ちぇ、やめろ、
J・O・A・K(ラジオ局)。
蝶々がジャズを踊って飛んでいく。
【蕚(うてな)の花】
蕚の花が雨に浮かんでいる。
鳴り響く、ラヂオのニュース、
フランスのお金が値下がりし、パリで暴動が起きる、
ポアンカレーがまた政治の舞台に戻ってくるのか。
子どもたちよ、よし、冷麦を食べよう、
実山椒はあいつ(子ども)の分につけてやろう、
蕚の花が暮れるには、まだ少し間がある。
涼しい、涼しい、庭の夕立。
【不忍(しのばず)の晩涼】
青春は老いるのが早い、あの日の喜びはどこへ行ったのだろう。
さわやかな緑の、
丸い波、
すべて、蓮の葉。
鮮やかに
暮れ残る、
ここは不忍池。
みな、涼しい、
朱色の楼閣も、
水ぎわの明かりも。
安らかなことよ。
この空よ、
来て眺めてごらん。
ほのかさよ、
かすかさよ、
あの白鳥の羽のように。
早くもむなしく、
ただ遠く、
また求めず。
さわやかな緑の、
丸い波、
すべて、蓮の葉。
【墓地の散歩者】
雲は、白く、
ふわふわと飛ぶ。
梢(こずえ)には眠るものがある。
ほのぼのと
呼びかける風、
電波だけがそれに触れている。
悪い神よ、
月が出るのだ。
短い夏の夜の墓地になるのだ。
やめろよ、おい、
赤いネクタイの男。
だから、君は夢遊病者なんだ。
聴け、音が
しきりに揺れている。
アオギリの花房が鳴っている。
なんと、また
動く夜空だ。
ほう、青いサーチライトだ。
雲は、すぐに、
夜明けになる。
梢から待っているものがある。
【五月の夜の空】
星だ、あ、
緑、
緑、
緑、
緑。
星だ、あ、
濃い赤、
濃い赤、
緑、
緑、
緑。
や、飛行機だ、光だ、光だ、光だ、
や、一台だ、二台だ。
三台、四台、五台。
夜空だ、突然として襲い去る
ゴーゴーという音、ゴーゴーという音、ゴーゴーという音、ゴーゴーという音。
ほれ、と、わが子を高く差し上げる。
菩提樹よ、闇の葉よ、
縁取りされた金の椎(しい)の木、
花よ、木よ、朴(ほお)の木よ、漆(うるし)の木よ。
孔雀の羽根、アオギリの芽よ。
鬱蒼(うっそう)と、陰陰と、
圧する、押しかぶさる――
緑、
緑、
緑、
緑。
濃い赤、
濃い赤、
緑、
緑、
緑。
ああ、見える、見える、見える、そうして
なんとぼやけた黄色の三日月、水蒸気。
空の海の爆音。
コトリともしない、また、
水盤の金魚である。
【煤(すす)】
煤が降ります、菩提樹に、
朝のタオルに、籐(とう)の椅子に。
煤が降ります、庭石に、
桜の落ち葉の霜じみに。
煤が降ります、ガラス戸に、
燃えてしなびたケイトウの花に。
煤が降ります、キジ馬(おもちゃ)に、
まつげをこする子の丸い目に。
煤が降ります、つんとして
妻が洗濯物を干す鼻の上に。
煤が降ります、パン皿に、
紅茶の茶碗に、樽柿(たるがき)に。
煤が降ります、巻煙草を
絶えずいじくる朱塗りの鉢に。
煤が降ります、原稿用紙に、
銅銭のような赤い煤。
煤が降ります、月の夜も、
隕石のように、黒い煤。
煤が降ります、明かりの下を
コオロギのように歩く煤。
煤が降ります、脳みそに、
マグネシウムの燃えかすに。
煤が降ります、昼も夜も、
絶えぬお客の黒いソフト帽。
煤が降ります、桃色の
扁桃腺に、肺の中に。
ああ、ああ、いやだ。
おい、酒だ。
酒にも黒いハエのような煤。
マザーグースのお婆さん、
天の煤掃き、それ、頼む。
【椎(しい)の葉】
日の光がさざなみとなって
椎の葉を越えていくようだ。
早くも来る春らしいものが
魚のように喜び遊んでいる。
【童話の月】
月から見た地球は、丸い、
