最も愚鈍な者が、最も賢い者なり』
また、ここから赤道まで八千六百ベスター(距離の単位)といった標識もあちこちに立っています。
だから、僕たちはその辺りで五、六日は休むんですよ。そこは本当に面白い場所なんです。白熊がいるんです。テッデーベーヤ(シロクマ)さ。あいつはひょうきんなやつでね。氷の端に立って、とぼけた顔でじっと海面を見つめているかと思うと、急に前足で頭を抱えるようにして、ざぶんと水の中に飛び込むんです。すると、体中の毛が銀色の針のようにキラキラと光るんですよ。わざと溺れるふりをしておどけてみせたりもするけれど、そんなふうに遊びながら、しっかり魚を捕まえるんだから大したものです。魚を捕まえると、今度は大威張りで氷の上に上がってくる。魚というのは本当に馬鹿なもので、熊がふざけていれば自分たちは大丈夫だと思い込んでいるんですよ。白熊はなかなか賢いんです。
それから、その次に面白いのが北極光(オーロラ)です。ぱちぱちと音がするんですよ。本当に鳴るんです。紫だの緑だの、ずいぶん綺麗な見世物ですよ。僕らはその下で手をつなぎ合って、ぐるぐる回ったり歌ったりするんです。そのうち、とうとう帰る時がやってきます。今度は海の上を渡って帰るんですよ。
「あ、もう演習の時間だ。明日また話すからね。じゃあ、さよなら」
又三郎は一瞬で見えなくなってしまいました。みんなも丘を降りました。
九月九日
「北極は面白いけれど、そんなに長く留まる場所じゃない。うっかりして周りをふらふらしているところを、ヘルマン大佐にでも見つかったら、すぐに『おい、その赤毛のやつ、入れ』なんて言われるからね。いくら面白くても、少し疲れが取れたらすぐに出発を始めるんだよ。帰りは自由だから、みんなで手をつながなくてもいい。気の合った友達と二人か三人ずつ、向こうの空き具合を見計らって出発するだろう。
僕が通ってきたのはベーリング海峡から太平洋を渡って、北海道へかかったルートだ。いやはや、道中は本当に大変だった。ただ高いところをぐんぐん駆けていたのとはわけが違う。南の方から来てぶつかってくるやつはいるし、ぶつかれば霧が出たり雨を降らせたりする。負ければ後戻りしなければならないし、力の強いやつ同士がぶつかればしばらくその場に留まって、この前のサイクルホールみたいになったりする。勝ったとしても手間取るから、本当にイライラするんだよ」喧嘩だってずいぶんするよ。
けれども決して卑怯なことはしない。
そうだな、僕らが三人くらいで北の方から少し西へ寄って南へ進んでいくとするだろう。すると向こうからちょうど反対にやってくる。こっちが三人で向こうが十人のこともあるし、向こうが一人のこともある。けれども、勝つか負けるかは人数じゃない、力なんだよ。人数に速さをかけたものが力なんだ。
「君たちはどこまで行くつもりだい?」と、こっちが遠くから聞くね。
「アラスカだよ」と向こうが答えるだろう。
「冗談じゃないよ、アラスカなんて行くところはありゃしない。僕たちがさっきそこから来たんじゃないか」
「いいや、行くように言われて来たんだ。さあ通しておくれ。いいや、僕たちこそ『大循環』のメンバーなんだ。よくマークを見てごらん」
大循環だと言われると、たいてい誰でも少し顔色を和らげて、マークをよく見るね。最初から「ああ、大循環か、通してやれ」なんて言うものも、もちろんいるよ。
けれども、中には大人げないたちの悪いのもいるからね。「なんだ、大循環だ? かっぱめ、ばかにしやがるな。どけ!」なんて、わざと空っぽな大きな声を出すやつもいるんだ。
「いいえ、どきません。じゃあ法令通りボクシングをやりましょう」となるだろう。勝つことも負けることもある。けれども僕は卑怯なのは嫌いだからね。もし隙を狙って逃げたりするものがあっても、そんなやつを追いかけたりはしない。ただ、「あとでヘルマン大佐につかまるよ」と言い残すだけなんだ。
静かな日に、決まった速さで海面を南西へかけて行くときは、本当にうれしいね。そんな日だって十日に三日はあるよ。そうやって、ちょうど北極を出てから一ヶ月目に、僕は津軽海峡を通ったんだ。夜明け方だったね。函館の砲台がある山には低く雲がかかっていて、僕はそれを少し押しながら進んだ。海スズメが何重もの輪になって、白い水面にすれすれで回っている。カモメもいるし、船も通る。エトロフ丸なんていう荷物をいっぱいに積んだ大きな船もあれば、白く塗られた連絡船もある。
そうそう、そのとき僕は北海道の大学の伊藤さんにも会ったんだ。あの人も気象の研究をしているから、僕は知っているんだ。
それから、僕は少し南へまっすぐ朝鮮の方へかかったよ。あの途中のさびしかったことと言ったら! 僕はたった一人になっていたものだから、雲はとってもきれいだったし、邪魔もあんまりなかったけれど、本当にさびしかったねえ。朝鮮から僕はまた東の方へ、西風に送られて行ったんだ。海の中ばかり歩いたよ。商船の甲板でシガーの紫の煙をくゆらせているチーフメートの耳元で、「もしもし、お子さんはもう歩いていらっしゃいますよ」なんて言って通り過ぎるんだ。船の上の人たちへの僕たちの挨拶は、たいていこんな工合なんだよ。
上の方を見ると、あの冷たい氷の雲が静かに流れている。そうだ、あそこを新しい「大循環」の志願者たちが走って行くんだな。いつまた僕は大循環へ入るだろう。ああ、もう二十日かそこらで今度の任務は卒業するんだ、と考えると、本当に何とも言えずうれしい気がするねえ。
」
「おらの方の試験と同じだな」耕一が言いました。
「うん、だけどおまえたちの試験よりは難しいよ。お前たちの試験のようなものなら、ただ毎日学校へさえ来ていれば、遊んでいても卒業できるだろう」
又三郎は、きっと誰か怒るだろうと思って、少し口を曲げて笑いながらこう言いました。
「おらの方だって、毎日学校さ来るのは大変だぞい」耕一が、大して怒った様子もなくこう言いました。
「ふん、そうかい。誰だって同じことだな。さあ、僕は今日も忙しい。もうさよなら」
又三郎の姿は、もうみんなの前にありませんでした。みんなはバラバラになって丘を降りました。
九月十日
「ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ、
ああまいざくろも吹き飛ばせ、
すっぱいざくろも吹き飛ばせ、
ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ
ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ。」
先ほど又三郎から聞いたばかりのその歌を、一郎は夢の中でもう一度聞いたのです。びっくりして飛び起きてみましたら、外では本当にひどい風が吹いていて、うしろの林はまるで咆えているようでした。明け方近くの青黒い薄明かりが、障子や棚の上の提灯箱や、家中をいっぱいに満たしていました。
一郎はすばやく帯を締め、それから下駄を履いて土間に下り、馬屋の前を通って潜り戸を開けました。すると、風が冷たい雨の粒と一緒にどうっと入ってきました。馬屋のうしろの方で何かの戸がバタッと倒れ、馬はブルルッと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底まで染み込んだように感じて、ハァーッと強く息を吐きました。そして外へ駆け出しました。
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