初級翻訳・火星の魔術師 第3話

火星の魔術師

けれど、進化とはただ形が大きくなることではありません――その物の最上の形へと変わって発達していくことです。
しかし、そのために形が大きくなることもあり得ます。
だから、自分たちが普段目にしているクリやカキも、あれが精一杯の姿ではなく、気候や養分の取り方に適応して逞しく進化していけば、ここで見るような巨大な実を結び、花を咲かせることができるのかもしれません。
「火星の植物のことにすっかり考え込んでしまったようですね。はっはは」
志賀健吉は、茶碗の茶を一飲みで空けると、いかにも楽しそうに笑いました。すると、
「いやあ、ちょっとお詫びをしなければならないのですが、今までご覧に入れたものは、どれも火星の果実なんかではありません。すべてこの地上のものですよ」
「なんですって――?」
大村は、思わず聞き返しました。
「火星からひょっこりと植物の種がやってくるわけもないでしょう。実は先ほど、お二人がしきりに火星の話をされているようでしたし、そのあとで私の作った作物に驚かれている様子だったので、ついそんなことを言ってしまったのです……」
「ははあ……」
「しかし、これらは確かに普通の作物ではありません。あとで市場に出すときには『火星の栗』とか『火星の茄子』とか、そう名付けても一向に差し支えないと思いますね。おかげでいい商標を思いつきましたよ」
「すると、あれはすべて志賀さんが作られたのですか」
「そうですとも。あなた方は話に気を取られて、『志賀農園入口』という立札に気づかないまま来てしまったのでしょう。さもなければ、村の人たちに気狂いだとか魔術師だとか言われて白眼視されているこの農園に、悠々と入ってくることはできなかったはずですよ」
「いや、私たちはここに来たばかりで、そんなことは少しも聞いていませんでした。しかし……」
(しかし、あんな巨大な柿や胡瓜や菊までが、本当に作れるものだろうか……)
そう口の端まで出かかりましたが、現に自分たちはそれを見て青ざめるほど驚かされたのですから、今さら疑うわけにはいきません。――なるほど、彼は魔術師なのだ。
「しかし、『そんなことができるはずがない』と言いたいのでしょう。私にもよく分かっていますよ。誰だって話だけなら信用しないに決まっています。村の人たちは実物を見てもなお、まやかし物を見せつけられたかのように、首を縦に振ろうとはしないのですからね」
志賀健吉の瞳には、悲しみのような色が流れていました。傍らにいる彼の美しい妹も、じっと黙ったままです。
「信用しますとも。少なくとも私は、自分の目とあなた方を信用しますよ」
大村は思わず『あなた方』と言ってしまってから、すぐに続けました。
「その発明がどんな方法かは知りませんが、とにかく大発明です。農芸に大革命を起こさせ、食糧問題も一挙に解決させるような大発明ですね――」
「そうですか、本当にそう思ってくださいますか。しかもその方法たるや、とても簡単なことなのですよ。これは肥料などとはあまり関係がありません。高価な肥料をふんだんに使わなければならず、しかも草や木がその養分を吸い上げてくれるのをただ待っているような、そんな旧式で消極的な農芸ではないのです。もっと茄子なら茄子、麦なら麦の体質そのものを改造してかかる、積極的な方法なのですよ」
喋りながら、健吉の不精髭に埋もれた顔は、生き生きと輝き出しました。

一足飛びの進化

「あなた方は、『染色体』というものをご存知ですか」
志賀健吉は、タバコの箱から一本を取り出すと、楽しそうに火を点けました。
「染色体――?」
「そうです、染色体です。動物でも植物でも、これらはすべてたくさんの細胞からできています。そしてその中に、顕微鏡で見ることができる『染色体』というものがいくつか入っているのです」
「なるほど。それがどうかしたのですか」
「それですよ、この染色体というやつが問題なのです。これは犬でも菊でも、その種類によって数が必ず決まっているのです。例えば百合が二十四で、犬が二十。人間なら男が四十七で女は四十八、というように……」
英二は話の合間に、ちらりと大村の顔を盗み見ました。志賀健吉が突然妙な話をはじめたのが、どういう意味なのかさっぱり見当がつかなかったからです。第一、染色体なんてものは見たことも聞いたこともありません。そんなことよりも、なぜあの見事に実った『火星の果物』のことを話さないのでしょうか。
「退屈ですか……」
健吉もちらりと目をやって英二の顔色を読み取ると、
「でも、これだけは言っておかないと、これからの私の話がまるで嘘っぱちのように聞こえてしまうんです。村の人たちもここまで言うと、たいてい逃げ出してしまうんですよ」
そう言って、苦笑いを漏らしました。英二は少し顔をしかめていました。
「ところが、ここにとても面白いことがあるんですよ」
志賀健吉は、人の気を引くような目でこう続けました。
「雑草のように野生している小麦の染色体は十四ですが、私たちが食用にするような栽培小麦はその三倍の四十二です。それから野苺は十四ですが、私たちが食べるような苺はその四倍の五十六。こんな風に、つまり染色体の数が多いと同じ苺なら苺でも優れているのです。例えば育ちが良いとか、寒暑に耐えるとか……」
「なるほどね。そうすると、何とかして染色体とやらの数を増やせば、優れた作物が作れるというわけですね」
「そうです、そう思っていいでしょう」「ですから、もし人工的に染色体の数を増やすことができたら、きっと立派な作物が育つはずだ……というわけですね」
「では、志賀さんがその方法を発見されたのですか?」
大村はそう言いながら、ふと先ほどの庭先の菊に目をやりました。
「いや、私というわけではありませんよ。つい最近、外国でアルカロイド剤の一種を使って、すでに大きな成功を収めているんです。これは簡単な方法で、タバコやトウモロコシでも大成功しましたし、キンセンカという花では、この薬を使って直径が普通の倍もある見事な花を咲かせたそうです――。ただ、私はそれに少しばかりの改良を加えただけのことなんですよ」
「『少しばかりの改良』とおっしゃいますが、本当は大変な作業なのでしょう。そんなに謙遜することはありませんよ。絶対にありません。とにかくこれだけのことができたなら、素晴らしい成功です。むしろ大いに自慢して宣伝したほうが、国家のためだと思いますね」
大村は、いつの間にか身を乗り出していました。
英二も全く同感でした。同じ広さの畑から、それまでとは比べものにならないほど大量で、しかも優秀な収穫が得られるということは、限られた農地しかない日本にとって、まさに画期的な大発明と言えるでしょう。
志賀健吉は、熱心に褒める大村たちの顔を、少し照れくさそうに見つめていました。
「とにかく、こんな大発明を遠慮することなんてありませんよ。染色体がどうのこうのと言うからややこしくなるんです。そんな理屈は抜きにして、どうです、一つ『火星の果実』という名前で大いに売り出してみては」
「ありがとう……そう言ってくださると、やっと私にも自信がついてきました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました