初級翻訳・燕と王子 第2話

有島 武郎

つばめは、まだこんな立派な方から直接声をかけられたことがなかったので、うれしくて胸をどきどきさせながら、
「それはお安いご用です! 何でもいたしますから、どうぞご遠慮なくおっしゃってくださいまし」とお返事をしました。

王子はしばらく考えておられましたが、やがて決心したような顔つきで、
「それでは気の毒だが一つ頼もう。あそこをごらん」
と、町の西の方を指さしながら言いました。
「あそこにみすぼらしい一軒家があってね、たった一つの窓がこちらを向いて開いている。あの窓の中をよく見てごらん。一人の年老いたお母さんがせっせと針仕事をしているだろう? あの人は頼る人もなく、毎日身を粉にして内職をしているのだが、仕事を発注する人が少ないので、時にはご飯も食べられないでいるのが、ここから見えるんだ。
私はそれがかわいそうで見ているだけでたまらないのだが、あいにくこの場に立ったままで、歩くことができない。
どうか君、私の体から金(きん)をはぎ取って、それをくわえていき、気づかれないようにあの窓から投げ込んできてくれないか?」
と、こういうお願いでした。

つばめは王子のありがたいお心づかいに深く感動しましたが、この立派な王子様の体から金をはぎ取るなんて、どうにも気が進みません。どうしようかと、いろいろと迷ってしまいました。

すると王子は、しきりにせきこまれます。
しかたなく、つばめは王子の胸のあたりの金の板を一枚めくりおこし、それをうまくお母さんの窓から投げ入れました。
お母さんは仕事に夢中になっていたのでその時は気づきませんでしたが、やがて夕ご飯のしたくをしようと立ち上がった時、ぴかぴか光る金の延べ板を見つけました。その時の喜びといったら、一体どれほどのものだったでしょう! 神様からの恵みをありがたく両手でいただき、その晩は栄養のあるご飯を食べられただけでなく、長く滞っていたお寺のお布施まで払うことができて、涙を流して喜んだのでした。

つばめも、なんだかとても良いことをしたような気持ちになり、いそいそと王子の肩にもどってきて、今日の顛末(てんまつ)を一つ残らず報告しました。

次の朝。つばめは「今日こそは、恋しいナイル川へ一刻も早く帰ろう」と思って羽毛をつくろい、羽ばたこうとしますと、また王子が呼び止めました。
昨日のことがありましたから、つばめは王子をこの上ない素晴らしい方だと慕うようになっており、すぐに「はい」とお返事をしますと、王子様はおっしゃいました。
「今日は、あの東の方にある道の突き当たりに、白い馬が荷車を引いていく。あそこをごらん。そこに、二人の小さな身寄りのない子どもが、寒そうに立っているだろう。
ああ、あの子たちはもともと王宮の家来の子どもで、お父さんもお母さんも本当に良い人たちだったのだが、友達のいわれのないウソのせいで仕事を追い出されてしまい、二、三年病気をしているうちに両親とも亡くなってしまったのだ。あとに残されたその子どもたちはあんなふうに物乞いになり、誰も気にかけてやる人がいない。けれど、もしここに金の延べ板があれば、二人がそれを宮殿に持っていったとき、もとのように家来として迎え入れてもらえるという約束があるのだよ。
君には気の毒だが、私の体からできるだけ大きな金をはぎ取って、それを持って行ってあげてくれないか?」

つばめはこの二人の子どもを見るとかわいそうでたまらなくなってしまい、自分の帰ることなどすっかり忘れ、王子の肩のあたりからできるだけ大きな金の板をはぎ取ると、重そうにくわえて飛び出しました。

二人の子どもは手をつなぎ合い、「今日はどうやって食べ物を手に入れようか」と途方に暮れてふるえています。
つばめは元気に二人のまわりを二、三度、なぐさめるように飛びまわると、やがて二人の前にその金の板をぽとんと落としました。
子どもたちはびっくりしてそれを拾い上げ、しばらくじっと眺めていましたが、お兄ちゃんの方の少年が何かを思い出したようにそれを取り上げ、「これさえあれば宮殿のおとがめも許されるんだ!」と大喜びし、妹の手を引いて宮殿の方へ走っていきました。
つばめは、その様子をしっかりと見届けてから、「いいことをしたぞ」と満足しながら王子の肩に飛びかえってきました。そして、一部始終の出来事を語って聞かせますと、王子もたいそうお喜びになり、つばめの心の優しさを心からおほめになったのでした。次の日も王子は、燕の旅立ちを「気の毒だが」と引き止めながら、こうおっしゃいました。
「今日は北の方に行ってもらいたい。
あの烏の風見がついた、屋根の高い家の中に一人の画家がいるはずだ。
その人はたいそう腕がいいのだが、だんだん目が悪くなってきてね、早く治療をしないと目が見えなくなって画家をやめなければならなくなる。だから、どうか金を送って、医者に行けるようにしてやりたいんだ。
おまえ、今日も一つ骨を折ってくれないか」
そこで燕はまた自分のことはすっかり忘れてしまい、今度は王子の背中あたりから金をめくり取ると、その画家の家へと飛んで行きました。しかし画家は、部屋の中に暖房がなくてうす寒いので、窓をすっかり閉め切って仕事をしていました。
これでは金を投げ入れることができません。
しかたがないので屋根の上の風見の烏に相談しますと、烏はこう教えてくれました。
「画家さんは燕が大すきでね、燕の顔さえ見れば何もかも忘れてしまい、そればかり見ているから、おまえも目につくように窓のまわりを飛び回ったらいいだろう」
そこで燕は「しめした!」とばかりに、できるだけしなやかな飛び方をして、その窓の前を二度三度あちらこちらへと飛びまわりました。すると画家は、はたと顔をあげて、
「この寒いのに燕が来たぞ!」
と叫ぶやいなや窓を開け、首を突き出しながら燕の飛び方に見とれました。
燕は「しめした、これはいける!」とすきをうかがい、例の金の板を部屋の中にぽんと投げこんでしまいました。
画家の喜びは、何にたとえられたでしょうか。
「天の助けだ! これで目の病気を治したあとで、無類の名画を描いてみせるぞ!」とすっかり勇み立ち、大急ぎで医者の所へかけつけて行きました。
王子も燕も、はるかにその様子を見て、「今日も一ついいことをした」と清らかな心で夜の眠りにつきました。
そうこうするうちに、気候はだんだんと寒くなってきました。
青銅でできた王子の肩では、なかなかしのぎがたいほどの寒さになってきたのです。
しかし王子は、次の日も、その次の日も、これまで長い間見て知ってきた貧しくも正直な人や、苦しんでいるえらい人などに自分の体の金を送り続けたので、燕はなかなか南へ帰るひまがありませんでした。
日中は秋とはいえさすがに日がぽかぽかとうららかで、黄金色の光が赤い瓦や色づいた木の葉をあたたかく照らしていたため、燕は王子のおおせのままにあちこちと飛び回って用事を果たしていたのです。
そのうちに王子の体の金はだんだんと少なくなってしまい、かわいそうに、あんなにまばゆいほど美しかったお姿は見る影もないものになってしまいました。
ある日の夕方、王子は静かに燕をふりかえり、こうおっしゃいました。

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