初級翻訳・狸とムジナ 第3話

柳田 国男

そのため、今でも一方のことはよく知っているけれど、もう一方はよく分からないままぼんやりとしか知らないという人が時々いますし、まれには一つの言葉が、まったく違う二つの動物全体の名前になってしまっていることもあるのです。
そんな中でも、目で見て覚えた言葉や、文字(漢字)で覚えた名前というのはあまり信用ができません。
「狸(り)」という漢字などは、向こうの国(中国など)ではネコの仲間だと言う人さえいますし、果たして日本の「タヌキ」という獣にこの漢字を当てはめてよいものかどうか、確かには答えられないのです。
実際に『日本地名辞書』を開いて調べてみても、「狸森」と書いて「ムジナモリ」と読む集落が関東や東北(奥羽)にはいくつもありますし、東京には「麻布(あざぶ)の狸穴(まみあな)」という場所もあります。
もし、そういう漢字を書いた昔の人が間違っていなかったのだとしたら、「狸」をムジナのことだと考えていたか、あるいは「マミ(アナグマ)の漢字訳だろう」と思った人が、かつてその土地に住んでいたということになります。
だからといって、二つの違う獣が同じものになってしまうわけにはいきません。
「名は実の賓(しん。名前は実態を表すもの)」というのは、まさにこういうことのためにある言葉なのです。
つまり、難波(なんば)の葦(あし)が伊勢の浜荻(はまおぎ)と呼ばれるのと同じように、中部地方のタヌキが関東のムジナなのであって、「タヌキの別名がムジナだった」というわけではないのです。

九州や四国の実際の様子もこれから調べてみたいところですが、大体あのあたりは「タヌキ」という言葉がよく使われていて、「ムジナ」という言葉はあまり耳にしないようなので、もしかすると、両方の動物をまとめて「タヌキ」と呼んでいるか、あるいは何か別の名前がついているのかもしれません。
鹿児島県などでは、「ダンザ」という名前がタヌキのことだそうですが、遠く離れた佐渡(さど)島にも「団三郎狸(だんざぶろうだぬき)」というとても有名なタヌキがいましたよね。
このように、他にも色々な別の名前がたくさんあるようなので、名前だけをうっかり信じて「ムジナなんていないんだ」とか「タヌキは住んでいない」などと言い切ることはできないのです。

「マミ(アナグマ)」については、古い本にも最近の図鑑にも、また別の種類の第三の野獣のように書かれていますが、私の故郷では見たことがある人はいなくて、人々はこれを「マメダヌキ」または「豆太(まめた)」と呼んで、小さなタヌキの一種のように思っていました。
その一方で、新潟県の間瀬(ませ)のように、普通のアナグマのことを「マミムジ」と呼んでいる場所もあるのです。
『新潟県天産誌(てんさんし)』を見ると、同じ県内にも「ヤジ」という言葉があって、それはタヌキやムジナのことだと解説されています。
これはおそらく、間瀬などで言われている「ヤチムジ」の下のほうを略したものでしょうから、「マミムジ」の方もそれに対して、ただ「マミ」とだけ呼んでいるのかもしれません。
そしてもし、そういうふうに呼ぶ人がどんどん増えていったら、最後には二つの動物はまったく別のものになってしまい、新しく入ってきたタヌキはもちろんのこと、「ムジナ」という古い言葉さえも、どちらか一方に取られて消えてしまうかもしれません。
東京のまわりの農村などで、もしただあのタヌキだけのことを「ムジナだ」と思い込んでいる人がいるとしたら、それはおそらくこういう順番で言葉が変わってきたからなのです。だからといって「タヌキしかムジナと名乗ってはいけない」ということになってしまうと、今までずっとムジナと呼ばれていた動物たちがとても困ってしまいますよね。

五

 そこで、これからの国語の勉強や授業を受け持つ先生たちにとって参考になるような、小さな結論を言います。
「タヌキ」という言葉は、標準語(みんなに通じる言葉)であり、動物学でも正式に認められている名前であるだけでなく、使わない地域はあっても、その名前すら知らない子どもはまずいません。しかも、指し示す動物もハッキリと決まっています。
それに対して「ムジナ」は、いわゆる学名ではないうえに、行く先々で指す動物が違うし、時々私たちを混乱させてしまいます。ですから、これからはあまり無理に使わせようとしないほうが、みんなにとって分かりやすくて便利だと言えるのです。しかし、先祖代々そう呼んできたものを、急に「やめなさい」と言うわけにもいかないでしょう。ですから、もし親切心から説明してあげるなら、「ここで言うムジナというのは、実はこういう動物のことだよ」と付け加えてあげるのも良いのではないかと思います。

アナグマという動物は、タヌキに比べてあまり広く知られておらず、その土地ごとの呼び名がたくさんあります。そのため、「これは利根郡(とねぐん)で『ササムジ』と呼ばれているものと同じだ」とか、「この辺りでは『マミムジ』や『マミ』と呼ばれているのがそれなんだよ」と説明してあげるべきですし、特にこの地域で言うところのムジナなのだと、ハッキリと言わなければならない場面も多いはずです。

少し手間に思えるかもしれませんが、一つのものに二つ以上の名前があることを知るのは、若い人たちにとっても面白いことですし、自然と自分たちの言葉(国語)をより良くしていこうという興味を持つきっかけにもなるでしょう。

このように、普段めったに見ることができない生き物については、「正しい絵(図鑑やイラスト)を使って教えること」のたいせつさを、もっとしっかりと考えるべきです。

今回問題にしているタヌキやムジナについても、日本の中には、この二つの言葉がまだほとんど使われていない地域があちこちにあります。

たとえば青森県などでも、南部地方には「マミ」や「マミコ」という獣がいて、それがアナグマであることは学校の先生たちだけが知っています。また、「クサイ」とか「ヤチグサイ」と呼ばれる獣がいて、夜道を歩く人をよく化かしてだますなどと言われていますが、これはだいたい、新潟県(越後)で「ヤチムジ」や「ヤジ」と呼ばれている本物のタヌキのことだろうと考えられています。ただし、本当に背中に「八」の字や「十」の字の模様の毛があるのかどうかは、まだハッキリと確かめられていません。

そのほかにも、秋田の近くの「マスチヤ」、和歌山県(紀州)の有田郡の「シバハシリ」、長野県(信州)の小谷(おたり)などで「バンブク」と呼ばれるものなど、方言を集めた本を見ると、ただ「タヌキの一種」とだけ説明されているものがいろいろとあります。

しかし、「タヌキの一種」で片付けてしまっては、話になりません。

こうした小さなことに思えるかもしれませんが、ともかく私たちは、まだ知らないことがたくさんあるのです。
知らないことは、どうにかして一つひとつ、知ることに変えていかなければなりません。

(『上毛の民俗』昭和二十三年八月)

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