しかし、彼の軍学も空までは及びません。蚕婆の吹き針もここからは届かず、ただ唇を噛みしめている間に、鷲は一気に裾野をめがけて斜めに遠ざかっていきます。
「呂宋兵衛さま、もうこうしてはおられません」
さすがの昌仙も少しうろたえて腰を浮かせましたが、いつもは臆病な呂宋兵衛が、妙に落ち着き払って、
「なーに、大丈夫だ」
と不気味に嘲笑い、じっと鷲の影を見つめていました。やがて、右手に持っていた金無垢(きんむく)の彫り物――先ほど塔の中からひっぺがしてきた厨子(ずし)の金物――を掲げました。
「はッ……、はッ……」
と三たびほど息を吹きかけ、術眼を閉じた呂宋兵衛。その黄金の板へ、やッと力を込めて碧空(あおぞら)へ投げ上げました。すると、ブーンという唸りを上げて、板は空へと飛んでいきました。
「あッ」
「おお!」
丹羽昌仙も蚕婆も、思わず金色の光に目をくらませ、眩しそうに空を見上げました。すると驚いたことに、黄金の板の行方は知れず、ただ金毛燦然(さんぜん)と輝く一羽の鷹が、太陽に向かって飛ぶかのような勢いで、シュッと竹童の鷲を追いかけたのです。
これは、前身が悪伴天連(バテレン)であった和田呂宋兵衛が、蛮流の幻術を使って、竹童を「鳥縛(とりしばり)の術」に落とし入れようという狙いでした。
果たして、鞍馬の怪童子は、この危機にどう立ち向かうのでしょうか。
三
「あら、あら、あら! コンちくしょうめ!」
竹童は、突然空中で面食らいました。乗っている鷲が狂いだしたのです。
それもそのはず、竹童は思わず大声で叱咤しました。
「こらッ、クロ! そっちじゃねえ、そっちへ飛ぶんじゃないよ!」
いつもは背中で調子を合わせれば、以心伝心で思い通りに動いてくれるクロが、急に風に煽られた凧のように、同じ場所をくるくると回り始めたのです。
はるか下の多宝塔の上で、呂宋兵衛が遠隔の術をかけているとは知らない竹童は、「不思議だな、どうしたんだ」と首をかしげました。すると、怪しい光を帯びた一羽の大鷹が、カッと嘴(くちばし)を開いて、竹童の目玉を狙ってきたのです。
「あッ!」
竹童はぎょっとして鷲の背中に伏せました。クロは猛然と大きな瞳を怒らせ、鷹に向かって絶叫を浴びせかけます。
まぶしい太陽の下、二羽の鳥はたちまち血みどろになって組み合いました。飛び散る毛が舞い降りてくる様子は、まるで太陽と月が争い、万の星が渦を巻いているかのようです。
「えいッ!」
そのとき竹童は、腰に差していた名刀代わりの棒切れを抜き放ち、迷わず怪光を放つ鷹を叩きつけました。
その鋭い気合が術を破ったのか、鷹はカーンという黄金板の音を響かせて、一直線に地上へと落ちていきました。
「うーむ、しまった!」
多宝塔の上で遠隔術の印を結んでいた呂宋兵衛は、青白い額からタラタラと脂汗を流しました。しかし、すぐさま蛮語の呪文を唱え、口いっぱいに妖気をふくんでフーと吹きかけると、遥か上空の竹童と鷲の周りだけが、薄墨をかけたように円くぼやけてしまいました。
最初は薄黒い妖気が雲のように見えていましたが、やがてチラチラと銀色の光に砕け散りました。見ると、それは数万数億もの白い毒蝶です。
いくら打っても払っても、銀色の雲のように群がってくる蝶の群れに、さすがの竹童もこれには弱り果てました。
同時に、何者かが妖術で邪魔をしていると察した竹童は、かねて果心居士に教えられていた「破術遁明(はじゅつとんめい)の急法」を行い、蝶の群れの一角を突き破って、無我夢中で鷲を飛ばそうとしました。しかし、クロは白蝶群の毒粉にめまいを起こして翼を弱め、木の葉が落ちるようにクルクルと舞い降りていきました。
