そのあたりは昔「河津の荘(かわづのしょう)」と呼ばれていて、有名な『曽我物語(そがものがたり)』という古いお話にもゆかりのある土地でした。
道の左側に石の鳥居がある神社は「河津八幡宮(かわづはちまんぐう)」です。もともとは別の神さまをまつっていましたが、のちに河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)というお相撲の得意な武士と、その息子である祐成(すけなり)と時致(ときむね)の親子三人を一緒にまつるようになりました。
そこには「館の内(たちのうち)」という場所があり、祐泰の屋敷があった跡だと言われています。祐泰が持ち上げたと言われる、ものすごく重そうな「力持ちの石」もありました。
ちょうどお昼時だったので、私は温泉宿に入って、ひとっ風呂浴びてからお酒を一杯飲もうと考えていました。でも、どこへ行けばいいのか見当がつきません。
「誰かによさそうなお店を聞いてから入ろう」と思っていると、温泉宿で働いているような女性が前を歩いていたので、
「もしもし」
と呼び止めて、
「このあたりで、どこの宿がいいでしょうか?」
と聞いてみました。すると女性は、
「さあ、どこがいいんでしょうねえ」
と言いました。
私は、彼女が自分の働いている店を自分でほめるのは恥ずかしいけれど、かといって他のお店にお客さんを取られたくもない、と思っていることに気づきました。
そこで私は、
「お姉さんの働いているお店はどこだい?」
と聞くと、彼女は、
「中津屋(なかつや)でございます」
と答えました。
私はすぐに中津屋へ行くことに決めて、彼女についていきました。
「やつがはし」という小さな溝にかかった橋を右に曲がって、新しい道に入ると、そこは温泉街でした。
私は中津屋に入って、まず温泉に入り、それから二階に上がってノートを広げていました。すると、さっきの女性がやってきて、
「ご飯はどうなさいますか?」
と聞きました。
私はご飯を注文して、
「ついでにお酒も一本持ってきてもらおうかな」
と言いました。
すると、女性はニヤリと笑いました。
「お気の毒ですが、今はキノミヤさまのお祭りの期間中ですから。旦那さまも、もちろんご存じでしょう?」
と彼女は言いました。
私は何も知らなかったので、
「いや、全然知らないんだ。キノミヤさまのお祭りって、一体何だい?」
と聞きました。すると彼女はまたニヤリと笑って、
「またまた、ご存じのくせに、旦那さま」
と言って、私がわざと知らないふりをしているような言い方をします。
「本当に知らないんだよ。なんだい、キノミヤさまがどうしたっていうんだ?」
と聞き返すと、彼女はようやく私が本当に何も知らないのだとわかったようで、
「ご存じないのですか。キノミヤさまはお酒が大好きで、お酒を飲んで寝ていたときに火事になってしまったんです。火が鳥居のそばまで燃えてきても目が覚めなかったので、鳥が来て起こしてくれましたが、どうしても起きられずに大火傷をしてしまいました。だから、年末の十七日の夜十二時から一週間は、お酒を飲まない決まりになっているんですよ」
と、笑いながら教えてくれました。
「そうなのか、それは弱ったなあ」
「お気の毒ですが、そういうわけで、キノミヤさまのお祭りの間、この土地では誰も一切お酒を飲まないことになっているんです」
「それじゃあ、どうしてもお酒を飲まなきゃいられない人は、どうするんだい?」
「そういう方は、他の村まで飲みに行くのですよ」
「なるほど、それじゃあ今日はあきらめるしかないね」
「お気の毒ですが……」
一杯飲むのを楽しみにしていた私も、あきらめるしかありませんでした。
「それじゃ仕方ない、ご飯だけにするよ」と言ってから、「でも、これが毎月だったら、お酒代が浮いてお金が貯まるだろうなあ」なんて冗談を言いました。
お酒なしのご飯を食べた私は、宿を出て河津川のほとりへ行き、橋を渡って上流へと向かいました。そして、田んぼの中の森にある「来宮(きのみや)神社」へ行ってみることにしました。
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