「気は狂っちゃいない! 町人の中にも男はいる、天に代わって、貴様らをこらしめてやるんだ!」
「生意気な口をきく下郎め! お前らがこのご城下で平和に暮らせているのは、すべて我々が敵国と日々戦っている賜物だということが分からんのか!」罰当たりめ」
「町人どもへよい見せしめだ、その細い首をぶっ飛ばしてやろう」
「動くなッ」
鬼玄蕃をはじめ、一同の刀が、若者の手もとへものすごい勢いで斬りこんできた。
三
とたんに、朱柄の槍は一本の火柱のように、さっと五本の乱れ刀を空中でたたき落とした。
「わっ」と相手の手もとが乱れたすきに、若者はまた一声「えいッ」と叫びながら、一人の胸元を田楽刺しに一突きで貫くが早いか、すばやく穂先を引き戻して、ふたたび次の相手を狙った。
その早技も並外れていたが、より恐ろしいのは、彼の濃い眉のげだかららんらんと底光りを放っている二つの瞳だった。
それは、槍の穂先よりも鋭い光を放っている。
「やりやがったな、小僧ッ。
もう許さん」
玄蕃は怒りに燃え、金剛力士のように太刀を大きく振りかぶって、槍の真正面に立った。
彼の頑丈な体はさすが戦場のど真ん中で鍛え上げられただけあって、小柄な若者を見おろし、ただ一撃で叩き潰そうという勢いを示した。
それだけでなく、残りの三人の武士もめいめい刀の切先を向け、袋叩きにしようと一寸二寸と若者の命に食らいついていく。
ああ、危ない!
「龍太郎――」
と、その場にいた伊那丸は息をのんで彼の袖を引っ張り、何かをささやくと、龍太郎もうなずいて、ひそかに例の仕込杖の戒刀をぎゅっと握りしめた。
いざという時は、一気に飛び込んで木隠流の冴えを見せつけようとするらしい。
「ヤッ」という鋭い裂け声があたりの空気を切り裂いた。
鬼玄蕃星川が斬りこんだのだ。
赤い槍がサッと下がり――玄蕃は力強く踏み込んで二の太刀をかぶせようとしたが、その時、流星のごとく飛び出した槍の穂先が、ビュッと鬼玄蕃の喉笛から鮮血を飛び散らせた。
「わっ――」と弓なりに反って倒れたと見るや、残りの三人の侍は必死に若者の左右からわめきかかりながら襲いかかった。疾風か、稲妻か、白刃か、そこはもうすさまじい黒い竜巻のようになっていた。
「えいッ、木ッ葉どもめ!」
若者は二、三度朱柄の槍を振り回したが、石突きをドンと地面についた勢いに乗って、その五尺の体をふわりと宙に躍らせるやいなや、神社の玉垣を鳥のようにひらりと飛び越えたまま、向こうの闇へと姿を消してしまった。
バタバタと武士たちもどこかへ駆け出していく。
あとは血なまぐさい風の中に、消え残った祭りの灯りがただまたたいているばかりだった。
「あぁ、気持ちのいい男だ」
と伊那丸は思わずつぶやいた。
「拙者も、珍しい槍の奥義を見せてもらいました」
龍太郎は、助太刀に入ろうと思う間もなく見事に勝負をつけてしまった若者の早技に、すっかり舌を巻いて感嘆していた。
そして、二人はいつの間にかそこを歩き出し、浜松城に近いお濠の端を静かに進んでいたのである。
すると、大手門の橋から、たちまち空を焦がすばかりの松明の列がものすごい勢いで走ってきた。
龍太郎は見るなり舌うちをして、伊那丸とともに濠の端の柳の陰に身をひそめた。まもなく、松明を持った黒具足の武士たちが十四、五人、目の前を走り抜けていったが、その最後のひとりが、
「待て、あやしいやつがいたぞ!」と叫び声をあげた。
「なに? いたのか!」
ドタドタと引き返してきた大人数に、有無を言わせず、ふたりのまわりをぐるりと取り囲まれてしまった。
「ちがった、こいつらではない」
