どちらも北方の守り神である玄武神(げんぶしん)の信仰から伝わってきたものなのでしょう。)
一一〇 「ゴンゲサマ」と呼ばれるものは、神楽(かぐら)を舞うグループごとに一つずつ大切に備えられている木彫りの像のことで、獅子頭(ししがしら)によく似ていますが、少し違った形をしています。このゴンゲサマは、とてもすごいご利益があるものでした。新張(にいはり)の八幡社(はちまんしゃ)の神楽組のゴンゲサマと、土淵村(つちぶちむら)の字・五日市(いつかいち)の神楽組のゴンゲサマが、かつて途中で大げんかをしたことがありました。その時、新張のゴンゲサマが負けて片耳を失ってしまい、今でもその耳はないということです。毎年村々を舞い歩くため、これを見知らない人はいません。ゴンゲサマの霊験(れいげん:神仏の不思議な奇跡)は、なによりも「火伏(ひぶせ:火事よけ)」にありました。あるとき、先ほどの八幡の神楽組が附馬牛村へ出かけ、日が暮れてもなかなか泊まる宿が見つからずに困っていたところ、ある貧しい家の人格者が快く泊めてくれました。そこで、五升桝(ごしょうます)を伏せてその上にゴンゲサマを座らせ、みんなは床について眠りました。すると夜中に、なんだかガツガツと固い物を噛むような音が聞こえてきたので、驚いて目を覚ましてあたりを確認してみると、なんと家の軒端(のきば)に火が燃え移ろうとしていたのです。しかし、桝の上に乗っていたゴンゲサマがピョンピョンと飛び跳ねて、その燃え盛る火をパクパクと食べて消し止めていたのだということです。また、子どもの頭の病気などで苦しむ人がいると、よくゴンゲサマにお願いをして、その痛むところをガブッと噛んでもらうということもありました。
一一一 山口(やまぐち)、飯豊(いいで)、附馬牛の字・荒川東禅寺(あらかわとうぜんじ)や火渡(ひわたり)、青笹(あおざさ)の字・中沢(なかざわ)、そして土淵村の字・土淵には、どこも「ダンノハナ」という同じ地名があります。そのすぐ近くには、それと向き合うように必ず「蓮台野(れんだいの)」という地名もありました。昔はこの地方に、六十歳を超えたお年寄りはみんなこの蓮台野へ追いやってしまうという恐ろしいしきたりがあったのです。とはいえ、お年寄りたちをただ飢え死にさせるわけにもいかなかったので、日中は里へ下りてきて畑仕事をし、自分たちの食べる分を稼いでいました。そのため、今でも山口や土淵のあたりでは、朝に野良へ出かけることを「ハカダチ(墓立ち)といい、夕方に野良から帰ってくることを「ハカアガリ(墓上がり)」と言うのだと伝えられています。(※ダンノハナはおそらく「壇の塙(はなわ:高くなっている土地)」のことでしょう。つまり、丘の上にお墓のように土を盛り上げて築いた場所なのです。境界の神様をまつるための塚であったと信じられています。蓮台野もこれと同じ種類の場所であろうと、『石神問答(いしがみもんどう)』という本の中でも述べられています。)
一一二 ダンノハナは、昔このあたりに「館(たて:城や砦)」があった時代に、罪人たちを斬罪(ざんざい)に処した場所なのだろうと言われています。地形を見てみると、山口のダンノハナも、土淵や飯豊のダンノハナもほぼ同じような造りをしており、どちらも村の境界にある丘の上です。仙台にもこの「ダンノハナ」という地名があります。山口のダンノハナは、大洞(おおほら)へ越える丘の上にあって、昔の館の跡地からそのまま続いています。蓮台野は、このダンノハナと山口の人々の家々を間に挟んで、ちょうど向かい合うように位置しています。蓮台野のまわりはすべて沢(谷あいの湿地)になっています。東側はダンノハナとの間の低い土地であり、南の方角は「星谷(ほしや)」と呼ばれています。この場所には、「蝦夷屋敷(えぞやしき)」と呼ばれる四角く凹んだ跡がたくさん残っており、その痕跡は今でも非常にはっきりとわかります。そこからは、たくさんの古い石器が出土します。石器や土器が出土する場所は、山口の中に二ヶ所あります。もう一ヶ所は「ホウリョウ」という小さな字(あざ)の場所です。ここの土器と蓮台野の土器とでは、作りのスタイルがまったく違っています。後者の蓮台野の土器には技巧のあとが少しも見られませんが、ホウリョウの土器は模様などがとても巧みに作られています。また、土で作られた埴輪(はにわ)もここから見つかります。さらに、石の斧(おの)や石の刀といったものも出土します。蓮台野からは、「蝦夷銭(えぞせん)」と呼ばれる、土で作られた直径二寸ほどの銭の形をしたものがたくさん見つかります。これには、シンプルな渦巻き模様などが描かれています。ホウリョウの字の場所からは、丸い玉や管状の玉(くだたま)も出土します。ここの石器は非常に精巧に作られており、使われている石の品質も一貫していますが、蓮台野のほうは使われている原料がバラバラでさまざまです。ホウリョウのほうは、何があった場所なのか建物の跡などはよく分かりませんが、一町歩(約1ヘクタール)ほどの狭い場所です。星谷の底のほうは、現在では田んぼになっています。昔の蝦夷屋敷は、この両側のエリアにずっと連なって建っていたのだと言い伝えられています。このあたりには、地面を掘ると恐ろしい祟り(たたり)がある場所が二ヶ所ほどあります。
○ほかの村々でも、二つの場所の地形やその言い伝えには似たようなところがあるということです。
○「星谷」という地名も全国各地にあり、昔は星をまつっていた場所なのです。
○「ホウリョウ権現」という神様は、遠野をはじめとして東北地方(奥羽)一帯で広くまつられている神様です。
蛇の神様だといわれていますが、その名前の由来はよく分かっていません。
一一三 和野(わの)には「ジョウヅカ森」と呼ばれる場所があります。
ここは昔、象を埋めた場所だといわれているのです。
この場所だけには決して地震がこないといわれており、近所では地震が起きたときには「ジョウヅカ森へ逃げなさい」と、昔から言い伝えられてきました。
しかしここは、本当は人間を埋めたお墓なのです。
塚(土を盛り上げた墓)のまわりには溝(堀)がめぐらされており、塚の上には石が置いてあります。
この場所をうかつに掘ると、恐ろしい祟りがあるといわれています。
○「ジョウズカ」という名前は、「定塚(じょうづか)」「庄塚(しょうづか)」あるいは「塩塚(しおづか)」などと漢字で書かれ、全国あちこちにたくさんあります。
これも境界の神様をまつった場所であり、地獄の「ショウツカの奪衣婆(だつえば:三途の川の衣類を剥ぎ取る老婆の鬼)」の伝説とも深い関係があることが、民俗学の本『石神問答(いしがみ問答)』のなかに詳しく書かれています。
また、「象坪(ぞうつぼ)」などの象頭神(ぞうずしん)ともつながりがあるため、象にまつわる伝説もまったく根拠のない話ではありません。さらに、お墓(塚)を「森」と呼ぶのも東日本ならではの言葉の習慣です。
一一四 山口のダンノハナは、現在は村の共同墓地になっています。
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