あまりにも同じことが何度も繰り返されるものだから、のちにはその家々も十分に注意して火の元の予防をするようになったのですが、それでもついに火事を免れることができた家は一軒もなかったと言われています。
九七 飯豊(いいでよ)の菊池松之丞(まつのじょう)という人が重い熱病(傷寒)にかかり、何度も呼吸が止まりそうになるほど弱っていた時、夢うつつの中で「自分は田んぼに出て、菩提寺であるキセイ院へ急いで行こう」と思いました。
足に少し力を入れてみたところ、なんと図らずも空中にフワリと飛び上がり、およそ人の背丈ほどの高さを、ゆるやかに前へ下りながら進んでいきました。また少し力を入れれば、はじめのようにフワッと空へ昇っていきます。
それは何とも言い表せないほど心地の良いものでした。
お寺の門に近づくと、たくさんの人だかりができています。
「いったいどうしたんだろう?」と不思議に思いながら門をくぐると、そこには鮮やかな赤いケシの花が一面に咲き乱れ、見渡すかぎりどこまでも広がっていました。
気分はますます最高潮によくなります。
そんな花の間に、すでに亡くなっている父親が立っていました。
「お前も来たのか」と父親が言います。
これに何か返事をしながらさらに進んでいくと、かつて亡くしてしまった自分の男の子が寄ってきて、「トッチャ(お父ちゃん)、お前も来たのか」と言いました。
「お前はここにいたのか」と言いながら近づこうとしたところ、「今ここに来てはいけないよ!」と制止されました。
ちょうどその時、お寺の門のあたりから、うるさいほどに自分の名前を大声で呼ぶ者たちがいて、煩わしいことこの上ありませんでしたが、どうしようもなく、心も重く、嫌々ながら引き返した……と思ったところで、パッと意識が戻りました。
親族の者たちが寄り集まって、顔に水を打ちかけたりして必死に呼び戻してくれたのでした。
九八 道の脇に、山の神、田の神、塞の神(村の境界や辻を守る神)の名前を彫った石を立てておくことは、ごくありふれた光景です。
また、早池峯山や六角牛山の名前を刻んだ石は、遠野郷の中にもいくつかありますが、それよりも海の近くの浜のほうに特にたくさん見られます。
九九 土淵村の助役である北川清という人の家は、「字・火石(あざ・ひいし)」という場所にありました。
代々続く山伏(修験者)の家系で、祖父は正福院(しょうふくいん)といい、大変な学者でもあり、多くの著作を残し、村のために尽くした立派な人でした。
清の弟である福二(ふくじ)という人は、海岸の田の浜(たのはま)という地域へ婿養子に行っていたのですが、数年前の巨大な津波(大海嘯)に遭って妻と子供たちを失い、生き残った二人の子供と一緒に元の実家の敷地に小さな小屋を建てて、一年ばかり暮らしていました。
ある年の初夏の月夜のこと、用を足すために夜中に便所に起きました。家からトイレまではかなり離れていて、そこへ行く道は波が打ち寄せる渚を通るルートでした。
あたり一面に霧が立ち込める夜だったのですが、その霧の中から、男女二人の人間がこちらへ近づいてくるのが見えました。よく見ると、その女の人は、なんと亡くなったはずの自分の妻でした。思わずそのあとを追いかけて、遠くの船越村(ふなこしむら)の方へ行く、岬の洞穴がある場所までついていき、「おーい」と名前を呼んだところ、女は振り返ってニッコリと笑いました。
男がよく見ると、この男も同じ村の者で、津波の災害で亡くなった人でした。
自分が婿養子に入るよりもずっと前に、二人はお互いに深く心を通わせ合っていたと聞いていた相手の男でした。
「今はこの女の人と夫婦になって一緒に暮らしているんだ」と言うので、「子供たちは可愛くないのかい?」と尋ねたところ、女は少し顔色を変えて泣き出しました。
亡くなったはずの人と話しているとは思えないほどリアルで、だんだん悲しく切なくなってきたので、福二が自分の足元を見つめている隙に、男女は再び足早にそこから立ち去り、小浦(おうら)へ行く道の山の陰に入り込んで、見えなくなってしまいました。
慌てて追いかけてみたものの、途中でふと「相手はすでに亡くなった人間だったんだ」と思い当たり、夜が明けるまで道端に突っ立って色々と考え込み、朝になってからようやく自分の家に帰ってきました。
それからというもの、長らくの間すっかり病気になって寝込んでしまったということです。
一〇〇 船越の漁師の、ある男の話。
ある日、仲間の人たちと一緒に吉利吉里(きちりぎり)という場所から帰る途中、夜遅くに四十八坂(しじゅうはちざか)のあたりを通りかかったところ、小さな川がある場所で一人の女の人に出逢いました。
よく見ると、それはなんと自分の妻でした。
しかし、こんな夜中に一人でこんなところに来るわけがありません。「きっとこれは化け物(妖怪)に違いない!」と心の中で決めつけ、いきなり魚を切る包丁を持って後ろからブスッと突き刺したところ、悲しい声をあげてその女は死んでしまいました。
しばらくの間は化け物の正体を現さなかったので、さすがに少し心配になり、そのあとの始末を一緒に行動していた仲間に頼み、自分は急いで馬を飛ばして家に帰ってみたところ、妻はなんともない様子で家で待っていました。
「今、すごく恐ろしい夢を見たんだ。あなたの帰りが遅いものだから、心配になって夢の中で途中まで迎えに出たんだけど、山道でなんだかよくわからない奴に脅かされて、殺される!と思ってびっくりして目が覚めたのよ」と妻は言いました。
「それじゃあ、やっぱり!」とようやく納得して、再びさっきの場所へと引き返してみたところ、山の中で殺したはずの女は、仲間たちがずっと見ている目の前で、ついに一匹の狐の姿に変わっていったということです。
夢のなかの野山を歩いていると、こうした獣たちが人間の姿を借りて現れることがあるようです。
一〇一 一人の旅人が豊間根村(とよまねむら)を通り過ぎたとき、夜がすっかり更けて疲れ果てていたので、顔見知りの人の家に明かりがポツンと見えているのを幸いに、「ちょっと立ち寄って休ませてもらおう」と家に入りました。すると、ちょうど良いタイミングでやって来たかのように、主人が「いやあ、今夕方にちょうど死人が出たところで、家には留守番の者もいなくてどうしたものかと困っていたところなんだ。しばらくの間、家の留守番を頼むよ!」と言い残し、人を呼びに行ってしまいました。
まったく迷惑千万な話ではありましたが、どうしようもありません。囲炉裏(いろり)のそばに座ってタバコを吸っていると、亡くなった人はおばあさんで、奥の方の部屋に寝かせてあったのですが、ふと目をやると、その布団の上でむくむくと起き上がってきたのです。
「うわっ、たまげた!」と肝を潰したものの、ぐっと心を落ち着かせて、じっとあたりを見回してみました。すると、台所の流し元にある水の出口の穴から、まるで狐のような生き物が顔を突っ込み、しきりに死人のほうをじっと見つめているではありませんか。
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