初級翻訳・日本の伝説 第2話

日本の伝説

本所の原庭町の証顕寺というお寺の横町には、二尺ばかりのお婆さんの石の像があって、小さな子どもたちが咳が出て困る時に、このお婆さんに頼むとすぐに治ると言っていました。
大きな石の笠をかぶったまま、しゃがんで両方の手で顎をささえ、鬼みたいなこわい顔でにらんでいましたが、いつも桃色の胸当てをしていたのは、病気が治ったお礼に人が進上したものと思われます。
子どもたちは、これを「咳のおば様」と呼んでおりました。
百年ほど前までは、江戸にはまだあちこちに、この石のおば様があったそうであります。
築地二丁目の稲葉対馬守という大名の中屋敷にも、有名な咳の婆さんがあって、百日咳などで苦しむ子どもの親は、そっと門番に頼んで、このお屋敷の中へその石を拝みに入りました。
もとは老女の形によく似た二尺余りの自然の石だったともいいますが、いつの頃からか、ちゃんと彫刻した石の像になって、しかもお爺さんの像と二つ揃っていました。
お婆さんの方は幾分かやさしくて小さく、お爺さんは大きくて恐ろしい顔をしていたそうですが、おかしいことには、ふたりは非常に仲が悪く、一つの場所に置くと、きっとお爺さんの方があお向けに倒されてしまうといって、少し引き離して別々にしてありました。
咳の願掛けに行く人は、必ず豆や霰餅の炒り物を持参して、煎じ茶と共にこれを両方の石の像に供えました。
そうして最もよくきく頼み方は、始めにやお婆様に「咳を治してください」と一通り頼んでおいて、次に爺様のところへ行ってこう言うのだそうです。
「おじいさん、今あちらで咳の病気のことを頼んで来ましたが、どうも婆どのの手際ではあてになりません。
何分御前様にもよろしくお願いします」と言って帰る。
そうすると殊に早く病気が治るという評判でありました。
(『十方庵遊歴雑記五編』)
 この仲のよくないお爺さんとお婆さんの石像は、明治時代になって、しばらくどこへ行ったか行方不明になっていましたが、後に隅田川の東にある牛島の弘福寺へ引っ越していることが分かりました。
このお寺は稲葉家の菩提所で、築地の屋敷がなくなったからここへ持って来たのでしたが、もうその時には喧嘩などはしないようになって、ふたり仲よく並んでいました。
そればかりでなく「咳の婆様」という名前も人が忘れてしまって、誰がいい出したものか、腰から下の病気を治してくれると言って、頼みに来る者が多くなっていました。
そうしてお礼には履き物を持って来てあげるとよいということで、像の前にはいろいろの草履などが納めてあったそうです。
(『土俗談語』)
 食べ物を進上して口の病気を治してもらったお婆様に、後には足の病気を頼み、お礼に履き物を贈るようになったのは、ずいぶん面白い間違いだと思いますが、広島市の空鞘八幡というお社の脇にある道祖神のほこらには、子どもの咳の病気が治るようにと願掛けに来る人が多く、そのお供え物は、いずれも馬の沓であったそうです(『碌々雑話』)。
道祖神は道の神、また旅行の神で、その上に非常に子どもの好きな神様でありました。
昔は村中の子どもは、皆この神の氏子でありました。
馬に乗ってあちこちのお産のある家を訪ねて来て、生まれた子どもの運勢をきめるのは、この神様だという昔話もありました。
すなわち子どもを可愛がるために、馬の沓が必要であった神なのであります。
道を通り過ぎる人が馬の沓や草鞋を上げていく神様はどこに行ってもありますが、今では名前がいろいろに変わり、また土地によって話も少しずつ違っています。
咳のおば様なども、もしかするとこの道祖神のご親類ではないか。
それをこれから皆さんと共に私は少し考えてみたいのであります。
咳のおば様の石は東京だけでなく、元は他の県にもあちこちにありました。
例えば川越の広済寺というお寺の中にも、しわぶきばばの石塔があって、咳で難儀をするのでお参りに来る人がたくさんあったそうですが、今ではその石がどれだか、もう分からなくなりました。
しわぶきは古い言葉で、咳のことであります。
(『入間郡誌』埼玉県川越市喜多町)
 甲州の八田という村にあるしわぶき婆は、二貫目ばかりの三角な石で、これには炒り胡麻とお茶とを供えて、子どもが風邪をひいた時に祈りました。
もとは行き倒れの旅の老女を埋めた墓印の石で、やたらに動かすと祟りがあるといって恐れておりました。
(『日本風俗志中巻』)山梨県の中巨摩郡(なかこまぐん)百田村(ももだむら)の上八田組(かみはったぐみ)では、次のような言い伝えがあります。
上総(かずさ)の俵田(たわらだ)という村の姥神様(うばがみさま)は、最近では子守神社(こもりじんじゃ)という小さなお宮になっていますが、ここには昔、ある気高い方の乳母(うば)が京都からやって来て、咳(せき)の病気で亡くなったため、そこにほうむった場所だと言い伝えられています。
そのため、咳の病気にかけてお願いをすると、病気を治してくれるということで、地元の人は甘酒を持ってきてお供えしたそうです。
そうしてお願いをすると、必ず病気がよくなったというお話です。
(『上総国誌稿』。
千葉県君津郡|小櫃村俵田字姥神台)

姥神はまた、子安様(こやすさま)とも呼ばれていて、もともと最初から子供が大好きだった道のほとりの神様でした。
それがだんだんと時代とともに変化してきて、後には「乳母を神様としておまつりしたものだ」と思うようになり、「この乳母自身も生きているときに咳で苦しんだからこそ、人々の気持ちをよく察してくれて、子供たちの百日咳(ひゃくにちぜき)も、お願いすればすぐに救ってくださるにちがいない」と、深く信じる人が多くなったのです。

下総(しもうさ)の臼井(うすい)の町でも、お城の跡から少し南東に離れた田んぼの中に、「おたつ様」という石でできた小さな小さなお堂があって、そこでは村の人たちが麦こがし(香ばしく炒った麦の粉)とお茶をお供えして、咳が出る病気が治るようにお祈りしていました。
臼井の町の伝説によると、おたつ様は昔、「臼井竹若丸(うすいたけわかまる)」という幼いお殿様の乳母でした。
志津胤氏(しづたねうじ)という人物が臼井のお城を攻め落としたとき、おたつは一生懸命に若君を助けて逃がし、自分はこのあたりの沼のヨシ原の中に隠れていました。
追っ手の軍勢がそれとは少しも知らずに、沼のそばを通り過ぎようとしたところ、あいにく咳が出てしまったために見つかってしまい、乳母のおたつは殺されてしまったのです。
それが恨みのタネであるからこそ、死んで後になっても咳をしている子供を見ると、治してやらずにはいられないのだろうと、地元の人たちも考えていたようでした。

麦こがしとは、炒った麦を石臼などで引いて作った粉のことで、みんなもよく知っているとおり、食べるとむせてよく咳が出るものです。
それをあえて食べて、「もう一度、咳が出る苦しさを思い出してくださいね」という意味を込めてお供えしていたように見えて、最近では焼きトウガラシをお供えする人さえいるというお話でした。
それからお茶を添えるのは、麦こがしを食べてむせたときにそのお茶を飲めば、それで咳がピタリと鎮まるからなのだろうと私は思います。

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