そして、男をじっと見据えました。
今度は男が、茶碗に酒を注ぎ返して一口で飲み干すと、またチラリと丸彦を睨み返しました。丸彦はもう一度茶碗を手に取ると、酒を注いで一口で飲み干し、それから男をじっと見つめました。
男もまた、茶碗に酒を注いで一口で飲み干すと、丸彦をじろりと睨み返しました。
ふたりとも、ひとことも口をききません。
やがて、丸彦は立ち上がって馬のそばへ歩み寄り、その見事な姿をじろじろと眺めました。
男はあぐらをかいたまま、黙って丸彦の様子を見ています。
その時、丸彦はとつぜん、右手に持っていた大きな法螺貝を馬の耳元にくっつけて、息をいっぱいに吸い込み、ぶうぶうと吹き鳴らしました。
馬はおどろいて飛び上がり、男は怒って山刀を抜き、飛びかかってきました。
丸彦は一足よけて、鉄で作った鞭を左手に振りかざし、男の攻撃をあしらいながら、右手の法螺貝をなおも吹き鳴らし続けました。
馬はますますおどろいて暴れ回り、綱を引きちぎった勢いで、一目散に駆け出しました。
それを見た男はびっくり仰天して、丸彦の相手をすることをやめ、馬のあとを追って走り出しました。
丸彦は「ははは」と笑いました。
けれどやがて笑いをやめ、法螺貝で自分の額をこつんと叩きました。
「しまった。あの男は怪しい奴だ。捕まえるべきだった」
しかし、もう馬も男もどこかへ行ってしまい、姿は見えませんでした。
丸彦は、そそっかしいことをしたと悔やみながら、家の方へ帰っていきました。
野原を横切り、小さな丘を越えて、川沿いに帰っていきますと、その川岸の柳の木陰に、なにか大きなものが立っていました。
もううす暗くなっていましたが、よく見ると、それは先ほどの馬でした。
道に迷って、川岸にぼんやりと立ち止まっているのです。
男の姿はどこにも見当たりませんでした。
「せめて、馬だけでも捕まえてやろう」
丸彦はそう言って静かに歩み寄り、まんまと馬を捕まえました。
捕まえてみると、なおさら立派な馬でした。これほどの馬は、どこを探しても見つかりそうにありません。
丸彦はすっかりうれしくなりました。その馬に乗り、法螺貝を小脇に抱えて家へ帰りました。
そして丸彦は長彦に会い、馬を生け捕りにしてきたわけを話し、馬を自慢しました。
長彦は言いました。
「なるほど、これは立派な馬だ。しかし、この馬を捕まえてきたことが、良いことになるか悪いことになるか、いっそう用心しなければなるまい」
「私が引き受けます」と丸彦は言いました。
丸彦はただ、馬のことがうれしくてたまりません。そして、観音様のお堂のそばに、立派な馬小屋を作りました。
五
それからしばらく経つと、なんとなく怪しいことが目につくようになりました。
観音様にお参りに来る人たちの中に混じって、目つきの鋭い変な男が、こっそりと様子をうかがっているようでもありました。
夜中に観音様のお堂のあたりで物の音がすることもありましたし、馬がにわかに動き回ることもありました。
庭のあちこちに怪しい足跡がついていることもありました。
そしてある夜遅く、馬小屋の中で馬がひどく暴れ出したようで、それからまた静かになりましたが、かねてから気をつけていた顔丸の丸彦は、そっと起き上がって見回りに行きました。
月が出ているはずでしたが、霧の深い夜で、辺りはうす暗くぼうっとしています。
目を凝らしてみると、馬小屋の前に黒い身なりの男が立っていて、中を覗いていました。
丸彦は駆け寄るが早いか、男の頭を鉄の鞭でぴしりと打ちつけ、男がよろめいて立ち直ろうとするところを、今度はそのわき腹を足で蹴り上げました。
男は気絶してばったりと倒れました。
けれど、丸彦はもうその男にかまってはいられませんでした。
そのすぐ向こう、観音様のお堂の前に、もう一人、大きな男が立っているのです。
やはり黒い身なりで、ひげをぼうぼうと生やした大男でした。
恐れる様子もなく、丸彦の方をじっと睨みつけています。
丸彦も大男をじっと睨み返しました。
大男は一歩進んで言いました。
「おまえは堅田の顔丸の丸彦か」
「そうだ。おまえは何者だ」と丸彦は言いました。
「おれは、鞍馬の夜叉王だ」
ふたりはしばらく睨み合っていましたが、夜叉王は地面に倒れている男を指して言いました。
「その男をもらっていくから、こちらに渡せ」
「渡さないぞ。ほしかったら、腕ずくで取ってみろ」
そう言って丸彦は鞭を捨て、両手を広げて立ちました。
夜叉王も腰の大きな刀をそこに置き、両手を広げて立ちました。
二人は組みつき、互いに相手をねじ伏せようとしました。
丸彦はおどろきました。夜叉王の強さといったら、まるで地面から生え抜いた岩のようで、押しても引いても手ごたえがありません。うんうんともみ合っているうちに、丸彦は下におさえつけられてしまいました。
ところが、夜叉王がそこから丸彦ののどを締め上げようとしたので、丸彦はその隙を逃さず、ぐいっと跳ね返して夜叉王の足をすくい、見事に相手を抑え込みました。
丸彦は必死の力で夜叉王を押さえつけながら、頬をふくらませて、息の続く限り、法螺貝の音の真似を口で高らかに吹き鳴らしました。
先ほどからの騒ぎと、今また響いた法螺貝のような音を聞きつけて、下男たちが駆けつけてきました。
顔長の長彦も姿を現しました。
そしてついに、大勢の力で夜叉王を縛り上げてしまったのです。
気を失って倒れていたもう一人の男も、水をかけて息を吹き返させ、同じように縛り上げました。
この男こそ、先日、野原で馬を連れて酒を飲んでいたあの悪党でした。
さて、こうなっては観念するほかないと、夜叉王もさすがに覚悟を決め、すらすらと白状しました。
――鞍馬の夜叉王は、鞍馬山の奥に潜む賊の頭目でした。
堅田の観音様の像の噂を聞きつけ、悪だくみを思いついたのです。
それは、観音様を盗み出し、足に泥を塗って「観音様が歩き回った」ように見せかけ、手下どもに命じて様々な噂を流し、大勢の参拝者からお賽銭を巻き上げて奪い取ろうという計画でした。
ところが、夜叉王は悠長なことをしていられなくなりました。
京の都の大臣の屋敷から盗んできた馬を、顔丸の丸彦に奪い取られてしまいましたし、その馬の持ち主をよく知っている坂の上の朝臣が、堅田へやって来ることになったからです。
朝臣はもうすぐ到着するはずでしたから、どうあってもその夜のうちに、馬を取り返し、お賽銭も盗んでしまおうと、大胆にも手下と二人だけで忍び込んでいたのでした。
「ひどいやつだ。いっそ打ち殺してしまいましょう」と顔丸の丸彦が言いました。
「いや、待ちなさい。私に考えがあるから……」と顔長の長彦が言いました。
こうして、鞍馬の夜叉王とその手下は、堅田の兄弟の家につなぎとめられました。
六
坂の上の朝臣は、約束通り堅田にやって来られました。
堅田の顔長の長彦とは前からの知り合いでした。
朝臣は、堅田の観音様の不思議な噂を耳にされて、長彦を疑ったわけではありませんが、何分にも怪しい事件の多い世の中でしたから、実際の様子を見届けにいらしたのです。
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