東京というまちはここ四百年ほどの間にようやく形作られた新しい大都会ですが、なんとこの東京にも、弘法大師がいつの間にかやって来ていたことになっています。
上野公園の裏手にある谷中清水町(やなかきよみずちょう)には、「清水稲荷(きよみずいなり)」というお社があり、もともとはそのそばにとても有名な湧き水があったのです。
この清水がまだ湧き出る前のこと、やはり一人の年老いたお母さんが頭に大きな桶を乗せて、遠いところから水をせっせと運んでいました。そこへ弘法大師が通りかかり、そのおばあさんから水をわけてもらって飲みました。
大師が「年をとってから毎日のようにこうして水をくんでくるのは、さぞつらいだろうね」と声をかけると、おばあさんは「それだけではないのです。私にはたった一人の子どもがいるのですが、ずっと重い病気を患っていて、本当に困っているのです」と答えました。
それを聞いた大師は少し考え込んだあと、手に持っていた「独鈷(とっこ=仏具の杖)」という法具で地面をこつこつと突きました。すると、その場所からたちまち清水が勢いよく湧き出したのです。
その水はまるで甘露(かんろ=この上なく美味しい飲み物)のように美味しく、夏は冷たく冬は温かく、どんなに激しい日照りが続いても決して枯れることがないという名水でした。
おばあさんの子どもの病気がなんという病気だったのかはわかりませんが、この湧き水で体を洗ったところ、すぐにすっかり治ってしまいました。
それからというもの、多くの人たちがその水をわけてもらいにやって来るようになり、「あらゆる病気も、この水をくんできて洗い流せば必ず治る」と言い伝えられるようになりました。
稲荷のお社も、まさにこの時に弘法大師が祀(まつ)って残していったものだということで、だんだんとまちは栄え、今のように家々が立ち並ぶようになったのであります。
(『江戸名所記』。
東京市下谷区清水町)
野州(やしゅう=栃木県)の足利(あしかが)にある養源寺(ようげんじ)の山のふもとにある池なども、直径が三尺(約90センチ)ほどしかない小さな池ではありますが、これも弘法大師が加持(かじ=祈りによって不思議な力を込めること)した水だと言い伝えられており、信心深い人たちがわざわざくんでは家に持ち帰って飲んでいるそうです。
昔、ある女性にお乳があまり出なくなってしまい、赤ん坊を抱っこしたまま途方に暮れていたところへ、見慣れない旅の僧侶がやって来てその話を聞きました。僧侶はしばらくお祈りをしてから、杖で地面をぐっと突きました。すると、そこから水がスーッと湧き出してきたのだそうです。
「この水を自分で飲んでもよいし、お乳の代わりに赤ん坊に含ませてもよい。そうすれば必ず丈夫に育つだろう」と言い残して、僧侶は去っていきました。
それが弘法大師だったということについては、おそらく後になってから養源寺の人たちが言い始めたのだろうと、私は思います。
(『郷土研究二編』。
栃木県足利郡三和村板倉)
その土地に古くから伝わる言い伝えと、そのお話を聞いた人たちの受け取り方や考え方が食い違ってしまったとき、物語はこうしてだんだんと複雑で面倒なものになっていきます。
「お大師様」といえば世にも名高い偉いお坊さんのことだ、ということになってしまうと、今度はどうしても、おばあさんの傍らに愛らしい小さな子ども(若児)をもう一人連れてきて置いておかなければならなくなってしまったのです。
あまりにおそろしい気味の悪いお話もたくさんありますので詳しいことは言わないつもりですが、日本でよく耳にする「産女(うぶめ=出産で亡くなった女性の霊)」のお話なども、もとはといえばただ道の傍らにひっそりと祀られていた「母と子の神様」の姿だったのでした。
姿かたちは頼りない赤ん坊のようであっても、神様の子どもだったからこそ、そこには不思議な力が宿っていました。
道を通る人に向かって「赤ちゃんを抱っこして、抱っこして」と母親の霊が頼んでくるので、言われた通りにしばらく抱っこしていると、赤ん坊はだんだんと重くなっていきます。
その重さに弱音を吐かず、じっと我慢し続けた人は、必ずや素晴らしい宝物を授かったり、ものすごい怪力を授かったりしたのでありました。それが時代が下ると、また別のお坊さんに出会って、今度はそのお坊さんの不思議な力によって救われたというお話に変わっていき、産女はごく普通の人の幽霊のような姿になってしまいました。
しかし、幽霊が子どもを連れてやって来るのもおかしな話ですし、人々に幸福を与えてくれるというのも、ますますイメージに合いません。
これには、きっと何か別の理由があったのです。
土地によっては、「夜泣き松」や「夜泣き石」などと言って、真夜中になると橋のたも増や坂の入り口で、赤ちゃんの泣き声がするという言い伝えもありますが、それを恐ろしいこととは思わず、「この村に新しい赤ちゃんが産まれる知らせだ」と捉える地域もあります。
あるいはまた、こんなお話もあります。ある女性が、夜になると赤ん坊の泣き声が聞こえて困り果て、その松の木のほうへ行ってみると、旅の僧侶通りかかって赤ん坊を抱っこしてくれました。
そして、松の小枝に火をともし、その明かりを子どもに見せたところ、ピタリと泣き止んだのです。
それからというもの、この松の下に神様を祀るようになり、また夜泣きをする子どもがいる家では、その松の小枝を折ってきてランプの火の種にする、という風習がある地域もあります。
九州の宇佐八幡(うさはちまん)のあたりでは、弘法大師ではなく、この僧侶のことを「人聞菩薩(ひときぼさつ)」と呼んでいます。
「人聞菩薩とは、八幡大菩薩(はちだいまぼさつ)が人間の姿に化けて、村々を歩いていらっしゃるのだ」と言う人もいましたが、こんな奇妙な名前の僧侶がいるはずもないと私は思うので、おそらくこれは「人の母」、すなわち「人母(ひとのはは)」という言葉が、この神様への信仰とともに昔から語り継がれてきた名残なのではないかと考えています。
「子安(こやす)」という、母と子を守る神様は、今でも関東地方のあちこちに祀られています。
それは、気品のある女性が子どもを抱いている石の像です。
もともと「姥(うば)」というのは、ただ単に「女の人」を表す言葉でした。
父親の妹を「叔母(おば)」と呼ぶのも、あるいは将来叔母になるはずの二番目以下の女の子を、子ども(小娘)のうちから田舎で「おば」と呼んでいるのも、もとはすべて同じ一つの言葉だったのです。
それが、あとになってから「おばあさん」のような老女の姿として想像されるようになり、ついには「三途の川の老婆」のような、おそろしい石の像として作られるようになってしまいました。
仏教が日本に伝わってくるよりもずっと前から、「子安の姥の神様」は美しい湧き水のほとりに祀られていました。
弘法大師がこの世を去ってから千年が過ぎた今でも、新しい湧き水は次々と発見されており、いわゆる「大師の井戸」や「お大師水」といった伝説は、そうした古い信仰とともに今なお流れ続けているのです。
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