しかし、そんな美しい池田湖の神さまは、自分の湖を「広い大洋(海)」と比べられることを極端に嫌いました。
もし湖の近くにやって来て、海の魚の話や、舟の自慢話などをしている人がいると、たちどころにものすごい大風が吹き荒れ、高い波が逆巻いて、あたりは見る見るうちに恐ろしい景色に変わってしまったということです。(『三国名所図会』鹿児島県揖宿郡指宿村)
湖や池沼の神さまは、その多くが女性の神さまでした。だから、人目につかないところで世間のねたみや争いとも無縁に、ひっそりと静かに年月を過ごすこともできました。
しかし、山はこれらとはまったくちがって、たくさんの人たちからいつも遠く離れた場所からじっと見つめられている宿命を持っています。そのため、どうしても周囲の山々と高さを競い合ったり、争わなければならなくなったりすることが多かったようなのです。
豊後(大分県)の由布岳(ゆふだけ)は、九州の中でもひときわ高い山の一つであり、その山の姿が堂々と雄々しく美しかったため、土地の人々からは「豊後富士(ぶんごふじ)」とも呼ばれて親しまれていました。昔、西行法師(さいぎょうほうし)がやってきて、しばらく麓の天間(てんま)という村にいた頃、この山を眺めて一首の歌を詠みました。
「豊国の由布(ゆふ)の高根は富士に似て雲もかすみもわかぬなりけり」
そうすると、たちまちこの山が鳴動(めいどう)して、盛んに噴火をし始めたので、「これは言い方が悪かった」と気づき、
「駿河(するが)なる富士の高根は由布に似て雲も霞もわかぬなりけり」
と詠み直したところ、ほどなくして山の焼けるのがおさまったというお話であります。
西行法師というのは間違いだろうと思いますが、とにかく古くからこういう話が伝わっておりました。(『郷土研究一編』大分県速見郡南端村天間)
もとは本当にあったことのように思っていた人もあったのかもしれません。そうでなくとも、よその山の高いという噂をするということは、なるべくひかえるようにしていたらしいのであります。多くの昔話はそれから生まれ、また時としてそれをまじないに利用する者もありました。
例えば昔、日向(ひゅうが)国の人は、癰(よう:はれもの)というできものができたときに、吐濃峯(とのおみね)という山に向かってこういう言葉を唱えて拝んだそうであります。
「私は常にあなたを高いと思っていましたが、私のでき物が今ではあなたよりも高くなりました。もしお腹が立つならば、早くこのできものを引っ込ませてください」と言って、毎朝一二度ずつ杵(きね)の先をそのできものに当てると、三日めには必ず治るといっておりました。
これも山の神が自分より高くなろうとする者をにくんで、急いでその杵をもってたたき伏せるように、こういう珍しい呪文を唱えたものかと思います。(『塵袋七』宮崎県児湯郡都農村)
山が背くらべをしたという古い言い伝えなども、後には児童ばかりが笑って聞く昔話になってしまいました。そうしてだんだんに話が面白くなりました。
肥後(ひご)の飯田山(いいだやま)は熊本の市から東へ三四里ほども離れている山ですが、市の西に近い金峯山(きんぽうさん)という山と、高さの自慢から喧嘩をしたといっております。いつまで争ってみても勝負がつかぬので、両方の山の頂上に樋(ひ)をかけ渡して、水を流してみようということになりました。そうすると水が飯田山の方へ流れて、この山の方が低いということが明らかになりました。その時の水が溜まったのだといって、山の上には今でも一つの池があるそうです。これには閉口をして、もう今からそんなことは「いいだせん」と言い出したゆえに、山の名をいいださん(飯田山)ようになったとも申します。(『高木氏の日本伝説集』大分県[※正しくは熊本県]上益城郡飯野村)
尾張小富士(おわりこふじ)という山は、尾張国の北の境、入鹿(いるか)の池の近くにある小山ですが、山の姿が富士山とよく似ているので、土地の人たちに尊敬せられています。それがお隣りの本宮山(ほんぐうさん)という山と高さ比べをして、やはり樋をかけ、水を通して見たという話が伝わっております。そうして見た結果が、小富士の方の負けになりました。毎年六月一日のお祭りの日に、麓の村の者が石をひいてこの山に登ることになったのは、少しでもお山の高くなることを、山の神様が喜ばれるからだという話であります。(『日本風俗志』愛知県丹羽郡池野村)
これと同じような伝説は、また加賀の白山(はくさん)にもありました。白山は富士の山と高さ競争をして、勝負をつけるため樋を渡して水を通しますと、白山が少し低いので、水は加賀の方へ流れようとしました。それを見ていた白山方の人が、急いで自分の草鞋(わらじ)を脱いで、それを樋の端にあてがったところが、それでちょうど双方が平らになった。それ故に今でも白山に登る者は必ず片方の草鞋を山の上に脱いで置いて帰らねばならぬのだそうです。(『趣味の伝説』石川県能美郡白峰村)
樋をかけたということはまだ聞きませんが、越中(えっちゅう)の立山(たてやま)も白山と背くらべをしたという話があります。ところが立山の方が、ちょうど草鞋の一足分だけ低かったので、非常にそれを残念がりました。それから後は、立山に参詣する人が、草鞋を持って登れば、特に大きなご利益を授けることにしたといっております。(『郷土研究一編』富山県上新川郡)
それから越前(えちぜん)の飯降山(いふりやま)、これは東隣の荒島山(あらしまやま)と背くらべをして、馬の沓(くつ:馬の足裏につける草鞋)の半分だけ低いことがわかったそうであります。それ故にこの山でも、石を持って登る者には、一つだけは願いごとがかなうといって、毎年五月五日の山登りの日には、必ず石を持って行くことになっております。(同上。福井県大野郡大野町)
三河の本宮山と、石巻山(いまきやま)とは、豊川(とよかわ)の流れを隔てて西東に、今でも大昔以来の丈くらべを続けていますが、この二つの峯は、寸分も高さの差がないということであります。それで両方ともに石を手に持って登れば少しもくたびれないが、これと反対に小石一つでも持って下ると、参詣はむだになり、神罰が必ずあるといいます。つまり低くなることを非常に嫌うのであります。(『趣味の伝説』)愛知県八名郡石巻村)
有名な多くの山々では、みんなが背くらべのためではなかったかもしれませんが、非常に土や石を大切にして、それを持って行くことをいやがりました。
山に草鞋を残して来る習慣は、今でもまだ方々に行われております。
白山や立山にはあんな昔話がありますが、世間にはもっと真面目に、その理由を考えていた者も多かったのであります。
例えば奥州金華山の権現は、山と土が草鞋について、島から外へ出ることを惜しまれるということで、参詣した者は、必ずそれをぬぎ捨ててから船に乗りました。
(笈埃随筆。
宮城県牡鹿郡鮎川村)
富士山のような大きな山でも、やはり山の土を遠くへ持って行かれぬように、麓に砂振いという所があって、以前は、必ずそこで古い草鞋をぬぎかえました。
コメント