紫の光であった、
深い匂いのする。
わたしは立っていた、海の渚に。
地球こそは夜空に
幼かった、生まれたばかりで。
大きく、昇っていた、地球は。
その肩で空気が燃えた。
雲が別れた。
潮騒(しおさい)を、わたしは、草木と
火を噴く山の地動を聴いた。
人の呼吸を。
わたしは夢見ていたのか、
紫のその光を、
わが東に。
いや、すでに知っていたのだ。
地球人が
早くも神を求めていたのを、
また、神を創っていたのを。
【雪と狩猟者】
呼んでいた、雪は雪を、かすかに。
紫の空であった――曇っていた。
わたしは探していた。
日の在処を、
日は丸くぼやけていた、あどけなかった。
「わたし、せつないわ」と、女が言った。
「こんなコルセット、子どものじゃないわ」
「僕も困るよ、こんな帽子は、
こんなおもちゃの猟銃で射てるものかい」
新しかった、雪は雪と、匂って、
ちかちかと、光ったり、消えたりして。
みんなまだ、赤ちゃんなのだ、立春の沼に、
コウノトリの雛が笑うような声もするのだ。
【童話の月】
大きな黄色の月、
童話の中の月、
おお、浜辺へ出て、手をあげて呼ぶのは誰だ。
吠えてる、吠えてる。
おお、踊ってる。
幼い愛着、白いけもの。
おお、あの空だ。
海の向こうの、そのまた向こうだ。
煙がひとすじ上がっている。
【月と美童(びどう)】
月明かりの、露の野道の
ほんの濃い、向こうの靄(もや)で。
ぼうわう、ぼうわう、
あ、なにか白く吠えている。水芋のてらてら光る葉の
その前を、なにかが音を立てて通った。
ぼうわう、ぼうわう。
おや、誰か、引き返してくるのかな。
美しい子どもよ、髪を結った子よ、
怖がることはないよ、怖がることはない。
ぼうわう、ぼうわう、
あれはただ吠えているだけだよ。
月がまた雲を呼んでいるんだ、
ぼうっとした紫色の夜に。
ぼうわう、ぼうわう、
小さな蛾さえもキラキラと輝いている。
さあ、みんなが思い出すんだ、こんな晩には、
美しい子どもよ、子どものころの記憶を。
ぼうわう、ぼうわう、
遠い昔の聖母の、まるい肩を。
におい立つようだったね、あのころの世界は。
不思議な布のように
光と空気で織り上げられていたんだ。
ぼうわう、ぼうわう、
あの夜の霧の中でも吠えていた、何かの声だよ。
昔の月
驚いたな、大きな月に。
潮が満ちて、満ちていた。
葦の葉が緑色に燃えている。
よしきりが「ぎょぎょし」と鳴いた。
植え終えて、わたしは噛みしめた。
穂の髄、露をまとった初めの毛を。
声がした。
舟が通り過ぎた。
水棹(みさお)が「とぼん」と水面を打った。
ちょうど夏の、宵のひとときだった、
辛かった。
死ぬこともできなかった。
湧き上がる、湧き上がる霞が、
空中で光に変わった。
紫色のハサミを持った蟹も
生きていて、泡を吹いていた。
方丈
幻の月夜だ、
方丈(ほうじょう)の、灯火が描き出す現実。
空(くう)でありながら、満ち足りた世界だ、
塵のように数えきれない、香りと響き。
ありとあらゆる彩りの
紫に和らぎ、かすんでいる。
かぎりなく尊いものが
鮎のように揺れ遊んでいるよ。
きらりと光る顔、
わたしは誰だろう、この子どもは誰だろう。
ああ、母よ、わたしはここにいる、
ひょうひょうと空へ騰(のぼ)りながら。
鵲(かささぎ)
わたしは筑後の国に生まれた。
ふるさとの合歓(ねむ)の木かげを
流れていく水の音だ。
鵲の白い下羽根、
月の夜とともに移ろいゆく空の色。
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