初級翻訳・日本の伝説 第20話

日本の伝説

岐阜県(飛騨)の萩原の町にある諏訪神社でも、またこんな伝説が残っています。今から三百あまり昔のことです。金森家(かなもりけ)の家臣で、佐藤六左衛門(さとうろくざえもん)という気の強い武士がやって来ました。彼は「主人の命令だから、どうしてもこの神社の場所に城を建てるのだ。だから、神様のご神体をとなりの村へお引っ越しさせろ」と言い出しました。
そうしたところ、お神輿(みこし)がまるで岩のように重くなって、びくとも動きません。それだけでなく、一匹の大きなアオダイショウが神社の前でとぐろを巻いて、どうしてもそこから退きませんでした。
六左衛門はこの様子を見て「なにを!」と大怒りしました。そして、梅の木の折れ枝を手に持つと、蛇を打ち据えて、その左の目を傷つけてしまったのです。すると、蛇はどこかへ隠れていなくなってしまい、お神輿も何事もなかったかのようにすんなり動いて、無事に引っ越しをすませることができました。
ところが、肝心のお城の工事がまだ終わらないうちに、大阪で大きな戦(いくさ)が起きてしまいました。六左衛門はその戦場へ出かけていき、討ち死にしてしまったのです。そのため、村の人たちは大喜びして城の工事をパッとやめ、ふたたびお社をもとの場所へと迎え入れました。
それからというもの、ときどき神社の近くで「片目の蛇」を見かけるようになりました。村の人たちは、この蛇を諏訪様(すわさま)のお使いだとして大切に敬いました。それだけでなく、今に至るまでこの神社の境内(けいだい)には、梅の木が一本も育たないと信じられているそうです。
(『益田郡誌』岐阜県益田郡萩原町)

このお話なども、佐藤六左衛門がやって来るまでは、蛇の目はちゃんと二つあって、梅の木だっていくらでも元気に育っていたのだということを、本当のところ確かめることはできません。
もしかすると、ずっと昔からこうだったのに、そのことをすっかり忘れてしまって、「この事件がきっかけで始まったんだ」と思い込んでしまったのかもしれません。
それにしても、わざわざ梅の枝なんかを自分で折って、しかも神様のお使いである蛇の「目」ピンポイントだけを傷つけるなんて、ちょっと気が短い勇士の佐藤さんであっても、そんなことはしそうにありません。
それどころか、「神様が目を突かれて、それからその植物を植えなくなった」という伝説は、びっくりするほどたくさんあるのです。
その例を五つ、六つほどここで挙げてみましょう。

徳島県(阿波)の粟田村(あわたむら)にある葛城大明神(かつらぎだいみょうじん)のお社では、昔、ある身分の高い尊いお方が、この海岸に船でやって来ました。そして、「お社の池のフナを釣ろう」と、馬に乗ってお出かけになったところ、お馬さんの足が藤のツルにからまってしまい、馬がつまずいてそのお方は落馬してしまったのです。さらに、生えていた男竹(おだけ)で目を突いてしまい、ものすごく痛い思いをなさいました。
そのため、今でもこのお社の神様には「目の病気治し」を祈願しますし、氏子の四つの村では、池にはフナが住みつかず、ヤブには男竹が生えず、馬を連れてくると必ずタタリがあると言い伝えられています。
(『粟の落穂』徳島県板野郡北灘村粟田)

岐阜県(美濃)の太田(おおた)では、氏神さまである加茂県主神社(かもあがたぬしじんじゃ)の神様がお嫌いになるという理由で、五月の節句のときにも、昔は「ちまき」を作らなかったそうです。
大昔、加茂の神様が馬に乗って戦いに行かれたとき、馬から落ちてススキの葉で目を突いてしまわれたのです。
そのため、氏子たちはそのススキの葉を恐れて、普段から使わないのだと語られていました。
(『郷土研究四編』岐阜県加茂郡太田町)

長野県(信州)には、ことにこの手の物語がたくさん伝えられています。
小県郡(ちいさがたぐん)の当郷村(とうごうむら)の鎮守(ちんじゅ)様は、初めて京都からやって来られたときに、キュウリのツルにひっかかって転んでしまい、今度はゴマの茎で目を突いてしまわれたということです。そのため、村の人たちは今でも全村あげてゴマを作りません。
もしこの言いつきを破る者がいれば、必ず目の病気になると言われています。
松本市の近くでも、宮淵(みやぶち)の勢伊多賀神社(せいたがじんじゃ)の氏子たちは、自分の家の敷地に決して栗の木を植えません。万が一植えてしまって、その木が勢いよく育ったりしようものなら、その家は反対に没落していくと言います。
それは、氏神様が昔この場所にお降りになったとき、栗の「いが」で目を突かれたからだというのです。
また、島立村(しまだちむら)の三の宮の氏子の中にも、「神様がマツの葉で目を突かれたから」という理由で、お正月に門松(かどまつ)を立てない家があります。
橋場稲扱(はしばいなこき)のあたりでも、お正月には門松のかわりに、なんと「ヤナギの木」を立てています。
昔、清明様(せいめいさま)というすごく偉い占い師が稲扱にやって来て、門松で目を突いてしまってものすごく大困りしたそうです。
「これから先、もし松を門に立てるような家があったら、その家は火事にあうぞ」と言ったので、それからというもの、こうしてヤナギを立てることに決まったのだそうです。
(『南安曇郡誌』長野県南安曇郡安曇村)

小谷四箇荘(おたりしかそう)のあたりでも、「ゴマを作らない」という村がたくさんあります。
氏神様が目を突かれたからだとも言いますし、あるいは無理やり栽培する人がいると、目を病んで、まるで実際に突かれたかのように激しく痛むとも言われていました。
中土(なかつち)の奉納(ほうのう)という村では、長芋(ながいも)を作らず、またグミの木も植えません。
それは、その村の最初を開いた家のご先祖様が、芋のツルにつまずいて、グミの木で目を突いたことがあるからだと言い伝えられています。
(『小谷口碑集』長野県北アンズ郡中土村)

千葉県(東上総)の小高(おだか)、東小高(ひがしおだか)の両方の村では、昔から決して大根(だいこん)を作らないだけでなく、たまたま道端に生えているのを見かけたりすると、あまりの恐ろしさに驚いてお祈りをするくらいでした。
ほかの村々でも、小高という苗字の家だけは、どこもそろってみんな大根を作らなかったということです。
これも、小高明神様が大根につまずいてひっくり返り、茶の木で目を突かれたせいだと言われています。ただ、それにしては茶の木のほうは何にもおとがめがなかったのが、ちょっと不思議なお話です。
(『南総之俚俗』千葉県夷隅郡千町村小高)

中国地方でも、鳥取県(伯耆)の印賀村(いんがむら)などでは、「氏神様が竹で目を突いて、片方の目をつぶされてしまったから」という理由で、今でも決して竹を植えません。
竹が必要になったときは、山を越えて出雲(いずも)の方から買って来るそうです。
(『郷土研究四編』)鳥取県日野郡(ひのぐん)の印賀村(いんがむら)では、
近江(おうみ)の笠縫(かさぬい)の天神様が、初めてこの村の麻畑の中にお降りになったとき、麻の茎で目を突いて大変お痛みなになられました。

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