ところで、果心居士がなぜ武田伊那丸を龍太郎に探させようとしたのか、その理由はあとで説明するとして、まずは、果てしない海へと連れ去られてしまった大切なお方を、どうやって探し出せばよいかという相談が始まりました。
「竹童、竹童や――」
居士があの少年を呼ぶと、小さなにしきの袋を持ってこさせました。
その中から机の上へ、カラカラと音を立ててばらまいたのは、亀の甲羅で作られたたくさんの占い用の駒でした。
居士の心が少しでも乱れていて「遠知の術」が使えないときは、この亀甲占い(亀卜=きぼく)を使って物事を占うのがいつものやり方だったのです。
「ふむ……」
ひとりで占いの結果を見つめ、ひとりうなずいた果心居士は、やがて客人のほうへ向きなおり、こう言いました。
「民部(みんぶ)どの、こんどはあなたが行くのがよろしい」
それを聞いた龍太郎はびっくりして、前に進み出ました。
「しばらくの間、先生のご命令に背き、他の人にその役目をお任せするなんて、私どもの立つ瀬がありませんし、面目もありません。
どうか、前回の失敗の恥をすすぐため、この手すらにそのご命令をくだしていただけないでしょうか!」
「いや龍太郎、おまえにはもっと別の、第二段の大切な役目があるのだ。
まずこれをしっかりと見るがよい」
居士が革の箱から取り出して広げたのは、一面に細かい山々が描かれた大きな絵図でした。
「これは……?」
龍太郎は納得がいかない様子で首をかしげました。
「ここにいらっしゃる小幡民部(おばたみんぶ)どのが、大変なご苦労をされて描きうつされたものなのだ」すなわち、自然の山を城廓として、七陣の兵法をしいてあるものじゃ」
「あ! ではそこにおいでになるのは、甲州流の軍学家、小幡景憲どののご子息ですか」
「いかにも、すでにまえから、ご浪人なされていたが、武田のお家のほろびたのを、よそに見るにしのびず、伊那丸さまをたずねだしてふたたび旗あげなさろうという大願望じゃ、おなじ志のものどもがめぐりおうたのも天のおひきあわせ、したが、伊那丸さまのありかが知れても、よるべき天嶮がなくてはならぬ。
そこで、まずひそかに、二、三の者がさきにまいって地理の準備、またおおくの勇士をも狩りもよおしておき、おんかたの知れしだいに、いつなりと、旗あげのできるようにいたしておくのじゃ」
「は、承知いたしました。
して、この図面にあります場所は?」
という龍太郎の問いに応じてこんどは、小幡民部が膝をすすめた。
「武田家に縁のふかき、甲、信、駿の三ヵ国にまたがっている小太郎山です。
また……」
と、軍扇の要をもって、民部は掌を指すように、ここは何山、ここは何の陣法と、こまかに、噛みくだいて説明した。
肝胆あい照らした、龍太郎、小文治、民部の三人は、夜のふけるをわすれて、旗上げの密議をこらした。
果心居士は、それ以上は一言も口をさし入れない。
かれの任務は、ただここまでの、気運だけを作るにあるもののようであった。
翌日は早天に、みな打ちそろって僧正谷を出立した。
龍太郎と小文治は、例のすがたのまま、旗あげの小太郎山へ。
また、小幡民部ひとりは、深編笠をいただき、片手に鉄扇、野袴といういでたちで、京都から大阪もよりへと伊那丸のゆくえをたずねもとめていく。
その方角は、果心居士の亀卜がしめしたところであるが、この占いがあたるか否か。
またあるいは音にひびいた軍学者小幡が、はたしてどんな奇策を胸に秘めているか、それは余人がうかがうことも、はかり知ることもできない。
智恵のたたかい
一
板子一枚下は地獄。
――船の底はまッ暗だ。
空も見えなければ、海の色も見えない。
ただときおりドドーン、ドドドドドーン! と胴の間にぶつかってはくだける怒濤が、百千の鼓を一時にならすか、雷のとどろきかとも思えて、人の魂をおびやかす。
その船ぞこに、生ける屍のように、うつぶしているのは、武田伊那丸のいたましい姿だった。
八幡船が遠州灘へかかった時から、伊那丸の意識はなかった。
この海賊船が、どこへ向かっていくかも、おのれにどんな危害が迫りつつあるのかも、かれはすべてを知らずにいる。
「や、すっかりまいっていやがる」
さしもはげしかった、船の動揺もやんだと思うと、やがて、入口をポンとはねて、飛びおりてきた手下どもが伊那丸のからだを上へにないあげ、すぐ船暈ざましの手当にとりかかった。
「やい、その童の脇差を持ってきて見せろ」
と舳からだみごえをかけたのは、この船の張本で、龍巻の九郎右衛門という大男だった。
赤銅づくりの太刀にもたれ、南蛮織のきらびやかなものを着ていた。
「はて……?」と龍巻は、いま手下から受けとった脇差の目貫と、伊那丸の小袖の紋とを見くらべて、ふしんな顔をしていたが、にわかにつっ立って、
「えらい者が手に入った。
その小童は、どうやら武田家の御曹子らしい。
五十や百の金で、人買いの手にわたす代物じゃねえから、めったな手荒をせず、島へあげて、かいほうしろ」
そういって、三人の腹心の手下をよび、なにかしめしあわせたうえ、その脇差を、そッともとのとおり、伊那丸の腰へもどしておいた。
まもなく、軽舸の用意ができると、病人どうような伊那丸を、それへうつして、まえの三人もともに乗りこみ、すぐ鼻先の小島へむかってこぎだした。
「やい! 親船がかえってくるまで、大せつな玉を、よく見はっていなくっちゃいけねえぞ」
龍巻は二、三ど、両手で口をかこって、遠声をおくった。
そしてこんどは、足もとから鳥が立つように、あたりの手下をせきたてた。
「それッ、帆綱をひけ! 大金もうけだ」
「お頭領、また船をだして、こんどはどこです」
「泉州の堺だ。
なんでもかまわねえから、張れるッたけ帆をはって、ぶっとおしにいそいでいけ」
キリキリ、キリキリ、帆車はせわしく鳴りだした。
船中の手下どもは、飛魚のごとく敏捷に活躍しだす。
舳に腰かけている龍巻は、その悪魔的な跳躍をみて、ニタリと、笑みをもらしていた。
二
この秋に、京は紫野の大徳寺で、故右大臣信長の、さかんな葬儀がいとなまれたので、諸国の大小名は、ぞくぞくと京都にのぼっていた。
なかで、穴山梅雪入道は、役目をおえたのち、主人の徳川家康にいとまをもらして、甲州|北郡へかえるところを、廻り道して、見物がてら、泉州の堺に、半月あまりも滞在していた。堺は当時は外国と貿易をする港だったので、めずらしい外国の雰囲気がたっぷりあふれていた。
中国や、ルソン(フィリピン)、南蛮(ヨーロッパなど)の道具や織物を見て回ったり手に入れたりするのも、まさにここでしかできないことだった。
「殿、見なれぬお客様がおみえになりましたが、お通ししてもよろしいでしょうか、いかがいたしましょうか」
穴山梅雪の仮の館では、すでにろうそくに火がともされ、侍女たちが琴を演奏して、たいへん賑やかに過ごしているところだった。
そこへ、ひとりの家臣がこのように取りつぎにやってきたのだ。
「一体、何者じゃ」
梅雪入道は、眉にも白いものがまじりはじめる年齢だったが、幾多の戦場を駆け抜けて鍛え上げた骨組みだけは、やはり他の人とは一味違う貫禄があった。
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