初級翻訳・日本の伝説 第25話

日本の伝説

ただし、このお話にもまた別の言い伝えがあるので、私はそのお話を次にお話しして、この話題をおしまいにしようと思います。
(『相生集』福島県安達郡塩沢村)

 機織御前を「織物業(おりものぎょう)の元祖の神様」として大切におまつりしている地方はたくさんあります。
そのひとつが、能登(のと)の能登比咩(のとひめ)神社です。この神様は、昔はじめて能登の国にお兄様の神様といっしょにお下りになり、神様の御衣服をお作りになったあと、その機織りの道具を海の中にお投げになりました。それが今では「織具島(おりぐしま)」という島になって、富木浦(とぎうら)の沖に浮かんでいます。
この地方の織物業者たちは、昔から「機を織る糸にぬる糊(のり)の代わりに、稗(ひえ)の粥(おかゆ)を使うのは、もともと姫神様が教えてくださったからだ」といって、今でも四月二十一日の大切なお祭りの日には、稗の粥を作って神様にお供えすることになっているそうです。
(『明治神社誌料』石川県鹿島郡能登部村)

 野州(やしゅう)の那須(なす)では、「那須絹(なすきぬ)」の元祖として、綾織池(あやおりいけ)のほとりに「綾織神社(あやおりじんじゃ)」をおまつりしています。
大昔、館野長者(たてのちょうじゃ)という人が、可愛い娘の綾姫(あやひめ)のために綾織大明神を迎え入れたというのが、今に伝わる歴史ですが、そのお話の前には、ちょっとびっくりするような不思議なお話(奇談)があったのです。
この池は、今から二百五十年前の山崩れによって土に埋まってしまい、今は小さな池になってしまいましたが、昔はとても有名で大きな池でした。
その頃、池の主である大蛇が美しい女の人に化けて、都に上り、ある人の奥さんになりました。そして見事な綾を織って、だんだんと家は豊かになり、あとには立派な長者になったのです。
ある時、この奥さんが昼寝をしているところへ夫がやって来て様子を見てみると、なんと大きな蜘蛛(くも)でした。
夫があまりの驚きに大騒ぎしたので、蜘蛛の奥さんは一首の歌を残して、池へと逃げ帰ってしまいました。
その時、残していったという歌がこれです。
——「恋しくだ、たづねて来れ、下野(しもつけ)の、那須のことやの、綾織りのいけ」
(恋しくなったら、私を尋ねておいでよ。下野の那須の、ことやの綾織りの池へ……)
そして、夫がその歌のあとを追って探し求め、再びこの池のほとりで妻と再会したというお話もあるのです。
この歌はこの地方の「臼ひき歌(うすひきうた)」として長く歌い継がれてきたといいますから、これもまた、那須地方の大切な伝説のひとつだったのです。
(『下野風土記』栃木県那須郡黒羽町北滝字御手谷)

 この歌が、あの有名な安倍晴明(あべのせいめい)の母親だと言われる「葛の葉(くずのは)のキツネ」のお話とそっくりだということは、誰にでもすぐに分かりますね。ただ、那須のお話の方には、子供のことは登場しません。ところが、歌の文句にある那須のことやというのが、もしこのお社のある御手谷のことであるならば、福島地方の絹の神様、小手姫御前(こてひめごぜん)はもとは同じ方なのだろうと思いますが、こちらには親子のお話が残されているのです。
小手姫様は、今の飯阪(いいざか)の温泉の近く、大清水(おおしみず)の村におまつりされているのが一番有名で、地元の人たちは「機織御前(はたおりごぜん)のお宮」と呼んでいます。
いろいろな言い伝えがあって、少しも内容は一致しませんが、今でもよく知られているのは、羽黒山(はぐろさん)の神様である蜂子(はちこ)の王子の母親にあたる方で、王子のあとを慕ってこの東北の地までやって来こられ、七十歳になるまであちこちを歩きながら、カイコを育てて絹を織ることを人々に教え、のちにこの大清水の池に身を投げ亡くなられたというお話です。
それはとにかく、お宮の前には左右に小さな池があって、水がどこまでも澄みきっており、今でも村の人々は絹を織ると、その端切れ(布の織り留め)をこのお宮にお供えしているということです。
(『信達二郡村誌』福島県伊達郡飯阪町大清水)

この小手姫の「小手」という言葉には、なにか女性の手仕事や技芸という意味があったのではないかと私は思いますが、今の小手川村(こてがわむら)の中には、「布川(ぬのかわ)」という集落もあり、小手姫がこの川原に出て、自分で織った布を日光にさらしたとも言われています。
つまり、布を織るおばあさんの信仰の方が、この地方における絹織物の歴史の始まりよりも、むしろ古かったようなのです。
そう考えると、小手姫を蜂子王子の母親と言い始めた理由も、少しずつ見えてきます。
つまり、王子の立派な衣服を作る担当として、昔からいっしょにおまつりしていたのが、のちに絹の産業がさかんになってから、独立してその「機織御前」だけをおがむようになったとも考えられるのです。
先ほどお話しした二本松の機織御前なども、昔、領主の畠山高国(はたけやまたかくに)という人がこのあたりで鷹狩りをしたとき、天から舞い降りてきた織姫に出会って結婚し、松若丸(まつわかまる)という男の子が生まれました。
その松若丸が七歳のとき、母親の織姫はふたたび天へと帰ってしまい、のちにこのお社を建てておまつりするようになったと、地元の人たちは語り継いでいたそうです(『相生集』)。このお話は、また那須の綾織池(あやおりいけ)の伝説とも、少し似た雰囲気を持っています。

このように考えていくと、機を織る姫神をきれいな湧き水のそばにおまつりしたのも、もとは若い男の神様に、毎年新しい神様の衣(衣裳)をささげたいという願いから始まったものであり、どこをどうたどっても、「御姥子様(みうばこさま)」の信仰は、岸辺に生える柳のように、ひとつの大きな伝説の流れの筋を私たちに見せてくれているのです。

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**箸が育つ木(おばしせいちょう)**

お箸を地面にグサッとさしてそのままにしておいたら、だんだん大きくなって、立派な大木になったというお話が、あちこちにあります。
東京では、向島(むこうじま)の吾妻神社(あづまじんじゃ)のわきにある「相生の楠(あいおいのくすのき)」もそのひとつです。根本から四尺(約1.2メートル)ほどのところが二股に分かれていますが、もとは二本の木が合わさったものと考えられています。
お社の言い伝えでは、昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)がここで弟橘姫(おとたちばなひめ)をおまつりしたとき、お供え物につけていた楠(くすのき)のお箸を取って土の上に立て、「もし今後の天下がずっと平和であるならば、この箸の二本とも大きく茂り栄えよ」と祈られたそうです。
すると本当にその箸に根がはえて、のちにはこんなに大きな木になったというのです。
この楠の枝を四角くけずったものを、今でも赤ちゃんを産むお母さんたちがもらっていくそうです。
その木で作ったお箸でごはんを食べていれば、必ずお産が軽くなると信じる人が多く、またこの木の葉を煎じて飲むと、恐ろしい疫病(えきびょう)からも逃れることができるとも言われていました。

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