多宝塔の上からそれを見下ろした呂宋兵衛は、してやったりとほくそ笑み、塔の中へと姿を隠しました。やがて金銀珠玉の寺宝を盗み出すと、庄屋の狛家へ運び込み、野武士の残党どもに酒蔵を壊させ、大酒宴を始めたのでした。寺には僧侶たちが斬り殺され、森の中では裸にされた老人や子供たちが縛り上げられ、飢えと恐怖におののいていました。
戦国の世の悲しい性(さが)で、この荒くれ者たちのひどい行いを取り締まる代官所もなければ、止める政府も存在しません。
こうして呂宋兵衛たちは、この村を食いつくしたら次の村へ、その村をめちゃくちゃに荒らしたらまたその次へと、群れをなして田畑を枯らす害虫のように渡り歩くつもりでいたのです。
これは彼ら一族に限ったことではなかったようで、戦国時代の弱い民たちのあいだには、「狼と野武士さえいなければ、山の中は極楽だ」という皮肉なことわざさえあったほどでした。
さて、いっぽうの竹童は、どこへ降り立ったのでしょうか。
降りた場所をふと見ると、そこは幸運にも五湖方面から法師野地方へ通じる街道の途中でした。
小広い平地があり、竹林が茂った隅に一軒の茅葺き屋根の家が見え、裏手を流れる川のしぶきのなかから「ゴットン、ゴットン……」と、水車がのんびりと回る音が聞こえてきます。
さっきは呂宋兵衛の遠隔術に悩まされて、愛鳥のクロもずいぶん疲れている様子でした。そのため竹童は、水車のある流れで鷲に水を飲ませ、自分も一口すってから、一刻も早く合図の狼煙(のろし)をあげて知らせようと、あたりを見回しました。そして、クロをそこに置いて、一目散に裏の小山へ登り始めたのです。
ところが、その水車小屋には、一昨日からある男が張り込んでいました。
呂宋兵衛から見張りを命じられていた、早足の燕作(えんさく)です。
毎日退屈していた彼は、今日通りかかった泣き虫の蛾次郎(がじろう)を小屋のなかへ引っ張り込み、こんなに良い天気だというのに戸を閉めきったまま、二人で何かに夢中になっていたのでした。
鷲盗み
一
入口も窓も閉めきってあるので、水車小屋のなかは真っ暗です。
ただ、蝋燭(ろうそく)が一本立てられているだけ。
そこで、早足の燕作が、泣き虫の蛾次郎に、ろくでもない秘密を伝授しています。
何かと思えば、博打(ばくち)です。
することに困って博打のやり方を教えるとは、教える先生も先生なら、教わる弟子も弟子で、どちらも褒められた人物ではありません。
「おい蛾次公、まだ懐(ふところ)に金があるんだろう。勝負ごとは、ケチケチしていると負けるもんだ。なんでも気前よくザラザラと出しちまいな」
「だって燕作さん、いまそこへ出した小判は?」
「わからねえ男だな。いまのはお前が負けたから、俺にとられてしまったんだよ。それを取り返そうと思ったら、持っているだけいっぺんに賭けてみな」
「だって負けるとつまらないや」
「そこが男の度胸じゃねえか。鏃師(やじりし)の蛾次郎ともあろうお前が、それくらいの度胸がなくって、将来天下に名をあげることができるもんか。ええ蛾次ちゃん、しっかりしろやい」
と燕作は、あの手この手を使って、蛾次郎の持ち金を残らず巻き上げようと必死です。
蛾次郎が身分不相応な小判をザラザラ持っていたのは、向田ノ城の一室で、菊池半助(きくちはんすけ)からもらった金でした。
彼は本来、その報酬として竹童の鷲を盗み、裾野(すその)の戦いが始まる前に菊池半助の陣へ駆けつけるはずでした。
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