誰にでもしっかりと挨拶をして、ふだん通りの様子だったのですが、この日の晩に亡くなっており、もちろんそのときは外出などできるような体の状態ではありませんでした。
あとになってお寺では、「お茶は飲んだのだろうか」と、お茶碗を置いた場所を調べてみたところ、畳の目の合わせ目に、お茶がぜんぶこぼしてありました。
八八 これもよく似たお話です。
土淵村の大字土淵にある「常堅寺(じょうけんじ)」は曹洞宗のお寺で、遠野郷にある十二箇寺のリーダー(触頭:ふれがしら)をするお寺です。
ある日の夕方、村人の何某(なにがし)という人が、本宿から来る道路で、ある老人に出会いました。
この老人は、ずいぶん前から大病を患っていた人だったので、「いつの間に良くなったのですか」と尋ねると、「二、三日気分もいいので、今日は寺へ法話を聞きに行きんだ」と言い、寺の門の前でもまた言葉を交わして別れました。
常堅寺でも、和尚はこの老人が訪ねてきたので出迎えて、お茶をすすめ、しばらく話をしてから帰しました。
こちらも小僧さんに見に行かせたところ、門の外ですぐに見えなくなってしまったので、驚いて和尚に話し、よくよく調べてみると、お茶はやはり畳の間にこぼしてあり、老人はその日のうちに亡くなっていました。
八九 山口から柏崎へ行くには、愛宕山(あたごやま)のふもとを回っていきます。
田んぼに続く松林を通って、柏崎の家々が見えるあたりから、雑木の林に変わっていきます。
愛宕山のてっぺんには小さな祠(ほこら)があり、お参りする道は林の中にあります。
登り口には鳥居が立ち、二十本、三十本の古い杉の木が生えています。
その傍らにはまた、がらんとしたお堂が一つあります。
お堂の前には「山神」の文字が刻まれた石の塔が立っています。
昔から、山の神が現れると言い伝えられている場所です。
和野(わの)の何某という若者が、柏崎に用事があって夕方にこのお堂のあたりを通ったところ、愛宕山の上から、背の高い人が歩いて降りてきました。
「いったい誰だろう?」と思い、林の木立のすき間からその人の顔のあたりをめがけて歩み寄ったところ、道の曲がり角でバッタリと出くわしました。
相手のほうは、まさか人がいるとは思っていなかったのか、ものすごく驚いてこちらを見た顔はものすごく赤く、目はギラギラと輝いていて、しかもものすごくびっくりした顔をしていました。
「山の神さまに違いない!」と気づいて、あとは振り返りもせずに、柏崎の村まで一目散に走り着きました。
○遠野郷には山の神の塔がたくさん建てられています。その場所は、かつて山の神に出会ったり、山の神のタタリを受けたりした場所であって、神様をなだめるために建てられた石なのです。
九十 松崎村に「天狗森(てんぐもり)」という山があります。そのふもとの桑畑で、村の若者であるある男が働いていたところ、急にものすごく眠くなってきたので、「しばらく畑のあぜ道に腰掛けて、ちょっと居眠りをしよう」と思ったその時、とびきり大きな男で、顔が真まっ赤なやつが目の前に現れました。
その若者は気さくな性格で、ふだんから相撲が大好きだったため、「この見慣れない大男が、目の前にどーんと立って上から見下してくるなんて、なんだか気分が悪いな」と思い、思わず立ち上がって「お前はどこから来たんだ?」と尋ねました。
ところが男は何も答えません。
そこで若者は「一突き飛ばしてやろう!」と思い、自分の力自慢に任せて飛びかかり、相手に手を掛けようとした――その瞬間です。
なんと、逆に自分の方が見事に吹き飛ばされてしまい、気を失ってしまいました。
夕方になって意識が戻ってみると、当然ながらその大男の姿はどこにもありません。
若者は家に帰ってから、人々にこの出来事を話しました。
それはちょうど、秋のことでした。
早池峯(はやちね)山のふもとへ、村人たち大勢と一緒に馬を引いてハギの草を刈りに行き、さてそろそろ帰ろうかという時になって、なぜかこの男だけ姿が見えません。
みんなで驚いて探し回ったところ、深い谷の奥で、手も足も一本一本バラバラに引き抜かれて亡くなっているのが見つかりました。
これは今から二、三十年前の出来事で、この時の事情をよく知っている老人が、今でもちゃんと生きています。
天狗森には天狗がたくさん住んでいるということは、昔からみんなが知っていることなのです。
九一 遠野の町に、山のことなら何でも知っている物知りな人がいました。
もとは南部男爵家の鷹匠(たかじょう)だった人です。
町の人からは「鳥御前(とりごぜん)」というあだ名で呼ばれていました。
早池峯山や六角牛山にある木や石の名前、そしてその形や場所まで、すべて完璧に知っていました。
すっかりおじいさんになってから、キノコ採りに行こうと、一人の連れと一緒に出かけました。
この連れの男というのもすごい人で、水に潜る名人でした。藁(わら)と木槌(きづち)を持って水の中に飛び込み、水底でわら草履をちゃっかり作ってから上がってくるという、うわさの人でした。
さて、遠野の町と猿ヶ石川(さるがいしがわ)を隔てる「向山(むかいやま)」という山から、綾織村(あやおりむら)にある「続石(つづきいし)」という珍しい岩がある場所の、少し上の山に入ったところで、二人は別々に行動することにしました。
鳥御前が一人でまた少し山を登っていくと、ちょうど秋の日の夕方、西の山のてっぺんから四、五間(約8〜9メートル)ほどのところまで太陽が傾いた時刻でした。
ふと大きな岩の陰を見ると、顔が真っ赤な男と女が立って、何か話をしているのに行き合いました。
その者たちは鳥御前が近づいてくるのを見ると、手をパッと広げて「こっちに来るな」と押し返すような手つきをして止めようとしましたが、鳥御前はそんなのお構いなしにスタスタと歩いていきました。すると女は男の胸にしがみつくようにしました。
その様子を見て、「これは普通の人間じゃないな」と思いはしたものの、鳥御前はおちゃめな人だったので、「ちょっとからかってやろう!」と腰の切刃(きりは:刀)を抜き、切りかかるようなポーズをしました。
すると、その顔の赤い男が足を上げてキックをしたのかと思った瞬間、鳥御前は前後の記憶を完全に失ってしまいました。
一緒に来ていた連れの男が、山の中を探し回ったところ、谷底で気絶している鳥御前を見つけました。介抱して家まで連れ帰ると、鳥御前は今日あった一部始終を話し、「こんな恐ろしいことは今までに一度もない。自分はこれがもとで死んでしまうかもしれない。だから、ほかの誰にもこのことは言うなよ」と語りました。
そして三日ほど病に伏せたのち、亡くなってしまいました。
家族があまりにもその死に方を不思議に思い、山伏(やまぶし)のケンコウ院という人に相談したところ、「山の神さまたちが遊んでいる場所を邪魔したから、そのタタリを受けて死んだのだ」という答えでした。
この鳥御前という人は、伊能先生(いのうせんせい:柳田国男の知人である民俗学者・伊能嘉矩のこと)とも知り合いでした。
これは今から十余年前の出来事です。
九二 昨年のことです。
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