近江の国では、浅井の岡(あざいのおか)が伊吹山(いぶきやま)と高さくらべをしたとき、浅井の岡は伊吹山の姪(めい)にあたるのですが、一晩のうちにぐんぐん伸びて、叔父さんに勝とうとしました。
伊吹山の神さま(多々美彦=たたみひこ)は大そう怒って、剣を抜いて浅井姫の首を切り落とすと、その首がびゅーんと湖水の中へ飛んでいって島になりました。
今の「竹生島(ちくぶじま)」は、このときからできたのだと、今からもう千年も前の人たちが語り伝えていたのです。(『古風土記逸文考証』滋賀県東浅井郡竹生村)
大和(やまと)では、天香久山(あまのかぐやま)と耳成山(みみなし山)とが、畝傍山(うねびやま)をめぐって喧嘩をしたというお話が、古い奈良時代の頃の歌に残っています。
それとよく似た伝説は、奥州の北上川(きたかみがわ)の上流にもありまして、岩手山(いわてさん)と早池峯山(はやちねさん)とは、今でも仲がよくないと言われています。
汽車に乗って窓の外を眺めると、二つの大きな山の間に、「姫神山(ひめかみやま)」という美しくぽつんとそびえる山が見えるのです。もしかすると、この山たちの争いは、真ん中にいる姫神山を取り合うためだったとも言われています。しかしその反対に、岩手山が姫神山のことを妬(ねた)んで、近くの「送り山」という山に命令して、姫神山を遠くへ追い払わせようとしたというお話もあります。ところが、送り山はその役目を果たさなかったので、岩手山は怒って刀を抜き、送り山の首を切り落としてしまいました。
今でもその首が、岩手山のすぐ右脇に小さな山としてぽっこりと乗っかっているのだとも言われていました。
(高木氏の『日本伝説集』。岩手県岩手郡滝沢村)
日本人は長い年月の間に、だんだんと遠い外国から海を渡って移り住んできた民族です。
昔、おじいさんやおばあさんからこんなお話を聞いた子どもや孫たちが、大人になってすっかり前のことを忘れかけた頃、なんとなく自分たちで似たようなお話を思いついた――ただそれだけのことであって、わざわざよその土地の伝説を真似しようとしたわけではないでしょう。それでも、旅の途中で左右に高くそびえ立つ山々を見ていると、まるで山同士が何か言い争いや喧嘩でもしているように感じられる景色が、行く先々の村里にはいくつもあるのです。人々はそれをじっと眺めながら、幾度となくこうした昔話を語り出すようになったのだと思われます。
青森市の東にある「東嶽(ひがしだけ)」なども、昔は八甲田山(はっこうださん)と大喧嘩をして、刀で斬られて頭がどこかへ飛んでいってしまい、胴体だけの姿になった山だと言われています。
その斬り飛ばされた首が遠くへ飛んでいって岩木山のてっぺんに落ち、今でも岩木山の肩のあたりに瘤(こぶ)のような小さな山が一つちょこんとついているのですが、あれこそが東嶽の首なのだという人がいます。
また、津軽平野の土地がとても肥えていて作物がよく育つのは、あのとき飛び散った血が地面にしみ込んでいるからだとも言われているのです。
そして、今でも岩木山と八甲田山は仲が良くないというお話が残っています。(高木氏の『日本伝説集』。青森県東津軽郡東嶽村)
出羽の国にある鳥海山(ちょうかいさん)は、もともと「自分こそが日本で一番高い山だ」と誇らしく思っていました。
ところが、あるとき旅の人がやって来て、「いや、富士山の方がもっと高いよ」と教えたのです。それを聞いた鳥海山は、悔しくて腹が立ち、いても立ってもいられなくなってしまいました。そして、自分の頭の部分だけを切り離して、はるか海の向こうへと飛ばしてしまったのです。
それが、今の「飛島(とびしま)」という島だと言われています。
飛島は、陸の海岸線から二十マイル(約32キロメートル)も離れた海の真ん中にある孤島ですが、今でも鳥海山と同じ神様が大切に祀(まつ)られています。
これにはきっと何か深い理由や秘密があるに違いありませんが、こうしたちょっぴり変わった昔話のほかには、古い時代のことはもう何も伝わっていないのです。(『郷土研究三編』山形県飽海郡飛島村)
負けず嫌いなのは、決して山ばかりではありませんでした。
昔の日本では、人間の優劣を軽々しく口にすることは良くないこととされていましたが、旅をして人々の行き来が盛んになると、どうしてもあちこちのすごさを比べたり評判にしたりしなければならない場面が多くなりました。そして、それをものすごく気にするという古風な気質が、神さまにも人間にも少なからずあったようなのです。
阿波(あわ)の海部川(かいふがわ)の上流には、「轟きの滝(とどろきのたき)」、別名を「王余魚の滝(れいょのたき)」と呼ばれるものすごい大滝があって、すぐそばの山の中に「王余魚明神(れいょみょうじん)」という立派なお社がありました。
この滝の近くに来て、紀州(和歌山県)の熊野にある「那智の滝(なちのたき)」の噂話をすることは、絶対にしてはいけないタブーとされていたのです。
「那智の滝とどちらが大きいだろうね」などと言ったり、この滝の高さを測ってみようとしたりすると、必ず恐ろしい神さまの罰(たたり)が当たると言われていました。それはきっと、こちらの王余魚の滝のほうが、本家の那智の滝よりもほんの少しだけ小さかったからではないかと推測されています。(『燈下録』徳島県海部郡川上村平井)
橋なども、遠くからやって来たたくさんの旅人たちが通行するため、よその土地ですごい橋の噂を耳にする機会がたびたびあったはずです。しかし、その手の話題を極端に嫌うという言い伝えが残っている橋がいくつもありました。
橋を守る神さまというのは、ものすごく嫉妬深い(やきもちやきの)女の神様だと言い伝えられていたのです。
甲府の近くにある「国玉の大橋(くだまのおおはし)」は、昔は橋の長さがなんと百八十間(約327メートル)もあり、甲斐の国(山梨県)では一番大きくて最も古い歴史を持つ誇らしい橋でした。ところが、この橋を渡っている最中に、遠くにある「猿橋(さるはし)」の噂をすることや、「野宮(ののみや)」という謡曲(能のセリフや歌)を歌うことが厳しく禁じられていました。もしその戒めを破ってうっかり口にしてしまうと、必ず恐ろしい災難が降りかかると言われていたのです。
今でも地元の古い人たちは、決してそんなタブーを犯すようなことはしないはずです。
猿橋は長さこそ短いものの、日本でもめったに見られないほど見事で美しい奇橋として有名ですから、大橋の神さまは、そんな猿橋と比べられることが大嫌いだったのです。
ちなみに「野宮」というお謡いは、女性の深い嫉妬の心をテーマにして同情を描いたものだったからこそ、橋の神さまの機嫌を損ねる原因になったのでした。(『山梨県町村誌』山梨県西山梨郡国里村国玉)
九州の南の端、薩摩(鹿児島県)にある開聞岳(かいもんだけ)の麓には、「池田湖(いけだこ)」という美しく青い火山湖があります。
ほんのわずかな陸地だけを挟んで海と隣り合っており、少し高いところに登れば、海と湖の景色を一度に両方眺めることができるほどです。
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