初級翻訳・日本の伝説 第42話

日本の伝説

仏教の世界でも、地蔵尊は人々を救うために、どこへでも出向き、誰とでも親しくおつきあいなさるということで、つまらない旅の僧の姿で杖を持ち、絶えず歩き回っていらっしゃると考えられていますが、日本の言い伝えはそれだけにとどまらないようです。

遠州の山の中にある村では、ある農夫が粟畑の夜番をするのに困り果てて、「もしこの畑の番をして、鹿や猿に粟を食べさせないようにしてくださったら、後で美味しい粟の餅を作って差し上げます」と、石のお地蔵さまに向かってお願いしました。
そうして約束したこともすっかり忘れていると、お地蔵さまが大そう立腹されて、その男は病気になってしまいました。驚いて自分の過ちに気づき、あわてて粟の餅を持ってお参りに行くと、すぐに病気がすっかり治ったというお話もあります。

尾張の宮地太郎という武士が花見をしていると、山の地蔵さまが山伏の姿に化けてやって来て、垣根の隙間から覗き見ました。そこで中に招き入れられて一緒に歌を詠み、烏帽子をかぶって鼓を打ち、お獅子の舞を踊ったというお話もあります。

またある所には、大変信心深いお年寄りがいて、毎日夜明け前に門口に出て、地蔵さまが村を巡り歩かれるお姿を見ようと待ち構えていました。何年もの間そうし続けているうちに、ついにそのお地蔵さまをこの目で拝むことができたということです。そのご様子は、人間の姿と少しも変わらなかったといわれています。

「地蔵の夜遊び」という不思議な出来事は、多くの村々で耳にするお話でした。
例えば、埼玉県の野島の浄山寺(じょうさんじ)の片目地蔵などは、あまりにも夜な夜な外へ出歩くものですから、お寺の住職が心配して、その背中に釘を打ち込んで鎖でつないでおいたところ、たちまち仏罰が当たって重い病気にかかり、死んでしまいました。
それからはまた自由に夜遊びをさせていたところ、ある時お茶畑に入り込んで茶の木で目を突いてしまったということで、今でもその木像は片目です。
また、その目の傷を門前の池の水で洗い流したといって、今でもその池に住んでいる魚は、一匹残らずすべて片目であるそうです。
(『十方庵遊歴雑記』。
埼玉県南埼玉郡萩島村野島)

東京でも、下谷金杉(したやかなすぎ)の西念寺(さいねんじ)に「眼洗地蔵(めあらいじぞう)」というものがありました。
それから「鼻欠地蔵(はなくけじぞう)」だの「塩嘗地蔵(しおなめじぞう)」だのと、面白い名前のお地蔵さまがいくつもありました。
「夜更地蔵(よふけじぞう)」「踊地蔵(おどりじぞう)」「物言う地蔵(ものいうじぞう)」などというものもありますが、そうした伝説も今では多くは残っていません。

また時々は、道端のお地蔵さまがちょっといたずらをして、旅人を困らせたという話もあります。
相州大磯(そうしゅうおおいそ)には「化け地蔵(ばけじぞう)」、別名「袈裟切地蔵(けさきりじぞう)」と呼ばれるものがもとはありました。
伊豆の仁田(にた)の「手無仏(てなしぼとけ)」というのも石のお地蔵さまであって、毎晩のように鬼女に化けては通りかかる人々をおどかしていました。ある時、強い若い武士に出くわしてしまい、腕を切り落とされて林の中へ逃げ込みました。
翌朝になって見に行ってみると、お地蔵さまの手が田んぼのあぜ道に落ちていたというのも、なんともおかしなお話です。
(『伊豆志』。
静岡県田方郡函南村仁田)

「しばられ地蔵」というものにはいろいろな由来があり、京都の壬生寺(みぶでら)の縄目地蔵などは、その一つが「身代わり地蔵」でありました。
武蔵の国の住人である香匂新左衛門(か匂しんざえもん)が、このお寺にかくれて追っ手から逃れ、まさに絶体絶命のピンチという時に、ご本尊のお地蔵さまが身代わりになって捕らえられました。追っ手たちがぐるぐる縄で縛り上げてからよくよく顔を合せてみると、なんとそれがお地蔵さまであったという、なんともそそっかしいお話です。
かと思うと、品川の願行寺(がんぎょうじ)のしばり地蔵などは、何か願い事のある人が毎日やって来ては、上から上へと縄で何重もしばり上げたのでした。それを一年に一度十夜の晩に、お寺の住職さんがすっかりほどいておくのですが、次の日になるとまたすぐにしばり始めるのでありました。
(『願掛重宝記』。
東京府荏原郡品川町南品川宿)
もとはこれらは縄を結ぶだけで、きつくしばるというわけではなかったようであります。
今でも神木やお堂の戸の金網などに、紙切れや糸紐を結びつけることがよくありますが、こうして人間と神様との間に、目に見えない連絡をつけようとしたらしいのであります。
前に鼻取地蔵の話をした上作延の村などにも、「しばり松」あるいは「聖松(ひじりまつ)」と呼ばれる大木が昔はあって、願い事をする人は縄を持って来て、この松をぐるぐるしばりました。
そうして願いごとがかなうと、お礼にお参りをしてその縄を解いたのであります。
いつしか「しばる」という言葉から、何か悪いことでもして罰せられているかのように考えるようになり、そこからいろいろなお話が生まれて始まったのでした。
亀戸の天神さまの境内には、「頓宮神(とんぐうじん)」という小さなお宮があって、その中にはおじいさんとおばあさんの木像が置いてありました。
その木像の後ろには、青い鬼と赤い鬼の二つの鬼が縄を持って立っています。
この頓宮神というのはおじいさんのほうのことで、昔、菅原道真公が筑紫へ流された時、おばあさんはとても親切にしてくれましたが、おじいさんのほうは実につらくあたったのだそうです。
それで今でもお参りをする人は、わざわざ鬼の持っている縄でおじいさんの体をぐるぐる巻きにして、天神さまに願い事をするのです。
そして、七日目になるとその縄を解くのだといわれています。
(『願掛重宝記』。
東京府南葛飾郡亀戸町)
雨乞いの祈祷(きとう)のときにも、石のお地蔵さまはよくしばられました。
羽後の花館(はなだて)の滝宮明神(たきのみやみょうじん)は水の神様で、もともとのご神体は昔、石のお地蔵さまでありました。
土地の人たちはこれを「雨地蔵」または「雨恋地蔵(あまごいじぞう)」とも呼んでいて、雨の降らない日照りの年には、長い綱をしばりつけて、石像を洪福寺淵(こうふくじぶち)という淵の底に沈めておきます。すると、それが必ず雨乞いになって、雨を降らせてくれるといわれていました。
(『月之出羽路』。
秋田県仙北郡花館村)
場所によっては、ただ雨乞いのためにお地蔵さまの姿を人々に公開する「開帳(かいちょう)」をしただけで、雨が降るものと信じていた村もありました。しかし、それだけではなかなか雨が降らないこともあったので、時にはもっと手厳しいことをしたのであります。
熊野の芳養村(はやそん)のどろ本の地蔵尊などは、お地蔵さまの像を首の根っこまで川の水にしっかりと浸して、雨乞いをしました。
(『郷土研究一編』。
和歌山県西牟婁郡中芳養村)
播州の船阪山(ふなさかやま)の水掛地蔵は、お堂の脇にある古い井戸の水を汲み出し、その水の中で地蔵さまに行水(ぎょうずい)をさせ、あとからその水を信心深い人たちがありがたく飲みました。

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