。
もし船内がめちゃくちゃになっていれば、乗組員の姿がないことも説明がついたかもしれません。しかし、これまで述べてきた通り、万事がきちんと整頓されていて、塵一つないほど掃除が行き届いた、どこを見ても手入れの良い帆船なのです。
乗組員以外のものは、何一つなくなっていなかったのです。真昼の広い海原に漂う、この整然とした無人の帆船は、まさに百パーセント以上の怪異そのものだったに違いありません。
ボイス船長たちが船長室と思われる部屋を詳しく調べてみると、本来あるべき時計がなくなっていました。
しかし、この発見は謎を解く鍵にはならず、むしろ疑問を深めるばかりでした。
乗組員の暴動や何らかの騒ぎというのも帆船ではよくあることですが、今回に限っては、この一糸乱れぬ船内の様子が、そうした想像を完全に否定しています。
実際、メアリー・セレスト号での生活は、ある瞬間までは幸せに、そしていつも通り続いていたのに、その瞬間に突然、乗組員全員が姿を消したとしか考えられないのです。
その証拠に、たった今絞ったばかりでまだ濡れている洗濯物が、水夫たちの船室の前の綱に干してあり、水が滴って甲板を線状に濡らしていました。
そればかりか、船長室には食べかけの朝食がそのまま食卓に載っていたのです。
食卓には四人が向かっていたらしく、そのうち一人は子供だったようで、小さなスプーンでオートミールが半分ほど食べられていました。
船長の椅子と思われる上座のテーブルには、真ん中から切ったゆで卵が二つ、二つともエッグスタンドに収まって立っていました。
そのそばには、今まさに子供に飲ませようとしていたかのように、咳止め薬の瓶が置いてありました。
そのコップも、細長い薬瓶も、ちゃんと立ったままなのです。
しかも、気のせいかオートミールや卵には、まだいくらか温かみが残っていたと言われていますが、これは後日議論されてボイス船長たちの錯覚だったということになりました。しかし考えてみれば、洗濯物から水が滴っていたくらいですから、朝食が冷え切っていなかったとしても別に不思議ではありません。
このように食卓がそのまま残され、倒れやすいコップや薬瓶が立っていたという事実だけで、ごく最近まで人がいたことが証明されるのです。
十二月の大西洋は、決して凪が続くわけではありません。
もし長い間無人のまま漂っていたら、船の揺れで食器はテーブルから滑り落ちるか、少なくともコップと薬瓶だけは倒れているはずです。
それだけでなく、炊事場には朝食の残りが鍋にそのままになっており、料理人が使っていたらしい剃刀が一丁、刃に短い剃りかすをいっぱいつけたまま炊事台の上に放り出されていました。
船長の寝室と思われる部屋には、カバーを外したミシン台がありました。
台の上には、円い指ぬきが胴を下にして、転がり落ちることもなく載っています。
ミシンには子供用の前掛けが縫いかけになっていて、袖を縫いつけようとしたところで針が止まっていたのです。
まるでミシンを使っていた女性が、誰かに呼ばれて席を立った直後のような景色でした。
ミシン台の周囲の床には、女の子のおもちゃが散らばっていました。
つい先ほどまで、母と幼い娘がいたことがわかります。
これは船長の家族だったのでしょう。
当時の帆船では、船長が妻子を同乗させて航海することは珍しいことではありませんでした。
船長室にも、荒らされたような跡は全くありません。
現金箱には鍵がかかっていて、触れた形跡もなく、他の貴重品も一つもなくなっていない様子です。
海賊に襲われたようには思えません。
書棚には宗教や音楽に関する本がぎっしり詰まっており、二人の運転士の部屋と思われる一室には、二つの懐中時計がテーブルの上に置いてあるだけで、ここもすべてきちんと整理されていました。
水槽には十分な飲料水があり、食料庫は様々な食料で満たされています。
何もかも清潔に乾いていて、最近波をかぶった跡も、暴風雨に遭ったらしい様子も見られません。
仮に乗組員が船を捨てたとしても、その理由がどこにも見当たらないのです。
それに、短艇が一隻もなくなっておらず、すべて縛り付けられていることを忘れてはなりません。
しかし不思議なことに、必ず備え付けてあるべき書類がいくつか紛失していました。
運転士の部屋で航海日誌が見つかりましたが、十日前の十一月二十四日まで記されていて、それ以後は白紙でした。
その二十四日以前の記録を遡って調べてみても、単なる普通の航海日誌であり、この神秘を説明するような手がかりは何一つ見つかりませんでした。
それよりも、事態を一層不気味にしたのは、海図室の柱時計が今も時を刻んでいたことでした。
理由が何であれ、この「人が一人もいない」という事実は、乗組員全員が現実にあっという間に船を去ったことを示しています。
一度に甲板から海へ飛び込んだのか、あるいはどこからかボートが舷側に横付けされて、朝食の途中や仕事の途中に、全員をどこかへ連れ去ったのか。どちらの説明も、納得できるものではありませんでした。ただ、船長室には縄を切るためのナイフがあり、そこに血痕のような小さな黒い点がついていたと言われています。しかし、ナイフに汚れがつくのはよくあることですし、それだけで何か重要な意味があるとは言えません。また、船首の右舷の欄干にも、血のような小さな黒いシミや、手斧かナイフで少し削ったような跡があるとも言われていますが、どれほど手入れの行き届いた船であっても、ただの飾り物ではありません。これほど精密に船内をくまなく調べれば、小さな汚れや傷の一つや二つ、どこにあっても不思議ではないのです。
それからもう一つ。同じく船首の吃水線(水面との境界線)付近の板が、少し剥がれかけていました。しかし、作業は途中でやめられたようで、航海中の修繕だったのか、それとも誰かの悪意によるものなのか、ボイス船長たちには判断のしようがありませんでした。
積荷のアルコール類はすべて無事で、一滴も漏れていませんでした。船員たちの部屋では、ベッドの寝具が人の形に凹んだまま並んでおり、それぞれの私物箱には、水夫たちが大切にしていたであろう、どこか哀愁を誘うような些細な品々がきれいに収まっていました。
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