それでも長蔵は、「なんだろう?」とまだ不思議に思うだけで、その戸の隙間に手を突っ込んで中の様子を探ろうとしました。
ところが、中の障子はピッチリと閉まっています。
ここで初めて「大変だ、怖い!」と気づいて、少し後ろに下がって上を見上げてみると、さっきの男玄関の壁(雲壁)にピタッと張りついて、自分を見下ろしているではありませんか。
その首はダラリと低く垂れ下がり、自分の頭に触れそうなほど近くにありました。
さらに、その目の玉は、一尺(約30センチメートル)ほどもビューンと飛び出しているように感じられたということです。
このときはただただ怖かっただけで、あとになって何か悪いことの前ぶれというわけではありませんでした。
○「ヨバヒト」とは、夜這いする人のことでしょう。女の人のもとへこっそり忍んでいく人をこう呼びます。
○「雲壁(うんぺき)」とは、長押(なげし:柱を横につなぐ木)の外側にある壁のことです。
八十 右のお話をしっかりと頭に入れるためには、田尻家のおうちの作りを図にしてみる必要があります。
遠野の地方にある家は、どれもこれも大体この家と同じような造りをしています。
この家では門が北向きになっていますが、ふつうは東向きです。
右の図で、馬小屋(厩舎)があるあたりに門があります。
門のことは「城前(しろまえ)」と呼びます。
屋敷のまわりは畑になっていて、まわりに塀や垣根はありません。
主人の寝室と、日常を過ごす部屋(ウチ)の間に、小さくて暗い部屋があります。
これを「座頭部屋(ざとうべや)」と言います。
昔は家でお祝いや宴会があるときは、必ず目の見えないお医者さんや音楽家である「座頭」を呼んでいました。
その座頭を待たせておくための部屋です。
○この遠野の地方を旅していて一番心に残るのは、家のかたちがどれもこれも「かぎの形(L字型)」をしていることです。この田尻家なども、そのとても良い例です。
八十一 栃内村の「野崎(のざき)」というところに、前川万吉(まえかわまんきち)という人がいました。
二、三年前に三十代の若さで亡くなりました。
この人も、亡くなる二、三年前に夜遊びに出かけて家へ帰ってきたときのことです。
門の口からまわり縁(縁側)に沿って角までやってきたとき、それは六月の明るい月夜のことでした。
なんとなく気まぐれに壁(雲壁)のほうを見てみると、ピタッと壁に張りつくようにして寝ている男がいました。
顔がものすごく青ざめていました。
これを見てものすごくびっくりして、それがもとで病気になってしまいましたが、もちろんこれも何か悪いことの前ぶれというわけではありませんでした。
田尻家の息子である丸吉(まるきち)さんがこの人と大の仲良しだったので、本人から直接この話を聞いたのです。
八十二 これは、田尻丸吉という人が、実際に自分自身で体験したお話です。少年だったころのある夜のこと、ふだん家族みんなで集まる部屋(常居)から立ち上がってトイレに行こうと茶の間に入ったところ、座敷との境目に誰かが立っていました。
ぼんやりとしてはいるものの、着ている服の縞模様も、目や鼻の形もよくわかり、髪をダラリと垂らしていました。
とても怖かったのですが、思いきってそこへ手を伸ばして探ってみたところ、板戸にガタッと突き当たり、戸のさんにも触れました。
けれど自分の手は見えず、その手の上に影のように重なって、人の形があるのです。
その顔のあたりへ手を伸ばしてみると、自分の手の上にまた顔が見えました。
あわてて常居に戻ってみんなに話し、明かり(行灯)を持って見に行ってみたところ、すでにそこには何もありませんでした。
この体験をした人は、近代的な考え方のできる、とても頭の良い人です。
また、嘘をつくような人でもありません。
八三 山口の大同(だいどう)、大洞万之丞(おおほらまんのじょう)の家の建て方は、少しほかの家とは違っています。
その図面を次のページに載せます。
玄関は巽(東南)の方向を向いています。
ものすごく古い家です。
この家には、箱から出してみたらタタリがあるといって、絶対に開けない古文書の入った大きな葛籠(つづら)が一つあります。
八四 佐々木氏のおじいさんは、七十歳くらいで三、四年前に亡くなった人です。
この人が若いころといえば、嘉永(かえい)のころだったはずです。
海のほうの土地には、外国人がたくさん住んでいました。
釜石にも山田にも西洋館がありました。
船越(ふなこし)の半島の先端にも、外国人が住んだことがありました。
キリスト教(耶蘇教:やそきょう)がこっそり信仰されていて、遠野郷でもこれを信じてはりつけになった人がいました。
浜へ行った人の話では、「外国人はよく抱き合ってお互いの顔をなめ合うんだ」というようなことを、今でもお話にするおじいさんがいます。
海岸の地方には、外国人と日本人の血を引く子ども(合の子)がけっこうたくさんいたということです。
八五 土淵村の柏崎(かしわざき)には、両親とも正真正銘の日本人なのに、アルビノ(白子:からだや髪が真っ白な人)の子供が二人いる家があります。
髪も肌も目も、まるで西洋人のようです。
今は二十六、七歳くらいでしょう。
家で農業を仕事にしています。
話し声も土地の人とは違っていて、声が細くて鋭いです。
八六 土淵村の真ん中で、役場や小学校などがあるところを「本宿(もとじゅく)」という字(あざ)で呼びます。
ここに豆腐屋さんを仕事にしている「政(まさし)」という人がいて、今はおそらく三十六、七歳でしょう。
この人の父親が大病を患って亡くなりそうになっていたころ、この村と小烏瀬川(こがらせがわ)を挟んだ向こう側の「下栃内(しもとうち)」という字で家を建てる工事(普請)があり、地面を固めるための「堂突(どうづき:重りをみんなで息を合わせて地面に落とす作業)」をしているところへ、夕方に政の父親がひとりでやってきて、人々に挨拶をしました。
「おれも堂突を手伝うよ」と言って、しばらく仲間に加わって仕事をし、あたりが少し暗くなってから、みんなと一緒に家に帰っていきました。
あとになってから、人々は「あの人は大病のはずなのに、おかしいな」と少し不思議に思いましたが、あとで聞いてみると、まさにその日に父親は亡くなっていたとのことでした。
人々はお悔やみに行って、今日の出来事を話しましたが、その時刻はちょうど、病気が息を引き取ろうとしていたころでした。
八七 人の名前は忘れてしまいましたが、遠野の町の大きなお金持ちの家で、主人が大病をして命の瀬戸際にいたころのことです。
ある日、ふと菩薩寺(お寺)へ様子を見に来ました。
和尚さんはとても丁寧にもてなし、お茶などをすすめました。
世間話をして、やがて帰ろうとする様子に少しおかしなところがあったので、あとから小僧さんを後ろからこっそり見に行かせたところ、門を出て自分の家のほうへ向かい、町の角を曲がって見えなくなってしまいました。
その道でこの人に会った人が、ほかにもまだいました。
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