初級翻訳・遠野物語 第14話

柳田 国男

もし子どもたちを叱って「そんなことをしちゃいけません!」と止めようとする人がいると、かえって神さまのタタリ(罰)を受けて病気になってしまうこともあると言われています。
○神さまや仏さまの像が、子どもたちと遊ぶのが大好きで、それを邪魔したり止めさせたりすると怒ってしまうというお話は、ほかにもたくさんの例があります。
遠江(とおとうみ)の小笠郡大池村の東光寺の薬師仏(『掛川志』)、駿河(するが)の安倍郡豊田村曲金の軍陣坊社の神(『新風土記』)、あるいは信濃(しなの)の筑摩郡射手の弥陀堂の木仏(『信濃奇勝録』)などがこれにあたります。

七三 カクラサマの木の人形は、遠野郷の中にはたくさんあります。
栃内の「西内(にしうち)」というところにもあります。
山口の「大洞(おおほら)」というところにも昔あったことを覚えている人がいます。
カクラサマは、今ではだれも特別な神さまとしてお参りしたり信仰したりしていません。
とてもざつで粗末な彫刻で、着ている服や頭の飾りがいったいどうなっているのかもよく分かりません。

七四 栃内のカクラサマは、さきほどのような大きいものと小さいものの二つがあります。
土淵の村全体では、三つか四つほどあります。
どのカクラサマも、木の半分から上の像(半身像)で、ナタで荒削りしたようなとても不格好なものです。
それでも、「なんだか人間の顔だな」ということだけはかろうじて分かるくらいです。
「カクラサマ」という名前は、もともとは旅をする神さまたちが立ち寄って「ちょっとひと休みするための場所」の名前だったのですが、いつの間にかその場所にいつもいらっしゃる神さま自身のことをこう呼ぶようになったのです。

七五 離森(はなれもり)の長者屋敷(ちょうじゃやしき)には、ほんの数年前までマッチの軸木(マッチの軸になる木の棒)を作る工場がありました。
その小屋の入り口のところに、夜になると女の人がひょっこりしのび寄ってきて、こちらをじっと見て不気味にゲタゲタと笑うという出来事がありました。あまりにも気味が悪くて一人でいる淋しさに耐えられなかったので、ついに工場を大きな集落である山口へと引っ越したということです。
その後また、同じ山のなかに枕木(鉄道の下に敷く木の棒)を切り出すために小屋を建てた人たちがいました。しかし、夕方になると働く男たちがどこかへ迷い込んでしまい、帰ってきてからもボーッとして呆然としているということが何度も起こりました。このような労働者が四、五人はいて、その後も絶えずどこかへ出かけていくことがありました。
この者たちが後になって言うのを聞くと、女がやってきてどこかへ連れ出すのだそうです。
帰ってきたあとは、二日も三日もものの考えがつかない様子だったということです。

七六 長者屋敷は、昔むかしにお金持ちの長者が住んでいた跡だといわれており、そのあたりには「糠森(ぬかもり)」という山があります。
長者の家で出た米の糠(ぬか)を捨てたのが山になったから、この名前がついたということです。
この山のなかには五つ葉のうつ木(木の名前)があり、その下に黄金が埋められているといって、今でもそのうつ木の場所を探し歩く人が、ごくたまにいます。
この長者は昔の金山で働く人(金山師)だったのでしょうか、このあたりには鉄を溶かしたカス(滓)が残っています。
恩徳の金山もここから山伝いに続いており、すぐ近くです。
○いろいろな国の「ヌカ塚」や「スクモ塚」には、たいていこれと同じような長者の伝説がついてまわります。
また、黄金が埋まっているという伝説も、国中に数え切れないほどたくさんあります。

七七 山口の田尻長三郎(たじりちょうざぶろう)という人は、土淵村で一番のお金持ちです。
おうちの主人であるおじいさんのお話によると、この人が四十歳くらいのころ、おひで老人の息子さんが亡くなってお葬式があった夜のことです。
みんながお経を読み終えて、それぞれ家に帰っていったあとに、自分はおしゃべりが好きだったので少しあとに残って外に出ました。
すると、軒下の雨だれを受ける石を枕にして、あおむけに寝転がっている男がいました。
よく見ると、見たこともない人で、なんだか死んでいるような様子です。
お月様が出ている夜だったのでその光で見てみると、ひざを立てて、口をポカンと開けていました。
この人はとても度胸があったので、足でツンツンとゆすってみたのですが、少しも体が動きません。
道の真ん中をふさいでいて、ほかに通る道もないので、しかたなくその人の体をまたいで家に帰りました。
次の日の朝に行ってみると、もちろんそんな人がいた跡形もなく、またほかにその人を見かけたという人もいませんでした。
ただ、その男が枕にしていた石の形と置いてある場所だけは、昨日の夜に見たとおりのままでした。
この人は、「あのとき、手で触って確かめてみればよかったな。半分くらい怖かったので、つい足で触っただけだったから、それが一体だれのしわざだったのか、今でもさっぱり分からないんだよ」と話しています。

七八 同じ人の話に、この家に奉公していた山口の長蔵(ちょうぞう)という人がいます。
今でも七十歳を過ぎたおじいさんとして元気に生きています。
むかし、夜遊びに出かけて遅くに帰ってきたときのことです。
主人の家の門は、大槌(おおつち)へ続く街道のほうを向いて建てられているのですが、この門の前に来たとき、海のほうからやってくる人に会いました。
その人は雪合羽(ゆきがっぱ)を着ていました。
近づいてきてピタッと立ち止まるので、長蔵も「なんだろう?」と不審に思ってその人の顔を見つめました。
すると、街道を挟んで反対側にある畑のほうへ、スッとそれて歩いていきました。
あそこにはしっかりとした生け垣があったはずなのに、おかしいなと思ってよく見ると、生け垣はちゃんとその場所にありました。
急に怖くなって家の中に飛び込み、主人にこの出来事を話しました。
ところが、あとになって聞いてみると、これとまったく同じ時刻に、新張村(にいはりむら)の何某(なにがし)という人が、海からの帰り道に馬から落ちて亡くなっていたということです。

七九 この長蔵のお父さんも、同じように長蔵という名前でした。
代々、田尻家の下働き(奉公人)として、その妻と一緒に仕えていました。
若いころ、夜遊びに出かけてまだ夜の早い時間(宵のうち)に家に帰ってきて、門の入り口から中へ入ったときのことです。
母屋の前に、ぽつんと立つ人影がありました。
両手を懐に入れて、筒袖(つつそで)の着物の袖口をダラリと下げていましたが、顔はぼんやりしていてよく見えません。
お父さんの妻の名前は「おつね」と言いました。
「おつねのところにやってきた、夜這いの男(ヨバヒト)じゃないか」と思い、ズカズカと近づいていきました。
すると、奥のほうへ逃げるのではなく、かえって右手の玄関のほうへ寄っていくので、「人をバカにするな!」と腹が立ってきて、さらに追いかけました。
しかし、その男は手を懐に入れたまま後ろ向きに歩いて逃げ、玄関の戸が三寸(約9センチメートル)ほど開いている隙間から、スッと中へ入ってしまいました。

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