○この「一里」というのは、普通よりも短い小道(おみち)、つまり坂東道(ばんどうみち)のことで、一里が五丁(ちょう)あるいは六丁くらいの短いものなんだよ。
○「タッソベ」という地名も、きっとアイヌ語なんだろうね。岩手郡の玉山村(たまやまむら)にも、同じ名前の大字(おおあざ:村の大きな区切り)があるんだ。
○上郷村の大字である「来内(らいない)」の「ライナイ」もアイヌ語なんだよ。「ライ」は死ぬこと、「ナイ」は沢という意味で、水の流れが静かなところだからこの名前がついたのかな。
三
山々の奥には、「山人(やまびと)」が住んでいるんだよ。
土淵村(つちぶちむら)の大字である栃内(とちない)の、和野(わの)に住む佐々木嘉兵衛(ささきかへえ)という人は、いまも七0歳を過ぎて元気に生きているよ。
このおじいさんが若いころ、鉄砲を持って山に入ったときのこと。はるか遠くの岩の上に、美しい女の人が一人いて、長くて真っ黒な髪をクシで梳(す)いていたんだ。
顔の色はものすごく白かった。
おじいさんは肝が据(す)わった男だったから、すぐに鉄砲をむけてドンと撃ったら、その弾(たま)が当たって女の人はパタリと倒れたんだ。
あわてて走っていって見てみると、背の高い女の人で、さっきまでとかいていた黒髪は、なんとその背の高さよりもさらに長かったんだよ。
あとで証拠にしようと思って、その髪をほんの少し切り取って、ぐるぐると丸めて自分のポケット(懐:ふところ)に入れ、やがて家へ向かって歩き出したんだ。
そしたら道の途中で、ものすごく眠くなってきてどうしようもなくなったから、しばらく道の脇の木陰に寄って、うとうとと眠ってしまったんだ。
そのあいだに、夢なのか現実なのかわからないような不思議な気持ちでいると、これまた背の高い男が一人近づいてきて、おじいさんのポケットに手を突っ込み、さっき丸めて入れておいた黒髪を取り返してどこかへ行ってしまったんだ。見ると同時にパッと目が覚めた。
あれはきっと「山男(やまおとこ)」だったんだろうって言われているよ。
○土淵村の大字である栃内のお話だよ。
四
山口村の吉兵衛(きちべえ)というおうちのご主人が、「根子立(ねこだて)」という山に入って、笹(ささ)を刈って束(たば)にして、さあかついで立ち上がろうとしたときのこと。
笹原の上をスーッと風が吹き抜けていくのに気がついてふと見ると、奥のほうの林の中から、若い女の人が小さな子どもをおんぶして、笹原の上を歩いてこっちに向かってくるんだ。
それはそれはうっとりするほどあでやかな美しい女の人で、この人も長くてきれいな黒髪をたらしていたよ。
子どもを結びつけている紐(ひも)は藤(ふじ)のツルでできていて、着ている服はふつうの縞(しま)模様のものなんだけど、裾(すそ)のあたりがボロボロに破れていて、そこにいろんな木の葉をくっつけて繕(つくろ)ってあったんだ。
足は地面にペタッと着いているようにも見えなかった。
そんなふうに何食わぬ顔ですーっと近づいてきて、男のすぐ目の前を通り過ぎて、どこかへ行ってしまったんだ。
このご主人は、そのときのあまりの怖さにショックを受けて病気になってしまい、長い間ふせっていたんだけど、つい最近亡くなってしまったよ。
○土淵村の大字である山口村のお話。吉兵衛というのは代々この家の当主が名乗る名前だから、このご主人もやっぱり吉兵衛という名前なんだよ。
五
遠野郷から、海側の「田ノ浜(たのはま)」や「吉利吉里(きちりきり)」という場所へ行くには、むかしから「笛吹峠(ふえふきとうげ)」という山道があったんだ。
山口村から六角牛のほうへ入っていく道で、道のりも近くて便利だったんだけど、近ごろはこの峠を越えようとすると、山の中で必ず「山男」や「山女(やまおんな)」に出会ってしまうようになったんだ。だからみんな怖がるようになって、だんだん通る人も少なくなってしまった。
ついに別の新しい道として「境木峠(さかいぎとうげ)」というほうを開いて、和山(わやま)を馬の休憩所(馬次場:うましば)にして、いまではみんなそっちばかりを通るようになったんだよ。
元の道よりも二里(り)以上も遠回りになってしまうんだけどね。
○山口という地名は、六角牛山に登るための山の入り口(山口)だから、村の名前になったんだよ。
六
遠野郷では、大金持ちや大きなお百姓さんのことを、いまでも「長者(ちょうじゃ)」と呼んでいるんだよ。
青笹村(あおさざむら)の大字である糠前(ぬかのまえ)の長者のおじいさんの娘さんが、ある日ふつうではないもの(神隠しなど)にさらわれて、行方知れずになってから何年も経っていたんだ。
あるとき、同じ村のある猟師(りょうし)さんが山に入ったところ、一人の女の人に出会った。
「うわっ、怖い!」と思って鉄砲で撃とうとしたら、「待って、驚かないで。撃たないでちょうだい」と言ったんだ。
びっくりしてよく見たら、なんとあの行方不明になっていた長者の大切なお嬢さんだった。
「どうしてこんなところにいるんだ!」と聞くと、「あるものに連れていかれて、いまはその人の妻になっているの。子どももたくさん産んだけれど、ぜんぶ夫が食べてしまって、いまは私一人だけがこうしてここにいるのよ。私はこの地で一生を終える運命(さだめ)なの。だから私のことは誰にも言わないで。あなたも危ないから、早く逃げ帰って!」と言われたものだから、どこに住んでいるのかも詳しく聞けないまま、怖くなって逃げ帰ってきたということだよ。
○「糠の前」というのは、「糠の森(ぬかもり)」の前にある村だからそう呼ばれているんだ。「糠の森」というのは、よその国にある「糠塚(ぬかづか)」と同じようなものだよ。遠野郷にも、糠森や糠塚という名前の場所がたくさんあるんだ。
七
上郷村(かみごうむら)の、あるおうちの娘さんが、山へクリを拾いに入ったきり、帰ってこなくなったんだ。
家族の人たちは、「きっと死んでしまったんだろう」と思って、その女の子が使っていた枕(まくら)を身代わり(形代:かたしろ)にして、お葬式(そうしき)をしてしまったんだよ。それから二、三年が過ぎたころ。
その村の人が、猟をして五葉山(ごようさん)の真ん中あたりに入っていったところ、大きなおおいかぶさるような岩があって、まるで洞窟(どうくつ)のようになっている場所で、思いがけずその娘さんにばったり出会ったんだ。
お互いに「わあっ!」とびっくりして、「どうやってこんな山の奥にいるんだい?」と聞くと、娘さんはこう答えたんだ。
「山に入ったときに、恐ろしい人にさらわれて、こんなところ連れてこられたのです。逃げて帰ろうと思っても、すきがまったくなくて帰れないんです」って。
「その人っていったいどんな人なんだい?」と聞くと、娘さんは、「私にはふたりの人間と同じように見えるけれど、ただ、背がものすごく高くて、目の色がちょっとギョッとするほど恐ろしい感じがします」と答えたそうだよ。子供を何人か産んだものの、「自分に似ていないから自分の子供ではない」と言って、食べるのか殺すのか、みんなどこかへ連れ去ってしまうのだという。
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