(『利根川図誌』など。
千葉県|印旛郡臼井町臼井)
しかし、東京などの「咳のおば様」には、特にそのような悲しい歴史や由来がなくても、やっぱりお願いすると子供の百日咳を治してくれたと言いますから、こうした伝説は後から作られたものなのかもしれません。
築地(つくじ)の稲葉家(いなばけ)のお屋敷にあった咳のおじいさんとおばいさんの石像は、もともとは小田原から箱根へ行く道の、「風祭(かぜまつり)」という場所の道のほとりにあったものを、江戸へ持ってきたものだということです。
「風外(ふうがい)」というお坊さんが、庵(いおり)を作ってそこに住み、後に出て行くときにそのまま残していったので、おそらくは風外の父母の像であろうと言われていましたが(『相中襍志』)、自分の親の像を置き去りにして去っていく人なんていないわけですから、やはりこれも「道の神様」の二つの石像であったのだろうと私は思います。
山の峠や橋のたもと、または風祭のように道路の両側から丘がグッと迫っているような場所には、昔からよく、男と女の石の神様がまつられていました。
箱根から熱海(あたみ)の方へ越える日金(ひかね)の山頂などにも、恐ろしい顔をした石の像が二つあって、その一つを「閻魔(えんま)さま」、もう一つを「三途の川の婆様」と呼んでいました。
そこを通る旅人が、お金を紙に包んで、ぽっかりと開いた石の口の中に入れていくこともあるそうです。
しかし、その場所ではまだ「咳の病気を祈る」ということは聞いていません。
浅草(あさくさ)には、今から四十年ほど前まで、「姥が淵(うばがふち)」という池が小さくなって残っていて、一つの家と石の枕にまつわる、ものすごく恐ろしい昔話が語り伝えられていました。
浅草の観音様が美しい少年に化けて、鬼婆(おばば)の家にやって来て一晩の宿を借りました。鬼婆はそれとは知らずに、石の枕を石のハンマー(石の槌)で叩いてしまい、あやまって可愛い一人娘を殺してしまいました。その悲しさのあまり、おばあさんはこの池に身を投げて死んでしまった。
「姥が淵」という名前もそこから起きたなどと言われていましたが、この池でもやっぱり、子供の咳の病気をお願いすると必ず治ると信じられていたそうです。
こちらは、竹の筒にお酒を入れて池の岸の木の枝にぶら下げてお供えすると、まもなく病気がすっかり治ったということですから、この姥神も、もともとはやはり子供たちを守って下さる神様だったのです。
(『江戸名所記』)
何か必ずわけがあることだと思いますが、姥神様はたいてい水のほとりにおまつりされていました。
そのため、臼井のおたつ様のように「水の中で死んでしまった女性の霊が残っているのだ」というふうに、後から説明するお話が多くなったのです。
静岡の市街地から少し東へ行ったところ、東海道の立派な松並木から四五十間(約80〜90メートル)ほど北へ入ったところにも、有名な「姥が池(うばがいけ)」という池が一つありました。
ここでは、旅人が池の岸に来て、「姥、甲斐(かい)ない!」と大きな声で呼びかけると、たちまち池の水がぐわっと湧き上がると言われていました。
「甲斐ない」というのは、今の言葉でいうと「だめだなあ」「役に立たないなあ」ということです。
それに関していろいろな昔話が伝えられているようですが、やはりその中にも、咳の病気について語るものがあるのです。『駿国雑志(すんごくざっし)』という本に書かれているお話によると、昔、ある家のお乳母(うば)様が、ご主人の小さなお子様を抱いてこの池のそばを通りかかったときのことです。子供が急に激しく咳き込んで、とても苦しそうにしはじめました。「お水を汲んで飲ませてあげよう」と思ったお乳母様は、子供を下に寝かせて、ちょっとだけ目を離してしまいました。そのほんのわずかなすきに、子供は苦しさのあまりもがき、転げるように池へ落ちて亡くなってしまったのです。
お乳母様は、ご両親や家族に対して申し訳なさすぎて合わせる顔がないと、あとを追うように池に身を投げて命を絶ちました。
だからこそ、この池に向かって「姥(うば)、甲斐ない(だめだなあ、役に立たないなあ)!」と叫ぶと、池の主がくやしがって水が湧き上がり、さらにここで病気平癒のお祈りをすると、咳がピタリと治るのだと言われているのです。
しかし、一方でこんな伝え方もあります。このお乳母様は「金谷長者(かなやちょうじゃ)」という大金持ちの大きなお屋敷の乳母で、若様(わかさま)の咳の病気がどうか治るようにと、この池のそばにあった石のお地蔵様にお祈りし、なんと自分の身を池に投げ出して、ご主人の大事な赤ちゃんの命を救ったのだというのです。だからこそ、その子の咳が治っただけでなく、後々になってもずっと、この病気にかかる人たちを救ってくださるのだと語り継ぐ人たちもいます。
伝説というものは、もともと人に人へと語り継がれるうちに、少しずつお話が変わっていくのがふつうです。けれど、とにかくこの池のそばには「咳の姥神様」がおまつりされていて、ある時代にはそれが「石のお地蔵様」になっていたらしいのです。
そして、そのお地蔵様もまた「道の神様」であり、昔から子どもが大好きでたまらない優しい御方だったのでした。
(静岡県の『安倍郡誌』。静岡県清水市入江町元追分)
――もしも「姥神(うばがみ)」という神様が、もともとは「子安様(こやすさま)」と同じ神様であり、いつの時代も子どもたちの安全をずっと見守ってくださる優しい神様だったのだとしたら、どうして後になって「咳の病気」ばかりを治してくださる神様だと言われるようになったのでしょうか?
ここには何か大きな思い違いや、言葉の勘違いがあったのではないか――そう考えて調べてみた人がいました。
上総国(かずさのくに)の南の端にある「関(せき)」という村には、昔、高さが約五尺(約1.5メートル)、まわりの長さが二十八尺(約8.5メートル)ほどもある、八角形で上に穴の開いた大きな石が二つありました。
大昔、この村に関所の門があったときの土台石だということで、村の人たちはこれを「関のおば石」と呼んでいました。
この「おば石」は、本当は「御場石(おばいし)」と書くのが正しいのだと言う人もいましたが、やはり本当は「姥石(うばいし)」であったようです。ところがつい最近、道路の工事(道普請)をするために、二つあった石のうちの一方を取り除けてしまったところ、それからというもの、村の中で悪いことばかりが立て続けに起こるようになりました。そこで、あわてて代わりの石を見つけてきて、南側の岡のてっぺんに据え直し、「姥神様」としておまつりすることになったのです。
もとの場所にそのまま残っているもう一つの石についても、村の人たちの多くは「あれこそが本当の姥石だ」と思っているようです。
そして、日本各地にある他の不思議な神石と同じように、この関の石も「この百年ほどの間に重さが倍になったんだ」という言い伝えが語られていました。
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