ある夜、その男が自分の小屋の垂れすだれをペロッとめくって、外をのぞきこむと、誰かが中をのぞきこんでいるのを見ました。
それは、髪の毛を長く二つに分けて、たらした女の人でした。
このあたりでは、真夜中に女性の叫び声が聞こえてくることも、決して珍しいことではありませんでした。
三五 佐々木さんのおじいさんの弟が、白望山へキノコを採りに行き、そこに泊まった夜のことです。
谷を挟んだ向こう側にある、大きな森の前を横切るようにして、一人の女の人がビューッと走り去っていくのを見ました。
まるで、空の中を飛んで走っているかのように見えたそうです。
男は思わず、「待てちゃア!(待てよ!)」と二声ほど大声で叫んだのを、みんなが聞いたということです。
三六 サルが妖怪のように変化した「猿の経立(さるのふったち)」や、オオカミが妖怪化した「御犬の経立(おぬらのふったち)」は、どちらも本当に恐ろしいものです。
ちなみに、「御犬」とはオオカミのことです。
山口の村のすぐ近くにある「二ツ石山(ふたついしやま)」は、岩がゴツゴツとした険しい山なのです。ある雨の日、小学校から帰ってきた子どもたちがこの山を見ると、あちこちの岩の上に「御犬(おぬら=オオカミ)」がうずくまっていました。
やがて、オオカミたちは首を下からぐっと押し上げるようにして、かわるがわるワンワンと吠え声をあげました。
前から見ると、生まれたばかりの子馬くらいの大きさに見えますが、うしろから見ると「思いのほか小さいなあ」と子どもたちは言っていました。
オオカミがうなる声ほど、世の中で物凄く恐ろしいものはありません。
三七 境木峠(さかいぎとうげ)と和山峠(わやまとうげ)の間では、昔は荷物を運ぶ馬を連れて歩く人たち(馬方)が、よくオオカミに出会ったものでした。
馬方たちは夜に移動するとき、たいてい十人くらいでグループを組み、一人が何頭もの馬を綱で数珠つなぎにして引っ張っていたため、いつも四、五十頭もの馬の数になりました。
あるとき、なんと二百から三百頭ほどのオオカミの群れが追いかけてきて、その足音があまりにもすさまじく山をも揺るがすほどでした。あまりの恐ろしさに、馬も人間も一ヶ所にギュッと集まり、そのまわりにぐるりと大きな火を燃やして身を守りました。
それでも、オオカミたちはその火をピョンと飛び越えて中に入ってきたため、ついに馬をつないでいた綱をほどき、それをぐるりとまわりに張り巡らせました。オオカミたちは「何か罠(わな)があるのかな?」と思ったのか、それからは円陣の中に飛び込んでくることはなくなりました。
そして、遠くからぐるりと取り囲んだまま、夜が明るくなるまでずっと吠え続けていたということです。
三八 小友村(おともむら)の古い家柄の主人で、今でも元気に生きている「某爺(なんがしのおじいさん)」という人がいました。ある日、町から家に帰る途中、オオカミがものすごい勢いで吠える声を何度も耳にしました。そのときお酒に酔っていたものですから、おじいさんも調子に乗ってオオカミの鳴きまねをしたのです。すると、オオカミもワンワンと吠えながら、おじいさんのあとをついてくるようになりました。
さすがに怖くなったおじいさんは、大急ぎで家に駆け込み、門の戸をガチャンと固く閉めて息を潜めて隠れました。しかし、夜通しオオカミたちが家をぐるりと取り囲み、一晩中吠える声はやみませんでした。
そして夜が明けて外を見てみると、なんと馬屋(うまや)の土台の下をガリガリと掘り破って中に入り込んでおり、飼っていた七頭の馬が、一頭残らずみんな食べられてしまっていたのです。
このお家は、その出来事があったころから、少しずつ家運が傾いてしまったということです。
三九 佐々木くんがまだ小さかったころ、おじいさんと二人で山から帰る途中、村に近い谷川の岸の上に、大きなシカがバッタリと倒れているのを見つけました。
おなかのあたりがグシャリと破られており、殺されてからまだ間もないのか、そこからは湯気がフワフワと立ち上っていました。
おじいさんが言うには、「これはオオカミが食べたんだ。このシカの毛皮はほしいけれど、オオカミは絶対どこかこの近くに隠れてこっちの様子を見ているにちがいないから、怖くて取ることができないよ」とのことでした。
四〇 「草の長さがたった三寸(約9センチ)あれば、オオカミはそこにすっぽり身を隠してしまう」と言われています。
草や木の色が季節とともに移り変わっていくにつれて、オオカミの毛の色も、季節ごとにちゃんと変わっていくものなのだそうです。
四一 和野(わの)の佐々木嘉兵衛(ささきかへえ)という人が、ある年、境木越(さかいぎごえ)の大谷地(おおやち)へ狩りに出かけました。
そこは、死助(しすけ)の方角からスーッと走っている広大な原っぱです。
季節は秋の終わりごろで、木の葉はすっかり散り尽くし、山の中は丸見えの状態でした。
すると、向こうの峯(みね)から、何百匹とも分からないほどのオオカミたちが、こちらへ向かって群れをなしてワッと走ってくるのが見えました。あまりの恐ろしさに耐えきれず、嘉兵衛はあわてて木のてっぺんにスルスルと登って身を隠しました。すると、その木の下を、ものすごい数のすさまじい足音を立てながらオオカミたちが一斉に走り過ぎ、北の方へと去っていったのです。
それからというもの、遠野の郷(さと)ではオオカミがめっきり少なくなったということです。
四二 六角牛山(ろっこううしさん)のふもとに、「オバヤ」や「板小屋」などと呼ばれる場所があります。
ここは広大なススキ(萱=かや)の原っぱで、まわりの村々から人々が萱を刈り取りに通う場所です。
ある年の秋、飯豊村(いいでむら)の男たちが萱を刈っていると、岩のすきま(岩穴)の中からオオカミの子どもを三匹見つけました。そのうちの二匹を殺し、一匹を生きたまま持ち帰ったのです。
その日の夕方から、オオカミたちが飯豊村の人たちの馬を次々と襲う事件が、毎日のように止まらなくなりました。
不思議なことに、ほかの村の人や馬には、いささかも害を加えません。飯豊村の馬だけが狙われるのです。
困り果てた飯豊村の人たちは相談し、みんなでオオカミ狩りをすることに決めました。
その中には、村相撲で優勝するような、日ごろから力自慢の男も混ざっていました。
さあ、野原に出てオオカミたちを探してみると、オスのオオカミは遠くにいてなかなか近づいてきません。しかし、メスのオオカミの一匹が、「鉄(てつ)」という名前の男めがけてものすごい勢いで飛びかかってきました。男はとっさに着ていた上着(ワッポロ)を脱いで腕にグルグルと巻き付け、そのままの勢いでオオカミの開けた口の中に自分の腕をドカーンと突き入れました。オオカミはガブリとその腕にかみつきました。
鉄は、腕をオオカミの口に入れたまま、「みんな、早く助けに来てくれ!」と大声で叫びましたが、あまりの恐ろしさに誰も近づくことができません。
そうしているうちに、鉄の腕はなんとオオカミの胃のあたり(腹)までズボッと入り込み、オオカミは苦し紛れに鉄の腕の骨をバリバリと噛み砕いてしまいました。
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