そうした考えが、「さあ、どうなんだ、どうなんだ」と責め立てるように、黒吉を恐怖と深い悩みの泥沼へと、どんどん押し込んでいくのでした。
「ちぇっ、もう勝手にしやがれ!」
黒吉は、口の中にねっとりとたまった、重苦しい言葉を吐き捨てました。
「僕が、この僕が、頭がおかしくなったんだって? ふん、まさか!」
彼は、胸の中にある心配を無理やり吹き飛ばすために、わざと大きな声を出して、自分自身を鼻で笑ってみせました。
でも、誰もいない静かな場所で、ぽつりと大きな独り言を言ったあとは、かえって、不気味なほどシーンとした静けさが戻ってくるだけでした。
じっとしていられないような焦る気持ちになって、ドンと勢いよく衣装箱から立ち上がってみたものの、やっぱり、何かしら「不安」の影が自分の後ろにぴったりとくっついて離れないような気がします。黒吉は、どこへ行くあてもなく、シミだらけの防水シートで仕切られた楽屋の片隅を、まるで檻の中に入れられたクマのように、行ったり来たりとうろうろ歩き回っていました。
まるで水に溺れている人が、たとえ一本のワラにでも必死にしがみついたいと思うように、イライラした気持ちで歩き回っていました。
何か、ものすごく大きな力で、骨がバキバキと音を立てるくらい力いっぱいぎゅーっと抱きしめてもらえたら……きっと、心が落ち着くに違いない。そう思い浮かべた瞬間に、ふと、頭の中に、
(葉ちゃん)
の姿が浮かびました。
「そうだ。葉ちゃんが……」
思わずつぶやいて、立ち上がりました。
うろうろと歩き回ったせいか、額にはべっとりと脂汗がにじんでいます。
だけど――。
またしても、嫌な影が、黒吉を暗くジメジメとした気分の底へと引きずり戻しました。
(最近、葉ちゃんの様子が、ちょっと変じゃないか……?)「さっきだって、僕が親方に怒られるところを、わざわざ見に来たんだ。それだけじゃない。わざと僕にだけ、指輪がなくなったことを教えないで、親方に怒らせようとしたんだ……」
次から次へと、最近の葉ちゃんの冷たい態度が、頭の中に浮かんできました。
(どうして葉ちゃんは、僕のことが嫌いになっちゃったんだろう……)
黒吉は、そう考えると、今までに一度も感じたことがないくらい、胸にぽっかりと大きな穴があいたような、ものすごく寂しい気持ちに襲われました。
さっきまであれほど怖がっていた、真昼間の恐ろしい夢のことなんて、古い写真のようにぼやけて、どこかへ消え去ってしまいました。
失恋――。
黒吉は、がく然として、頭が真っ白になりました。
「ば、ばかな……」
(そんなこと、あるわけがない!)
心の中で、いくら「そんなはずない」と叫んでみても、不安はどんどん大きくなるばかりで、ちっとも消えてくれません。
葉ちゃんが自分を避けるようになった理由が何なのか、それが分からないからこそ、余計にこの先のことが恐ろしくてたまらないのでした。
(よし、葉ちゃんに直接聞いてみよう。もし僕に悪いところがあるなら、直せばいいんだから!)
黒吉は、あわてて舞台の方をのぞき込んでみました。
ちょうど葉ちゃんは自分の出番の真っ最中で、大盛り上がりしているお客さんたちの前で、まるで白いヘビのようにしなやかに体をくねらせていました。その姿は、キラキラと美しく輝いて見えました。
会場全体がワッと大きな拍手で包まれると、すぐに葉ちゃんが、少し顔を赤くして、息を弾ませながら楽屋へと戻ってきました。
「葉ちゃん、ちょっと……」
黒吉は、小さく手を振って、彼女を呼び止めました。
「なーに、用事?」
「うん、ほんの少しだけ」
「じゃあ、ちょっとだけよ。またすぐに次の出番があるんだから……」
葉ちゃんは、あまり興味なさそうに、さっきまで黒吉が座っていた衣装箱の上に、ちょこんと腰を下ろしました。
彼女が着ている薄い衣装の、腰のあたりにあしらわれた銀色の飾りが、チクチクと黒吉の目にまぶしく映り、揺れていました。
黒吉は、言葉をかけようとするたびに、心臓がドキドキと喉のところまで飛び出してきそうになり、うまく声が出せません。
「何なのよ、一体……わざわざ呼んでおいてさ」
「葉ちゃん……葉ちゃんは、やっぱり演技が上手だね」
黒吉は、考えてもみなかった言葉が急に口から飛び出してしまい、ハッとしました。顔がカーッと赤く熱くなるのが分かりました。
「ほ、ほ、ほ! 何かと思ったらそんなこと。わざわざ呼び止めておいて、変な黒ちゃん」
葉ちゃんは、いかにもあきれたというように、立ち上がろうとしました。
「ま、待って!」
黒吉はあわてて彼女を引き止めると、
「ちょっと待って、聞きたいことがあるんだ……葉ちゃん、怒らないで聞いてね。どうして、僕のことが嫌いになっちゃったの? なんで?」
と、思い切ってぶつけてみました。
「あら、誰がそんなこと言ったの?」
くりっとしたツヤのある黒い瞳が、怒るどころか、面白がっているように見えました。
「誰がって、誰も言わないよ。ただ、僕がそう思うんだ」
「まあ、いつ私があなたのことを嫌いだって言ったの? そんなことないわよ」
「だけど……口に出して言わなくても、そうなんじゃないかって思うんだ。前はとっても優しくしてくれたじゃないか。僕は、前の葉ちゃんの方がよかったな。みんなに『下手くそ、下手くそ』って笑われたって、葉ちゃんだけは笑わずに、元気づけてくれたのに……」
黒吉は、思いつくままに言葉を重ねているうちに、自分のまぶたが熱くなり、涙がこみ上げてくるのを感じました。
「そんなの、あなたのひがみよ。私が褒めなくなった代わりに、みんなが褒めてくれるくらい、上手になったじゃないの」
葉ちゃんの顔も、スーッと青ざめて強張りました。
「僕はみんなに褒められるより、葉ちゃん一人に褒められる方が、ずっとずっと嬉しいんだ! そりゃあ、僕なんてかっこ悪いよ。義公なんかと比べものにならないくらいさ。だけど、僕は誰が何と言おうと、葉ちゃんが好きなんだ……!」
「まあ、黒ちゃん、何を言ってるの? ほ、ほ、ほ! あなた、私に恋してるの? 大人みたいなことを言うのね。そんなお話、もうやめましょうよ」
葉ちゃんは、いかにも勝ち気な女の子らしく、なんでもないことのように言い放つと、さっさと早歩きで準備室へ行ってしまいました。
黒吉の目から、去っていく彼女の後ろ姿がぼんやりと曇って見えなくなると、熱い涙がぽろぽろと頬を伝って流れ落ちました。
(いつか、葉ちゃんと夫婦になって……)
そんな甘い夢は、こなごなに砕け散ってしまいました。
こぼれ落ちる涙の中で、葉ちゃんが自分から離れていってしまったという冷たい現実が、鋭いツメのついた熊手のように、黒吉の胸の中をズタズタにかきむしり始めました。
「黒ちゃん、何をぼんやり考えているの?」
ぽかんと魂が抜けたように立ち尽くしたまま、にぎやかで騒がしいサーカスの音楽に耳を傾けていた黒吉は、ビクッとして後ろを振り返りました。
「なんだ、由坊か。
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