そして土地で評判が高くなってからは、本当のところはあまり大きくなりませんでした。
前にお話しした下総(しもうさ)の熊野石なども、熊野から拾ってきたときは燧袋(ひうちぶくろ)の中で、すでに大きくなっていたというくらいでしたが、あとにはだんだんと成長する様子が目立たなくなっていきました。
二十年前に比べると、一寸(約3センチメートル)は大きくなったという人もいれば、毎年お米一粒ずつは大きくなっているのだという人もいましたが、それはただそう思って見ただけで、実際に二度も石の寸法を測ってみようという人は、本当はいなかったのでした。
あるいは、出雲の飯石神社(いいいしじんじゃ)の神石のように、もとはお社の中に祀ってあったという話や、筑後の大石神社のようにお前立のお宮が今よりもずっと小さかったという話はあちこちにありますが、それは遠い昔のことであって、石が大きくなっていくところを目のあたりに見ているということは、誰にもできないのです。
筍(たけのこ)のように早く成長するものでさえ、やはり人の知らないうちに大きくなります。
ましてや石は、君が代の国歌にもある通り、「さざれ石の巌(いわお)」となるまでには非常に長い年月がかかるものと考えられていたのです。
つまりは、ひとつの土地に住む多くの人たちが、古くからみんなで「石は成長するものだ」と思い込んでいたために、こうした話を耳にして信じる人が多かったというだけにすぎなかったのです。
山々の背くらべ
石が突然に大きくなろうとして、失敗したというお話も残っています。
たとえば常陸の石那阪(いしなざか)の峠の石は、毎日毎日伸びて天まで届こうとしていたのを、静の明神(しずのおみょうじん)がお怒りになって、鉄の靴を履いてお蹴り飛ばしになりました。
すると石の頭が二つに砕け、ひとつは飛んで今の河原子(かわごらし)の村に、もうひとつは石神の村に落ちて、どちらの土地でもおほこらに祀ったという言い伝えがあります。
一説には、天の神さまのご命令で、雷さまがやって来て蹴飛ばしたとも言われており、石那阪ではその残った石の根を「雷神石(らいじんせき)」と呼んでいました。
高さは五丈(約15メートル)ほどしかありませんが、まわりは山いっぱいに根を張っていて、たしかにこのまま成長し続けたら大変なことになっていただろうと思わせるような大岩でした。
(『古謡集其他』)茨城県久慈郡阪本村石名阪では、このような言い伝えもあります。
陸中(りくちゅう)の小山田村にある、はたやというお社のまわりにも、大きな石の柱が短く折れたようなものがたくさん転がっていました。これも、大昔の神さまの時代に石がぐんぐん成長して、一晩のうちに天まで突き抜けようとしたのを、神さまに蹴飛ばされてこのように小さく折れてしまったのだと言われていました。(『和賀稗貫二郡志』岩手県和賀郡小山田村)
南会津の森戸村には、「森戸の立岩(たていわ)」という大きな岩山があります。
昔、この山が大きくなろうとしていたときに、やはりある神さまがやって来て、その頭を蹴り折ったと言われています。そして、そのときのはしっこ(かけら)を持って来て、逆さに置いたのがこれだと言って、すぐそばの岩下の部落には「逆岩(さかさいわ)」という、高さが八丈(約24メートル)、まわりが四十二丈(約126メートル)ほどもある大きな岩が、今でも残っています。(『南会津郡案内誌』福島県南会津郡館岩村森戸)
山を、木などのように順々に大きくなったものと考えていた人が、昔はもしかしたらいたのかもしれません。
富士山なども、大昔に近江の国から飛んで来たらしく、その跡が琵琶湖になったというお話がありました。
奥州の津軽では、岩木山(いわきさん)のことを「津軽富士」と呼んでいます。
昔、この山が一晩のうちに大きくなろうとしていたとき、ある家のおばあさんが夜中に外へ出てそれを見つけたので、山はもうそれっきり伸びるのをやめてしまったそうです。誰も見ずに放っておいたら、もっともっと高くなっていたはずだというお話です。
磐城(いわき)の絹谷村(きぬやむら)にある「絹谷富士」は、富士と名前はついても高さは200メートルほどの山ですが、この山もちょうど地面から湧き出すように高くなってきたとき、ある女の人がそれを見て「山が高くなっているよ!」と大きな声で叫んだため、それ以上高くなるのをやめてしまいました。もし女の人がそんなことを言わなかったら、天までとどいていたかもしれないと、土地の人たちは話しています。(『郷土研究一編』福島県岩城郡草野村絹谷)
駿河(するが)の足高山(あしたかやま)は、大昔に「諸越(もろこし)」という遠い国から、富士山とどちらが高いか背くらべをしにやって来た山だというお話があります。
東海道を走る汽車の中からちょうど富士山の前に見える山で、裾野を長く引いてなかなかの大山ですが、山のてっぺんがありません。それは、足柄山(あしがらやま)の神さまが「生意気な山だ!」と言って、足を上げて蹴りくずしてしまったので、足高山は低くなってしまったのだと言われています。
その山のかけらが海の中に散らばっていたのを、人々がだんだんと寄せ集めて、海岸に小高い一筋の陸地を作りました。それが「浮島が原(うきしまがはら)」で、そこを今では鉄道が通っていますが、昔の道路は「十里木(じゅうりぎ)」という所を越えて、富士山とこの足高山の間を通っていました。旅人たちは、道すがら右と左に二つの山を見くらべながら、そんなお話をしていたのです。(『日本鹿子』静岡県駿東郡須山村)
伯耆(ほうき)の大山(だいせん)の後ろには、「韓山(からやま)」というぽつんと離れた山があります。
この山も、大山と背くらべをするために、わざわざ韓国から渡ってきた山だから「韓山」と呼ぶのだと言い伝えられています。
その韓山が、少しばかり大山よりも高かったものですから、大山は立腹して、木の下駄(もくり)を履いたままの足で韓山のてっぺんを蹴飛ばしたといいます。
だから今でもこの山の頭はかけており、大山よりもずっと低いのだということです。(『郷土研究二編』鳥取県西伯郡大山村)
九州では、阿蘇山の東南に「猫岳(ねこだけ)」という珍しい形の山があります。
この山も、いつも阿蘇山と高さを競い合おうとしていました。
怒った阿蘇山が、ばさら竹(すずたけ)の杖を持って、しょっちゅう猫岳のてっぺんを叩いていたので、頭がこわれて凸凹になり、今のように低くなってしまったのだといいます。(『筑紫野民譚集其他』熊本県阿蘇郡白水村)
山が背くらべをしたという伝説は、とても広くあちこちに伝わっています。
たとえば、台湾の山奥に住む人たちの中でも、霧頭山(むとうさん)と大武山(だいぶさん)という兄弟の山が競争して、弟の大武山が兄の霧頭山をだまして、自分ひとりでずるずると大きくなったというお話があります。
だからこそ、大武山は兄の山よりも高いのだと言われているのです。(『生蕃伝説集』パイワン族マシクジ社)
それからまた、古い時代のお話にも、よく似た伝説がありました。
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