こう気がついたので、蛾次郎も急に足を早めて、今宮神社の境内から天ヶ丘のほうへ歩き出しました。
すると、ちょうどそのふもと。
南蛮寺(なんばんじ)ののぼりにかかろうとする参道の並木を、忍びやかにいく人影があります。
まだ朝もやが立ちこめているので、大体はまきを拾う小僧か物売りだろうくらいに思っていた蛾次郎は、だんだん近づいて見てびっくりしました。
どうもそれは、鞍馬の竹童らしいのです。
「おやっ」
蛾次郎は、もういっそう近くへ寄ってみました。
まちがいなく竹童です。
「だが、変だなあ……。
あいつは目が見えないくせに、やけにまっすぐ前を向いて歩いているぞ。
ははーん、読めたぞ……。
よく盲目のやつは、目が見えるふりをして歩くというが、竹童もそれであんなにすましているんだな。
うふっ……また一つからかって見やろうか」
と、ひとり合点をして、泣き虫の蛾次郎は、やめておけばよいのに懲りもせず、またいたずら心を起こして、竹童の後からピタピタとついていきました。
三
朝もやにぼかされた松の丘に、南蛮寺の赤い門は、まだ固く閉ざされていました。
稲妻のように曲がりくねった石段の道を見回しても、きれいな朝露がたまっているだけで、人の足でにじられている様子はありません。
今日の朝早く、桑名に陣取る羽柴秀吉のところへ向けて、和田呂宋兵衛(わだろそべえ)が護送しようとしている武田勝頼の駕籠は、まだあの赤い門を出て山を下りていないようです。
……竹童は、まずはよかったとそこでいっそう身をかがめながら、這うようにして石段を一歩一歩と登っていきます……
それを見ると、蛾次郎は、
「あはははは!
やっぱり目が見えないんだ、石段を四つんばいになって登っていやがる」
と、あざ笑いながら、すっかり気を許してしまいました。
そこで、ふところのお蕎麦まんじゅうを半分食べて、残りの半分をポンと竹童の背中に投げつけながら、
「おい、鞍馬の竹童――どこへ行くんだい」
と声をかけました。
竹童はハッとして、石段に身を伏せました。そしてジロリと振り返ってみると、昨夜、八神殿の床下から逃がしてやった蛾次郎ではありませんか。
「ああ、また来たな」
そう思いましたが、高ぶる気持ちを抑え、まだ目が見えないふりをしながら静かに天ヶ丘へ登り始めました。すると蛾次郎は、それとは知らずに、
「おいおい、耳も聞こえないのか?」
と、いよいよ調子に乗って、悪態をつき始めました。
「昨夜はつんぼじゃなかったはずだ。盲目のうえに耳まで聞こえないとなると、それこそ、でくの坊以下じゃないか。ええい、おい竹童……おっと、こいつは俺が間違った。おまえは八神殿の床下をお屋敷にしている、天下のお乞食さんだったっけ。それじゃあ返事をしないはずだよ。では改めて呼び直すことにしよう……」
蛾次郎はますますお調子づいて、今や自分の体が竹童の持つ刀「般若丸」の切っ先に引き寄せられているとも知らず、ノコノコとすぐ後ろまで近づいていきました。
そして、黄色い歯をむき出してゲタゲタと笑いながら、竹童の顔を肩越しにのぞき込むようにして、
「――もし、天下のお乞食さま。おまえ、これからどこへ行くんだい。南蛮寺の台所か? それにしては少し時間が早かろうぜ。残り物なんて朝飯を過ぎなきゃくれやしないよ。うふふふふ……怒っているのか? 澄ますなよ。恥ずかしいのか、蛾次郎さまに姿を見られて……。まあいいじゃないか、なあおい竹童。俺とおまえとは、今じゃ身分が違ってしまったが、もとは裾野の人無村で、同じ柿の木の柿をかじり合った仲だ。――俺はおまえに同情しているんだぜ。だからよ、昨夜だって俺から声をかけたじゃないか。うまい飴ン棒でもしゃぶらせてやろうと思ってな。それを人が親切に言ってやったのに、脅し用の刃物なんぞ振り回して……よせやい、俺だって、はばかりながら刀ぐらいは差しているんだからな」
竹童は、口の利けない者のように黙っていました。
しかし、全身の血は沸き立ち、毛が逆立つほど怒っていました。
だが今は、どこまでも盲目のふりをして蛾次郎を油断させ、その首をひねり潰してやろうと、心の奥底で怒りを抑え込み、相手の悪口雑言を言われるがままに我慢していたのです。
「ええい、おい、何か言えよ、何か!」
蛾次郎は、竹童の体から棘のような殺気が立っていることにも気づかず、いきなり蕎麦まんじゅうをムシャムシャと食べながら、
「やい乞食、これでも食らえ!」
と、その食いかけを竹童の口元へ突きつけました。
待っていたぞ――と、言わんばかりに。
「逃がすか、蛾次!」
と言うが早いか、鞍馬の竹童は、顔のそばに来た蛾次郎の右手をいきなりつかんで引き寄せました。
「あッ! こ、こいつ!」
「よくもやってきたな。思い知れ!」
と竹童は、その利き腕をねじり上げ、石段の中ほどへ押し倒しました。
「おう! て、てめえ、目が見えるのか!」
と押し伏せられながら、蛾次郎は肝をつぶして震え上がりました。
竹童はその上に乗って、膝で相手の腕を抑え込み、両手で喉と手首を締めつけて、ビクとも動けないようにして言いました。
「やい蛾次公! よくもおのれは、この竹童をさんざんに恥ずかしめたな。うぬっ、どうなるか覚えていろ!」
「あッ――か、か、勘弁してくれ!」
「ええい、今になって卑怯なことを言うな!」
「謝る、謝る、謝る! 謝りますから! 勘弁してくれッ!」
「だめだ! だめだ! だめだッ! もう何を言ったって許すもんか。ここでおいらの手に捕まったのが運の尽きだ。般若丸の切れ味を試してやるから、そう思え!」
と、刀の柄へ手をかけました。
「ああ待ってくれ、竹童、竹童さまーッ!」
と、蛾次郎はついに本性を出し、ベソをかきながら悲鳴を上げました。
「待ってくれよ、おまえに返すものがあるんだ。俺を殺してしまうと、それがどこにあるか分からなくなるぜ!」
「なに? 返すものがあるだと……。おい、クロのことか!」
「そうだ! クロを返すから、命だけは助けてくれ!」
「本当だな!」
「本当だ!」
「よし、クロを返すというのなら命だけは助けてやる。だが、それは一体どこにあるのだ!」
「す、す、……少し手を緩めてくれなくちゃ、喉が苦しくって声が……」
「さあ、早く言え!」
と少し体を浮かせてやった途端、泣き虫の蛾次郎は、ドンと足を蹴り上げて竹童の顎を蹴り飛ばしました。
「あッ!」と竹童も不意を突かれましたが、胸ぐらをつかんでいた手を離さなかったため、足を踏み外した勢いで、蛾次郎もろともに二つの体は俵のようにゴロゴロと、石段の中ほどから下まで転がり落ちていきました。
地を裂く雷火
一
ごろんと石段の下にとどまると、蛾次郎はいきなり竹童の唇へ爪をひっかけました。
「なまいきなッ!」
と竹童は、その手を払って襟首をつかみ、腰を入れて車投げに――ぶんと、大地へ投げつけました。しかし、蛾次郎も一生の命がけです。投げ飛ばされて立ち上がるやいなや、バラバラと音を立てて横っ飛びに逃げ出しました。
「待てッ――」
竹童の足にかなうはずがありません。
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