初級翻訳・日本の伝説 第11話

日本の伝説

だけど、日本のむかしからの考え方では、人間のしあわせや不しあわせは、神さまに対して私たちのしたことが「正しいかどうか」によって決まると信じられていました。
その考え方は、今でも新しい問題が起きると、ときどき顔を出すことがあります。
だから私なんかは、これらを弘法大師のお話にしたのは、本当はなにかの人違いだったのではないかと思うのです。
そのあたりのことは、これからもみなさん自身で考えてもらうとして、もう少しめずらしい伝説の例をあげておきましょう。

石芋や食わず梨とはちょうど反対のお話に、「煮栗(にぐり)・焼き栗」という伝説が、あちこちの土地にあります。
これも今では弘法大師の力で、一度煮たり焼いたりした栗の実が、ふたたび芽を吹いて木になり、今でもたくさん実がなっていると言われているのです。
越後の上野原などにある焼き栗は、親鸞上人(しんらんしょうにん)のお話になっていますが、やっぱりある信心深いおばあさんがさしあげた焼き栗を、「ためしに土に埋めてみよう。もし私の教えが、後の世でも栄えるなら、この焼き栗も芽を出すだろう」と言って、お坊さんが植えられたのだそうです。
すると、おっしゃったとおりにその栗が大きく育って立派な栗林になり、しかも「三度栗(さんどぐり)」といって、一年に三度も実を結ぶようになったというのです。
どうしてこんなお話ができたかというと、この種類の柴栗(しばぐり)は、ほかの栗よりもずっと色が黒くて、火に焦げたように見えるからなのですが、京都の南の方にある村でもやっぱり同じお話があって、こちらは「天武天皇(てんむてんのう)のご功績だ」ということになっています。
天武天皇が一時、吉野(よしの)の山にお入りになるとき、この村でお休みになられたところ、村人が煮た栗をさしあげました。
「もう一度この村に帰ってくることがあれば、この煮た栗も芽を出すだろう」と言って、天皇がお植えになった実が大木になって栄え、その子孫の木がずっと伝えられているというのです。
あるいはまた、春日の明神さまがはじめて大和(やまと)にお引越しになられたときに、お付きの神主が煮栗の実をまいたのだと言う人もいます。
こんなふうに、伝説の主人公は、かならずしも弘法大師でなければならなかったわけではないのです。

それからまた、「片身の魚(かたみのさかな)」や「片目の鮒(かためのふな)」というお話もあります。
魚を焼いて食べようとしているところへ大師がやって来て、「それを私にくれ」とたのみこみ、もらい受けて小さな池に放してやった。
それからというもの、その池にいる鮒は、片方だけが黒く焼け焦げたようになっているというのです。
あるいは、片目がなかったり、体の片側がそぎ落とされたように薄くなっていたりするというのです。
動物学の目から見たら、そんな不思議な魚がいるとはとても思えませんが、とにかく片目の魚が住んでいるという池は非常にたくさんあって、それらはどれも、神さまの神社や古いお堂のすぐそばにある池なのです。
池と弘法大師とは、こういう不思議なところでもつながりがあるんですね。

あるいはまた、「衣掛け岩(ころもかけいわ)」や「羽衣の松(はごろものまつ)」という伝説もあります。
これも、水辺にめずらしい形の岩や大木がある場合に、「むかし不思議な神さまの衣がそこに引っかかったことがある」という言い伝えで、ふつうは気高いお姫様などのお話になっているのですが、それがいつの間にか弘法大師のお話に入れ替わっているところもあるのです。
備前(びぜん)の海岸の間口(まぐち)という湾の端には、船で通る人ならみんな知っている「裳掛け岩(もかけいわ)」という大きな岩があります。
これなども、「飛鳥井姫(あすかいひめ)という美しいお姫様の着物が、遠くから飛んできて引っかかった」という言い伝えがあるのですが、地元の村人たちは、またこんなふうにも言っているのです。
むかし、大師が間口の村へやって来て、「法衣(ほうい)を乾かしたいから、物干しざおを貸してくれないか」とたのんだ。
「ざおはありません」と、村の人が冷たく断ったので、大師もしかたなく、この岩の上にぬれた衣をかけてお乾きになったというのです。
おそらくこれも、一人の不親切な女の人が、あとでバチが当たったお話だったのだろうと私は思います。
(『邑久郡誌』。岡山県邑久郡裳掛村福谷)

安房(あわ)の青木(あおき)という村には、「弘法大師の芋井戸」というものがあります。
井戸の底に、里芋の葉っぱに似た植物が青々と茂っているのです。
むかし、大師がこの村のあるおばあさんの家を訪ねて、「芋をくれないか」とたのんだところ、おばあさんはケチをして、「この芋は石芋ですから食べられません」とうそをついた。
すると、たちまち家じゅうの芋がみんな石のようにかたくなってしまい、「食べられないから戸の外に捨ててしまおう」と外へ放り投げたところ、そこから水が湧き出してこの井戸になった――というのです。
これはきっと、ふたつのお話が混ざり合ったものでしょう。「芋」のほうではおばあさんはバチを受けたけれど、「井戸」のほうは土地で一番のきれいな清水だったのでした。
伝説というのは、こうして半分が欠けたり、また別のお話とくっついて一つになったりするものなのです。(『安房志』。千葉県安房郡白浜村青木)
会津の大塩という村では、山の中の泉から水をくみ出して、ちょっと前まではそれを釜で煮つめて塩を作っていました。
こんな山の奥深くに塩の出る井戸があるなんて、地元の村人たちにとっても、とても不思議なことでした。
そのため、「やっぱりこれは、すごいお力を持った弘法大師様がやって来て、ありがたい法力で塩水を湧き出させてくださったんだ」と言い伝えられていますが、このお話にも以前はなにかの女性が登場して関係していたはずなのに、今ではもうすっかり忘れてしまった人たちが多いようです。

(『半日閑話』。福島県耶麻郡大塩村)
ところが、安房(あわ)の方では神余(かなまり)の畑中(はたなか)という村に、川の流れの中から塩の井戸が湧き出している場所があって、今でもその言い伝えが語り継がれています。
むかしむかし、金丸(かなまる)という一族の家来である、杉浦吉之丞(すぎうらきちのじょう)の奥さんだった美和女(み和女)という人は、人に施しをすることが大好きで、いつも心優しく思いやりのある女性でした。
大同三年(だいどうさんねん)の十一月二十四日のこと、一人の旅のお坊さんがやって来て、「お腹が空いたので食べ物を分けてください」とたのみました。
そこで、ちょうど家に用意してあった小豆粥(あずきがゆ)を出してあげたのですが、そのおかゆには塩気がまったくなかったので、旅のお坊さんは「どうしてだろう?」と不思議に思いました。
おうちがとても貧しくて、塩を買うお金がないのだと聞いたお坊さんは、「それはお気の毒に」と言って川の岸辺に下りていき、手に持っていた杖(錫杖=しゃくじょう)を地面に突き刺してしばらくお祈りをしました。
そして、すっと杖を引き抜くと、その開いた穴から勢いよく水が吹き出し、お母さんの顔の高さまで飛び上がりました。

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