のちにこの兄弟の山が、お互いの首に綱をかけて「首引き(綱引き)」をしたところ、権現山は大豆を食べていたおかげでモリモリと力が強く、小豆ばかりで育てられた不動岩は負けてしまい、首をひき切られて久原(くばら)という村にその首がスコーンと落ちていったというのです。今でもそこには「首岩(くびいわ)」という岩がポツンと立っています。
揺ぎ嶽(ゆるぎだけ)という岩はそのちょうど真ん中に立っていて、首引きの綱にひっかかってグラグラと揺れたから「揺嶽」と呼ばれ、山に二筋のへっこんだところがあって、そこだけ草木が生えないのは、綱で激しくすられた痕(あと)なのだと言われています。小豆ばかり食べていたという不動の首岩の近くでは、今でもその影響で土の色が赤いままだそうでおます。
(『肥後国志』など。熊本県鹿本郡三玉村)
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### 伝説と児童
諸君の家のまわり、毎日歩いている道路のかたわらにも、もとはこれよりもっと面白い伝説が、数え切れないほどたくさん眠っていたのであります。学校に行く人たちがいそがしくなって、しばらくの間そのままでほったらかしておうちに、もう昔のことを覚えていて話してくれる人もいなくなってしまいました。
それから、美しい沼が田んぼになり、見事な大木が枯れて片付けられてしまうと、その頃はまだうわさをすることがむしろ多いのですが、後に生まれた子どもたちにとっては実感が薄いため、だんだんと忘れていってしまうのであります。
村などは、このせいでずいぶんさびしくなってしまいました。
伝説というものは、これまでずっと長い間、子どもたちばかりを聞き手にして語り継がれてきました。
もちろん大人たちもそばにいて聞いてはいるのですが、大抵は自分で話して復習する機会がないため、子どもたちのようにいつまでも長く記憶し、ずっと後になってからまた別の人に話して聞かせるほど熱心にはならなかったのでありました。
子どもたちの復習とは、その木の下で遊んだり、みんなと一緒に連れだって、その岩の前や淵の上、池の堤を通ったりすることでした。
子どもはおしゃべりが得意ではないので誰もくわしく話したりはしませんが、そのたびにみんなは前に聞いたことを思い出して、しばらくの間は同じような心持ちになり、お互いに顔を見合わせるのであります。
人が年をとってから話をすることが好きになり、また上手になって後に、昔のことだといって聞かせる話は、そのほとんどがこうした子供の頃にしっかり覚えこんだ話ばかりなのでありました。
だから、どんなおじいさんやおばあさんが教えてくれる伝説にも、必ず昔の時代のこどもたちが深く関わっているのです。
そして、もし子どもたちが関わっていなかったとしたら、日本の伝説はもっと早く消えてなくなっていたか、あるいは面白くないものばかりがたくさん残っていたに違いありません。
だからこそ、皆さんがまだ若いうちに、お話を聞ける機会が少なくなり、またそれを覚えていることがだんだん難しくなってきたら、お年寄りたちの代わりに本を頼りにするよりほかないのです。
本には大人に聞かせるような話や、大人がめずらしがるような話がたくさん載っていますが、今ではこの本の中からでしか、昔の子どもたちの心持ちを知ることはできなくなってしまったのです。
国全体がまだ若々しく、誰もが子どものように生き生きとしたみずみずしい気持ちで、この世界や自然を眺めていた時代が、かつて一度はみなさんと同じ子どもたちの間にずっと続いていたこともあったのです。
本はめぐりめぐって、その時代をいま、再びみなさんに語りかけようとしているのであります。
もとは小さなお友達は、まるで絵本を読むように、目の前でいろんなものの姿を見ながら、古くからの言い伝えを聞いたり思い出したりしていたのでした。
垣根の木にやってくるたくさんの小鳥たちは、その鳴き声の理由を説明してもらいながら、まわりを飛びまわって物語をいっそう楽しく盛り上げました。
道のほとりにたたずむさまざまな石仏なども、昔話を知っている子どもたちには、うなずいてくれているようにも、また優しくほほえんでいるようにも見えたのであります。
その中でも、大人になってから子供の頃をしみじみと懐かしく思い出す人にとって、一番心に残っていたのはお地蔵さまでした。
大きさは大体十一、二歳の子どもくらいで、顔は仏さまというよりも、身近な誰かに似ていてとても見覚えがあったからです。
そしてまた、お地蔵さまはたくさんのお話や伝説の主人公でもあったのです。
村ごとに違うお話があり、一つひとつの特別な名前がついているのも、石のお地蔵さまに一番多いことでした。
こうした子どもたちの長年のともだちが、いつの間にかいなくなってしまいそうですから、ここでは百年前の子どもたちの代わりに、本の中に残っている三つ四つのお話をしてみましょう。
古くから有名だったのは、「箭負い(やおい)地蔵」や「身代り地蔵」で、信心深い人の身代わりに矢を受けてくれて、後で見ると背中に敵の矢が立っていたというようなお話ですが、これらはまだその人だけの不思議な体験のお話です。
その土地にとっても縁の深いお地蔵さまになると、特に頼まなくても村のために働いてくださるといって、思いがけない出来事が起こったあとに、お参りに来る人がかえって増えることがありました。その中でも特に、お地蔵さまは農作業に対してとても優しい心を持っていることが、村のみんなが感謝しているところでした。
「足洗わずの地蔵」というお地蔵さまは、時々農民の姿になって、忙しい農作業の日に手伝いに来てくださるのです。
「水引き地蔵」は、田んぼの水が足りない時に、こっそり水路の溝を切って自分の村の田んぼだけに水を引き込み、そのせいで隣りの村からうらまれるようなこともありましたが、それがお地蔵さまの仕業だと分かると、怒る人は誰もいなくなって、ただ感心するばかりだったのでした。
「鼻取(はなとり)地蔵」というお地蔵さまもまた、農民たちの強い味方で、東日本のたくさんの村でおまつりされています。
私のいまいる家から一番近いのは、上作延(かみさくのべ)の延命寺(えんめいじ)にある鼻取地蔵です。暴れる馬をおとなしくさせるご利益があり、北は奥州(おうしゅう)の南部の方まで、その名が広く知れ渡ったお地蔵さまでした。
むかし、この村の田植えの日に、名主(なぬし)の家の馬が暴れて困っていると、見慣れない小僧さんがたった一人でやってきて、馬の鼻面を取って(手綱を持って)くれたら、すぐにピタリとおとなしくなったそうです。
次の日、お寺の和尚(おしょう)さんがお経を読もうとしてお堂に行ってみると、お地蔵さまの石像の足に泥がついていました。
それで、昨日の小僧さんがお地蔵さまであったことが分かり、村中ですごい大評判になったということです。
(『新編武蔵風土記稿』より)神奈川県(橘樹郡向丘村上作延)
ところがまた、八王子の極楽寺というお寺でも、ここは地蔵さまではないのですが、ご本尊の阿弥陀様を「鼻取如来」と呼んでいました。
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