と一目見た一同は、ふり切るようにふたたび行き過ぎようとしたが、その時、
「ややっ、伊那丸だ、武田伊那丸だッ!」と、誰かが叫んだ。
四
朱柄の槍を持った曲者が城内の武士を二人まで突き殺したという知らせが入り、さては敵国の間者ではないかと、すぐさま討手に繰り出してきたのは酒井の黒具足組の兵たちだった。
運悪く、その中に伊那丸の顔立ちを見おぼえている者がいたのだ。
彼らは思いがけない大金星に、武者震いを禁じきれない。
たちまち、抜かれた陣刀がドキドキと嫌な音を立てながら伊那丸と龍太郎のまわりに壁を作り、「少しでも身動きしようものなら、その体中を蜂の巣にしてやるぞ」と言わんばかりの物凄い剣幕だった。
「間違いない。
まさしくこの者は、武田の伊那丸だ!」
「お城の近くをうろついているとは、不敵なやつめ。
おとなしく縄にかからねば手荒く成敗するぞ。甲斐源氏の御曹司よ、縛り首になるのを恥と思うなら、おとなしく従うのだ――」
侍大将の坂部十郎太が、厳かに言い渡した。
伊那丸はちりほども怯えた様子を見せなかった。
きりっと見開いた目で周囲の者たちをじっとにらみつけていたが、ちらと龍太郎の顔を見ると――彼もまたしっかりと瞳を向け返してきた。
以心伝心、ふたりの目と目は一瞬にしてすべてを語り合った。
「いかにも――」と、龍太郎はそこで静かに答えた。
「ここにおわす御方は、ご想像の通り、伊那丸君であります」「天下の武将のなかでも徳川どのは仁君とうけたまわり、おん情けの袖にすがって、若君のご一身を安全にいたしたいお願いのためまいりました」
「とにかく、きびしいお尋ね人じゃ、おあるきなさい」
「したが、落人のお身の上でこそあれ、無礼のあるときは、この龍太郎が承知いたさぬ、そう思しめして、ご案内なさい」
龍太郎は、戒刀の杖に、伊那丸の身をまもり、すすきをあざむく白刃のむれは、長蛇の列のあいだに、ふたりをはさんで、しずしずと、鬼の口にもひとしい、浜松城の大手門のなかへのまれていった。
雷火変
一
本丸とは、城主のすまうところである。
築山の松、滝をたたえた泉、鶺鴒があそんでいる飛石など、戦のない日は、平和の光がみちあふれている。
そこは浜松城のみどりにつつまれていた。
伊那丸と龍太郎は、あくる日になって、三の丸、二の丸をとおって、家康のいるここへ呼びだされた。
「勝頼の次男、武田伊那丸の主従とは、おん身たちか」
高座の御簾をあげて、こういった家康は、ときに、四十の坂をこえたばかりの男ざかり、智謀にとんだ名将のふうはおのずからそなわっている。
「そうです。
じぶんが武田伊那丸です」
龍太郎は、かたわらに両手をついたが、伊那丸ははっきりこたえて、端然と、家康の顔をじいとみつめた。
――家康も、しかと、こっちをにらむ。
「おう……天目山であいはてた、父の勝頼、また兄の太郎|信勝に、さても生写しである……。
あの戦のあとで検分した生首に瓜二つじゃ」
「うむ……」
伊那丸の肩は、あやしく波をうった。
かれをにらんだ二つの眸からは、こらえきれない熱涙が、ハラハラとはふり落ちてとまらない。
この家康めが、織田と力をあわせ、北条をそそのかして、武田の家をほろぼしたのか、父母や兄や、一族たちをころしたのか――と思うと、くやし涙は、頬をぬらして、骨に徹してくる。
眼もらんらんともえるのだった。
「若君、若君……」
と、龍太郎はそッと膝をついて目くばせをしたが、伊那丸は、さらに心情をつつまなかった。
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