あの「図々しい」という言葉では片付けられないような胆の太さだけでも、命乞いをされる資格がある奴だと思った。
もし人間であれば、当然どこかの城の主になれるような風格がある。
それが野良猫として生きているのは、運命のいたずらに過ぎない。
毛の色が少し汚いというだけの偶然が、彼の運命を支配してしまったのだ。そんなことは、本人には知ったことではないはずだ。
卑しい心で人間にすり寄るような連中が、温かい寝床と食べ物をもらっているのに、彼のような奴が捨てられているというのは、人間の不名誉ですらある。
しかも彼は、落ちぶれても決して卑屈にならない。
コソコソと台所をうかがったりもしない。
堂々と夜襲を敢行し、力の限り戦って捕らえられるやいなや、もうじたばたせず、鳴き声一つ上げないのだ。
しかし、私は結局母に向かって言い出すことができなかった。
現実の生活において、私のそんな考えなどは、ただの病人のわがままに過ぎなかったからだ。
実はこの春にも、私は母とちょっとした衝突をしたことがあった。
私の借家の庭には、柏やもみじ、桜や芭蕉といった数本の木がある。
春から青葉の頃にかけて、それらの木々の姿は美しく、私はそれらが見える場所へ病床を移して楽しんでいた。
それをある時、母が枝々を惜しげもなく切り払い、見るも無残な姿にしてしまったのだ。ある木に至っては、ほとんど丸坊主にされてしまった。
私は怒った。
そしてすぐに心の中で自分を責めた。
母だって、決して木々を愛していないわけではない。
樹木の本当の美しさを解さないわけではないのだから。ただ母は、自分が作っている菜園に陽光を届けなければならないのだ。
母は曲がった腰に鍬(くわ)を担ぎ、肥料を背負って、狭い庭の隅々までを耕し、畑にしていた。
病気の息子に新鮮な野菜を食べさせたい、ただそれだけの一心だったのだ。
食べ物を狙う猫と人間の関係も、残念ながら昔のような微笑ましいものではなく、殺伐とした争いへと変わってしまったことは認めざるを得なかった。
何かを盗まれても、昔のように笑って許すことは、今の私たちには難しくなっていた。
毎晩、睡眠を妨げられる三十分間という時間も、今の彼女たちにとっては、昔の三十分とは重みが違っていたのだ。
病人の私が「あの黒猫の野良猫らしいところが気に入ったんだ」などと、口を出せる余地はどこにもなかった。
……それに、「一度こうしてこらしめれば、あいつも懲りるだろう」という私の考えも、今思えば甘いと言わざるを得なかった。
あいつは、そんな素直で神妙な奴であるはずがないのだから。
午後、私は決まりの安静時間を過ごし、眠るともなしにまどろんだ。
妻は配給の品々を取りに行って時間がかかり、ようやく帰ってきた。
目が覚めると、私はすぐにまた猫のことを考えた。
母は天気のいい日には決まってそうするように、今日も一日中庭に出て、土いじりをしているらしかった。
私は耳を澄ませてみたが、裏庭からは相変わらず、それらしい物音は何も聞こえてこなかった。
妻は二階へ上がってくると、すぐに言った。
「お母さん、もう始末をつけてしまったんですね。今帰ってきて、芭蕉(ばしょう)の木の下をひょいと見たら、莚(むしろ)でくるんであるものがあって、足の先がちょっとはみ出ていて……」
妻は、見てはいけないものを見てしまったというような顔をしていた。
母は一体、どんな手段をとったのだろうか。
老人の感情というものは、時にはひどく脆(もろ)いものだが、時には驚くほど無感動で、無感情でもある。
母は、老人らしい平気な様子で処理をしたのだろう。
それにしても、彼はその最期の時でさえ、「ぎゃあ」と叫び声を上げたりしなかったのだろうか?
いずれにせよ、私が眠っており、妻が買い物に出かけて留守だったのは幸いだった。
もしかすると母は、わざわざその時間を選んだのかもしれない。
日が暮れる頃、母は少しの間、家にいなかった。
そしてその時には、もう芭蕉の下にあった莚の包みもなくなっていた。
次の日から、私はまた今までと同じように、毎日十五分か二十分ほど日当たりのいい庭に出た。
黒猫はいなくなり、卑屈な奴らだけがのそのそと庭を這い回っていた。
それは、いつになったら治るのかもわからない私の病気のように、退屈で愚劣な光景だった。
私は、今まで以上に彼らを憎み始めていたのである。
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