わしは、みなさんから物を恵んでいただいて、不自由なく暮らしていますから、わしの方でも、欲しい人には字を書いて差し上げますじゃ。もっとも、自分の気分の悪いときは書けませんがの」
と答えました。
また亀田先生が、
「一つ、江戸へ出てこられてはいかがですか。それだけの手を持っていられれば、弟子の百人や二百人はすぐ集まりましょう。ぱっと有名になりましょう」
と誘うと、良寛さんは、
「いや、わしは、ぱっと有名になりたくありませんのじゃ。わしは、何一つ世のためになるようなことはできた、ほんとの能無しじゃから、この山の中にこっそり暮らさせていただけるさえ、有難いことと思っておりますじゃ」
と答えるのでした。
そう言われると亀田先生は、もう何も言うことがありませんでした。
二人は書が好きなばかりでなく、酒も好きだったので、夜になると良寛さんが買いに行くことになりました。
「じゃ、麓の村までひと走り行ってくるで、あんたは鼻歌でも歌って待っていておくれ」
そう言って良寛さんは、徳利(とっくり)をぶら下げて出ていきました。
風のない静かな夜です。庵の周囲では虫の声がしています。庵の中でも、こおろぎが鳴いています。一匹のこおろぎは、ぼとっぼとっと筵(むしろ)の上を跳んできて、亀田先生が寂しく思いながら見つめている行燈(あんどん)の下にとまりました。
そして長い時間が過ぎました。頭の上で雁(かり)の声がしました。亀田先生は待ちくたびれてしまいました。
――どうしたんだろう。いくら麓の村といっても、もう帰ってきていい頃だ。
とうとう待ちきれなくなって、亀田先生は庵を出て、麓の方へ迎えに出かけました。少し下りたところに少しの広場があって、そこから下の眺めがよかったです。誰かが、そこの松の木の根元に腰をおろして、爽やかにのぼった月を見ていました。
「良寛禅師じゃありませんか」
と、亀田先生は声をかけました。
「ああ、わしじゃ。見られい、いい月じゃ。いい月じゃのう」
と、良寛さんは月から目を離しませんでした。
「いい月ですね。月もいいですが、酒は手に入りましたか」
と亀田先生が言うと、良寛さんは胸をつかれたようにハッとして、そばに置いてあった徳利を掴むや、さあっと麓の方へ走り出しました。
良寛さんは月に見惚れて、酒のことを忘れていたのです。「いやはや、まいったな」
残された亀田先生は、苦笑いしながら心の中でつぶやきました。
「あの天下の亀田鵬斎が、待たされたあげくに忘れ去られるなんて。これが初めての経験だよ」
良寛禅師という人には、まったくかないません。
しかし亀田先生は、そんな良寛さんのことが、ますます好きになり、深く尊敬するようになったのです。
さて、亀田先生が上州屋のために書いてあげた広告看板は、その後どうなったでしょうか。
ある日のこと、また一人、通りすがりの人が上州屋の「酢、醤油、上州屋」という看板に目を留めました。
その人は、こう言いながら上州屋の中へ入ってきたのです。
「障子に貼ってあるのは、亀田鵬斎先生の筆跡とお見受けするが、そうではないかな?」
それは、同じく書の名手として知られる巻菱湖という人物でした。
巻先生は、亀田先生が良寛さんの字に対して言ったのと同じようなことを口にしました。
「亀田先生ほどの書を、こんな道端にさらしておくなんて法がありますか。私に代わりのものを書いて進ぜるから、これはしまっておきなさい」
そこで亀田先生の書いた「酢、醤油、上州屋」は奥へしまわれ、代わりに巻先生の書いた看板が掲げられました。
しかし、巻先生の看板も、あまり長く通行人の目に触れることはありませんでした。
やがて富川大晦という、これまた書道の先生がやってきて、巻先生の看板をしまわせ、自分の書いた「酢、醤油、上州屋」を掲げさせたからです。
これらを見れば、一番初めに広告を書いた良寛さんが、どれほど抜きん出た書家であったかがわかるでしょう。
十六 船頭の試み
渡しの船頭、武助さんは横柄な性格の人でした。
そして武助さんの一番いけないところは、誰の言うことに対してでも、必ず反対意見を言わずにはいられない、どうしようもない癖でした。
たとえば誰かが、「あそこの家で、足の裏にあざのある赤ん坊が生まれたそうだよ。おめでたいことじゃないか。将来、きっと立派な身分になるに違いない」と話しているのを聞くと、武助さんはすぐさま反対したくなるのです。
自分でも、そんなことを言うべきではないと分かってはいるのですが、口から言葉が飛び出したくてたまらなくなるので、どうしようもありません。
そこで、「何がめでたいことがあるもんか。足の裏にあざがあるなんて、猫か何かの生まれ変わりだ。ろくなことにはならないさ。今にその家は、家計が傾いて骨までしゃぶられるのがオチだ」と言い捨ててしまうのです。
実際には、赤ん坊の足の裏にあざがあるからといって、その家の運勢がどうなるかなんて誰にもわかりません。
しかし、そんなことはさておき、武助さんにこんな風に否定されては、話を始めた人も気分を害するに違いありません。
ある日、武助さんはまたこの悪い癖を出してしまいました。
三人の村人たちが、武助さんの船に乗ってきたのです。三人は煙草をくゆらせながら、良寛さんというお坊さんの話を始めました。
「良寛さんは立派なお人だ。本当に立派な人というのは、偉そうなことは言わない。説教もしない。ただ黙っている。それなのに、自然と他人を感化してしまうのだからね」
「良寛さんというのは、そんな方なのですか。何でも、もとは出雲崎の名主の長男だったが、十八の時に出家して、長い間日本中を修行して歩き、三、四年前になって越後に帰ってきたと聞きましたが」
「その通りです。しかも良寛さんは、少しも威張らない。ある家へやってくると、まるで下男のように庭を掃いたり、赤ん坊の守りをしたり、時には風呂を焚いたりすることまであるのです。そうしていると不思議なことに、家の人たちの気持ちが和やかになって、今まであったいざこざも、自然と溶けてなくなってしまうというわけです」
「それはまるで、春の陽光のような方ですね」
聞き手はそう言って、空を仰ぎました。
強くはない柔らかな春の陽光が、川面や、川の向こうの土手の枯れ草に降り注いでいました。
(そんな話は嘘だ、そんな人間がこの世にいるもんか)
黙って聞いていた船頭の武助さんは、心の中で毒づきました。
「本当に、春の陽光のような方ですな。そばにいると、温かく楽しくなってくる。その証拠に、良寛さんが道端に座っていると、雀が――ほら、そこらに飛んでいる雀がですよ――良寛さんの肩や手に止まって、まるで安心しきって遊ぶのです。雀のような生き物が懐くというのは、仏様のような方でなければあり得ないことですよ」
(そんな話は出鱈目だ。もしそれが本当なら、良寛という坊主は大馬鹿野郎だ。雀が肩や手にとまっても捕まえられないような奴は……)
武助さんはそう言いたくてたまりませんでした。
もう口から言葉が出かかっていましたが、残念ながらちょうどその時、船が向こう岸に着いてしまいました。
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