初級翻訳・日本の伝説 第15話

日本の伝説

今でも生き生きと日本の田舎を巡り歩いている者たちの正体は、実は私たちの「御姥子様(おうばこさま)」なのでした。
だからこそ、この神様を道の脇や峠の上、広々とした野原のはずれ、そして旅人が喜びをこめて水をくむ泉のほとりに祀るようになったのです。また、「関の姥神(せきのおばがみ)」という名前が生まれたのも、熱田(あつた)の境川(さかいがわ)にある「おんばこ堂」なども、もとはといえばこうした姥と子どもを祀っていたからこその名前なのだろうと私は思います。
箱根の「姥子(うばこ)」も、古い伝説は人々に忘れ去られてしまいましたが、きっとあの温泉が発見されたときにも、何か一つの素晴らしい物語があったに違いありません。
みなさんも、ぜひ注意深く見てみてください。古くからの日本の昔話には、まだまだ数え切れないほどたくさんの、美しく賢い子どもたちが、おばあさん(姥)と一緒に仲良く登場しているのです。

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**片目の魚**

この次には、子どもとは少し関係がありませんが、「池の伝説」のついでに、「片目の魚」のお話を少ししてみましょう。
どうして魚の中に、目が一つしかないものが生まれるようになったのでしょうか。
私たちにも本当の理由はまだよくわかりませんが、そうした片目の魚がいる場所といえば、だいたいがお寺の前の池、あるいは神社の脇にあるきれいな湧き水です。
東京から一番近いところでは、上高井戸(かみたかいど)の医王寺(いおうじ)があります。ここの薬師様には目の病気の人がよくお参りにやって来ますが、その時にはいつも一匹の川魚を持ってきて、お堂の前にある小さな池に放すのだそうです。
すると、いつの間にかその魚は片目を失ってしまうと言い伝えられています。
夏の時期に大雨などで水があふれた時などに、池の下流にある小さな川で片目の魚を網ですくうことが時々ありますが、そんな時には「これはお薬師様の魚だ」と言って、必ずまたこの池に戻して逃がしたということです。
(『豊多摩郡誌』。東京府豊多摩郡高井戸村上高井戸)

上州(じょうしゅう=群馬県)の曽木(そぎ)にある高垣明神(たかがきみょうじん)の社(やしろ)の左手には、清らかな泉がありました。
どんなに日照りが続いても枯れず、長雨が降っても濁らず、一町(約100メートル)ほど流れて大きな川に流れ込んでいましたが、その川の途中に住んでいるウナギだけは、なぜかみんな片目でした。
しかし、そのウナギが大きな川へ入ってしまうと、また普通の目が二つに戻ると言われていました。それでも、この明神の氏子(うじこ)たちは、ウナギだけは決して食べなかったそうです。
(『山吹日記』。群馬県北甘楽郡富岡町曽木)

甲府の街の北側にある武田家城址(たけだじけいし)の堀にいるドジョウは、山本勘助(やまもとかんすけ)に似てみんな片目である、と言われていました。
ドジョウが片目であるばかりでなく、古府中(こふちゅう)の奥村(おくむら)という古い家柄の家は、その山本勘助の子孫だからという理由で、代々片目だったというお話もありましたが、実際のところはどうだったのかはわかりません。
(『共古日録』その他。山梨県西山梨郡相川村)

信州(しんしゅう=長野県)では、戸隠雲上寺(とがくしうんじょうじ)の七不思議の一つとして、「泉水(せんすい)に住む魚たちは、残らずすべて片目である」と言われていました。
また、赤坂の滝明神の池の魚も、片目が小さかったり、あるいは潰れていたりしました。
神様が、お参りに来た人々に不思議な力(霊験)を示すために、そうしていらっしゃるのだと言い伝えられています。
(『伝説叢書』。長野県小県郡殿城村)

越後(えちご=新潟県)にも、これと同じようなお話がいくつもあります。長岡の神田町では、人家の裏北側に昔「三盃池(さんばいいけ)」という池があり、そこに住む魚やスッポンはみんな片目で、食べると毒があると言われていたため、捕まえる人は誰もいませんでした。
古志郡宮内(こしぐみやうち)の一王神社(いちおうじんじゃ)の東側には、道路をはさんで田んぼの中に十坪ほどの小さな沼があり、そこの魚たちもみんな片目だったそうです。
昔、この神社の春と秋のお祭りに、魚のお供え物をしてお加持(おかじ=祈祷)をした池の跡だから、と言われていました。
四十年前ほど前に田んぼとして開墾されてしまったため、もうこの池も残っていません。
それから、北魚沼郡の堀之内(ほりのうち)の町には、山のふもとに「古奈和沢の池(こなわざわのいけ)」という大きな池があって、その水を引いて町中の生活用水にしていましたが、この池の魚もすっかり残らず片目だと言われていました。
捕まえて殺すとバチが当たる、家に持って帰って器に入れておいても、その日のうちに池へ帰ってしまうというお話もありましたが、実際は生き物を殺してはいけない決まり(殺生禁制)だったので、誰もそんなことを試した人はいませんでした。
(『温故之栞』。新潟県北魚沼郡堀之内町)

青森県では、南津軽の猿賀神社(さるがじんじゃ)の池などにも、今でも片目の魚がいるということで、「みんなめっこだあ(みんな目が一つだよあ)」という盆踊りの歌さえあるそうです。
私の知る限りでは、これが日本の一番北の端っこですが、もちろん探せばそれより北の地域にも、たくさんあるはずです。
(『民俗』。青森県南津軽郡猿賀村)

それからこちら(本州の中央あたり)へ来ると、お話は数え切れないほど多くなるばかりで、とても一つ一つ挙げていくことはできませんから、私はただ、魚が片目になった原因について、土地の人たちがなんと伝えていたかということだけを、皆さんと一緒に考えてみようと思います。
その中で早くから知られていたのは、摂津(せっつ)の昆陽池(こやいけ)の片目鮒(かためぶな)です。これは行基菩薩(ぎょうきぼさつ)という奈良時代の名高いお坊さんと関係があるお話で、少しばかり弘法大師の杖立て清水の伝説に似ています。
行基が諸国を巡る旅の途中でこの池のほとりを通りかかった時、死にかかっている汚い病人が道に寝ていて、「魚を食べさせてくれ」と言いました。
かわいそうに思った行基は、長洲の浜に出て魚を買い求めました。自分は僧侶ではありましたが、病人のためだからと思って自分で料理をしてすすめてみますと、「先に食べて見せてくれ」と言われたので、それを我慢して少し食べて見せました。
そうしているうちに、その汚い乞食は実は薬師如来の姿を現し、「私は上人の日頃の行いを試してみるために、仮に病人になってここに寝ていたのだ」と言って、有馬の山の方へ金色の光を放って飛び去っていったということです。
行基はその不思議さにびっくりして、残りの魚の肉を昆陽池に放してみたところ、その魚の切り身がどれもみんな生き返って、今の片目の鮒になったというのです。
それから後には、この池の魚を神様として祀り、「行波明神(ぎょうばみょうじん)」と名づけてお参りするようになったのでした。
あまりに本当らしくないお話ではありますが、土地の人たちは長くこれを信じて、網を下ろさず、また釣り糸も垂れず、この魚を食べる者は悪い病気になるいっておそれていたそうです。

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