今の当主の名前は「安倍与右衛門(あべよえもん)」といい、村の中でも二、三番目に入るくらいのお金持ちで、村の会議の議員をつとめています。
安倍貞任の子孫だというお家は、この土淵村のほかにもたくさんあります。
盛岡の「安倍館(あべだて)」の近くにもその子孫の家があります。そこは、かつて源義家と戦った「厨川の柵(くりやかわのさく)」にとても近いおうちです。
土淵村の安倍家から四、五町ほど北へ行ったところ、小烏瀬川(こがらせがわ)の川がカーブしているところにも、昔の館の跡があります。
それは「八幡沢の館(はちまんざわのたて)」と呼ばれているものです。
源義家(八幡太郎)が陣屋を構えたというのは、まさにここのことです。
ここから遠野の町へ向かう道すがらには、「八幡山(はちまんやま)」という山もあります。その山の、八幡沢の館の方に向かっている山のてっぺんにも、もう一つの古い館の跡があります。
そちらは安倍貞任が陣屋にした場所だと言い伝えられています。
二つの館の間は、二十町(約2キロメートル)ほどの距離が離れています。
むかし、この二つの館の間で激しい矢の戦い(合戦)が繰り広げられたという言い伝えがあり、地面からは昔の矢の根(鏃=やじり)がたくさん掘り出されたことがありました。
この二つの館の間には、「似田貝(にたがい)」という村の集落があります。
戦のむかし、このあたり一帯はアシ(葦)がボーボーと生い茂っていて地面の土がかたまっていず、人が歩くと「ユキユキ」と足元が心もとなく揺れ動くような場所だったということです。むかし、八幡太郎ここを通ったとき、敵か味方かの兵糧のためか、たくさんのお粥が置いてあるのを見て、「これは煮たお粥か」と言ったことから、この村の名前がついたということです。
似田貝の村の外を流れる小さな川を「鳴川(なるかわ)」と言います。
この川を挟んで「足洗川村(あしあらいかわむら)」という村があります。
鳴川のところで、義家が足を洗ったからこの村の名前がついたということです。
○「ニタカイ」という名前は、アイヌ語の「ニタト(湿地のこと)」からできた言葉のようです。
地形もぴったり合っています。
西の国々では「ニタ」とか「ヌタ」とか言いますが、みんなこれと同じ意味です。
下閉伊郡の小川村にも「二田貝」という漢字の場所があります。
六九 いまの土淵村には、「大同(だいどう)」という家が二軒あります。
山口の大同という家では、ご主人の名前を大洞万之丞(おおほらまんのじょう)と言います。
この人の育ての母の名前を「おひで」と言い、八十歳を過ぎているのに今でもとても元気です。
佐々木君(著者)の、おばあちゃんのお姉さんにあたる人です。
このおばあちゃんは不思議な魔法や呪術が得意でした。
まじないで蛇を殺したり、木に止まっている鳥を落としたりするのを、佐々木君は何度も見せてもらったことがあります。
去年の旧暦の正月十五日に、このおばあちゃんがこんなお話を語ってくれました。
むかし、あるところに貧しい百姓がいました。
奥さんはもういなくて、とても美しい娘がいました。
その家では、一匹の馬を飼っていました。
娘はこの馬のことが大好きで、夜になると馬小屋に行って一緒に寝るようになり、ついに馬と夫婦になってしまいました。
ある夜、お父さんはこの秘密を知ってしまい、次の日に娘にはナイショで馬を連れ出し、桑の木につるして殺してしまいました。
その夜、娘は馬がいなくなったのでお父さんに尋ねてこの出来事を知り、びっくりして悲しみながら桑の木の下へ行き、死んでしまった馬の首にすがりついて泣きました。するとお父さんはそれを嫌がって、後ろからオノで馬の首を切り落としてしまいました。するとどうでしょう、娘はその馬の首に乗ったまま、空へとスーッと昇っていってしまったのです。
「オシラサマ」という神さまは、このときの出来事から生まれた神さまです。
馬をつり下げていた桑の枝を使って、その神さまの木の人形を作りました。
その人形は全部で三つありました。
一番大きくて立派な木で作られたものは、山口の大同の家にあります。これを「姉神(あねがみ)」と呼びます。
中くらいの大きさで作られたものは、山崎の在家権十郎(ざいけごんじゅうろう)という人の家にありました。佐々木君の伯母さんがお嫁に行った家なのですが、今はその家が途絶えてしまい、神さまがどこへ行ってしまったのか分からなくなっています。
一番小さく作られた「妹神(いもうとがみ)」の木人形は、いまは附馬牛村(つきもうしむら)にあると言われています。
七〇 同じおばあちゃんのお話によると、「オクナイサマ」という神さまは、オシラサマがある家には必ず一緒におられる神さまだそうです。
でも、オシラサマはいないけれどオクナイサマだけがいるという家もあります。
それに、家によって神さまの人形のかたちもさまざまです。
山口の大同にあるオクナイサマは木の人形ですが、山口の辷石(たにえ)という人の家にあるものは掛軸(かけじく)です。
田んぼの中にいらっしゃる神さまは、また木の人形です。
飯豊(いいで)の大同の家にも、オシラサマはいないけれどオクナイサマだけはいらっしゃるということです。
七一 このお話をしてくれたおばあちゃんは、とても熱心な仏教(お念仏)の信者なのですが、ふつうの人たちの信仰とはちょっと違っていて、なんだか少し秘密めいた特別な信仰を持っていました。
仲間たちに教えを伝えることはありますが、そのやり方についてはお父さんにも子どもにも、ほんの少しも秘密にして絶対に教えません。
お寺や普通のお坊さんとはまったく関係がなくて、ふつうの家の人たちだけで集まるグループです。
集まっている人たちの数もそんなに多くありません。
辷石たにえという女性なども、同じ仲間のひとりです。
阿弥陀仏(あみだぶつ)の特別な日には、夜中になってまわりが静まるのを待ってこっそり集まり、人目につかない部屋のなかでお祈りをします。
不思議な魔法や呪術がとても得意だったので、まわりの村の人たちに対しても、一種の特別な権威やおそれられていようなところがありました。
七二 栃内村(とちないむら)の「琴畑(ことばた)」というところは、深い山のなかの沢にあります。
家の数は五軒ほどで、小烏瀬川(こがらせがわ)の支流の水源の近くです。
ここから栃内の村の人たちが住んでいるところまでは、二里(約8キロメートル)ほど離れています。
琴畑の入口のところには、古い塚(お墓のようなもの)があります。
その塚の上には、木の座像(座っている仏像のようなもの)が置いてあります。
だいたい大人の人間のくらいの大きさで、昔はちゃんとした小さなお堂の中にありましたが、今は屋根もなく雨風にさらされたままになっています。
村の人たちはこれを「カクラサマ」と呼んでいます。
村の子供たちがこれをオモチャにして、引っ張り出して川へ投げ込んだり、道路を引きずり回したりするので、今では鼻も口もどこにあるか分からないくらい削れてしまっています。
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