すると、真っ赤な火独楽は、文字通り一条の火の矢となって、しかもピュッと恐ろしい唸りを上げ、鼻かけ卜斎の顔へ食いつくように飛んでいきました。
「おお、これはッ?」
と驚いた卜斎。切り下ろした厚重ねの大刀を持ち直す間もなく、火の玉のように宙を舞ってきた火焔独楽を、ガッキと刀の鍔(つば)で受け止めました。しかし、その瞬間、独楽の金色の輪と鍔の間から、まるで蛍籠でもぶち壊したかのように、青白い火花が鏘然(しょうぜん)として八方へ飛び散りました。
「うつッ……!」
卜斎が片手で目を覆ったその隙に、竹童はいち早く般若丸の刀を拾い上げ、バラバラッと廊下へ飛び出しました。それと同時に、奇跡の火焔独楽はポーンと跳ね返り、竹童の手元へ舞い戻ってきました。
いかにも不思議な魔独楽の力だ、と驚かされましたが、後でよく見れば、独楽の金輪の一端に細い金環がついており、その金環から数丈もの紐が心棒に巻き付けてあったのです。
跳ね返ったのは独楽自身の魔力ではなく、竹童の帯に結びつけてあった紐の弾力によるものでした。
手元へおどり返ってきたのは、当然の仕組みだったのです。
三
竹童を取り逃がした卜斎は、不意の閃光に目をやられ、一時はあたりがぼんやりと霞んでしまいましたが、廊下を走っていく足音を聞きつけると同時に、
「うぬッ!」
と憤然として、その真っ暗な部屋から駆け出しました。
そして、いきなり廊下から庭先へ降りようとして、闇の中にそれと見えた沓脱石(くつぬぎいし)へ足をかけました。ところが、これはどうしたことか。それは庭の踏石ではなく、ふわりとしたものが足の裏でやわらかくぐらついたかと思うと、
「ぎゃッ!」
と、蛙がつぶれるような声が上がりました。
それは竹童より先に逃げ出していた泣き虫の蛾次郎でした。今まさに縁の下へ潜り込もうとしているところへ卜斎の足音がしてきたので、そのまま縁の下へ首を突っ込んだ状態で、石の真似をしていたらしいのです。
あの勢いで、大柄な卜斎に踏みつけられたのですから、蛾次郎がギャッと言ってぺしゃんこにつぶれたのも無理はありません。
しかし、驚いたのはむしろその上に足を乗せた卜斎のほうでした。まさかそれがやわらかい石だとは夢にも思わなかった弾みで、よろよろとつんのめり、あやうく向こうの梅の老木に頭をぶつけて、再び目から火の出るような痛い思いをするところでした。
「やッ……おのれは蛾次郎だな!」
気がつくと卜斎は、いきなり蛾次郎の襟首を掴み、ウンと外へ引きずり出そうとしました。
蛾次郎は半分潜り込んだまま縁の下の土台にしがみついて、
「ごめんなさい! 親方、親方!」
と、土竜(もぐら)のように出ようとしません。
なにしろ蛾次郎にとって、この卜斎ほど恐ろしいものはありません。
裾野にいた時分から、気に入らないことがあるとすぐに鏃(やじり)を研ぐ金槌で頭をコーンと叩かれるのはまだ優しいほうで、ふいごで拳骨を食らったり、弓の折れたものでビシビシと叩かれた恐ろしさが、体の芯に染み付いているのです。
しかも、まだ当時の師弟関係を解消したわけではなく、卜斎が北ノ庄へ帰る途中に目を盗んで逃げ出した身ですから、見つかったが最後、今度はどんな目に遭わされるかと生きた心地もしないのです。
「たわけめ。出ろ、ここへ!」
と怒鳴りながらも、卜斎は少し苦笑をもらしてしまいました。
今でも裾野の頃の気持ちで、自分に対して「親方、親方」と呼ぶところがいくぶんか正直に思えて、おかしくなったのです。この蛾次郎には、竹童へ向けたような、あの本気の殺意は抱けませんでした。「勘弁してください、親方、お願いです!」
「出てこいと言っているんだ!」
「あッ、苦しい……いま出ます、いま……」
「このバカめ」
卜斎が力まかせに引っ張り出して、こっぴどく叩きつけようとすると、蛾次郎は頬っぺたを押さえながら飛び退き、
「親方、どうも、お久しぶりでした」
とピョコンとおじぎをして、巧みに次の拳骨を予防しました。
「蛾次郎!」
「へいッ」
「貴様は誰の許しを得て、あちこち勝手に飛び回っているんだ」
「申し訳ございません」
「まだ、貴様に暇を出した覚えはないぞ」
「承知しています。これから、決して気ままに遊び歩いたりはしません。はい、親方の腰巾着としてついております」
「また、何のために、この竹生島へなど来ているのだ」
「琵琶湖で溺れ死にかけたところを、ここの神主のやつが助けてくれまして……私が来たくて来たわけじゃないんです」
「竹童もか」
「そうです」
「武田伊那丸や、あの一党の者たちはその後どうしているか。何か噂を聞いているだろう」
「あのなかの、小幡民部や咲耶子や山県蔦之助などは、小太郎山の砦で留守番をしているそうです」
「そして、伊那丸は?」
「加賀見忍剣と木隠龍太郎を連れて、しばらく京都におりましたが、そのうちに秀吉の陣を通って、桑名から東海道のほうへ帰っていったという話です。……けれども、それは私が見たわけじゃありませんから、親方、違っていても勘弁してください」
蛾次郎は、卜斎の顔色がだんだん和らいでくるのを見ると、甘えたような調子で話し出しました。
「うーむ。秀吉は伊那丸に好意を寄せて、暗に彼を庇護しているようだな。だが……」
卜斎は、自分の今後について何か大事な方針を考え始めたようで、逃げた竹童のことはひとまず横に置き、どっかと庭石に腰を下ろして腕組みをしてしまいました。
「――だが、家康は伊那丸を憎んでいる。確かに彼を亡き者にせねば、ある不安から離れられまい。伊那丸も家康を武田家の仇として狙っているのは知れきったこと……」
「そ、その通りですよ、親方」
蛾次郎はそばからおちょぼ口をつぼめて、
「これからまた、富士山のまわりで凄まじい戦があるとすれば、伊那丸と家康の喧嘩でしょうよ。家康も東海道の名将ですが、伊那丸のほうにいる忍剣や龍太郎というやつらも強いですからね。それに、小太郎山に残っている小幡民部というやつが、とんでもない軍師だそうで」
そう言いかけたところで、また卜斎の顔色をうかがい、
「だが、親方にはかなわないや、きっと――」
と前言をあいまいにしました。
「俺も柴田家から爪弾きにされた以上、なんとかここで今後の身の振り方を決めなければならん」
「はい、その通りです」
深いわけも分からぬくせに、卜斎が独り言のようにつぶやくのへ蛾次郎はいちいち相槌を打ち、自分も腕組みの真似をしています。
「うむ」
それには相手をせず、卜斎は一人で納得したように頷くと、着ていた陣羽織を脱ぎ捨てました。
「しばらくの間、また元の鏃(やじり)鍛冶に化けて、世間の流れを見ていくとしよう。そのうちに、何かいい運が開けてくるはずだ」
「じゃあ親方、また裾野の人無村へ帰って、テンカンテンカンと鍛冶仕事をするんですか」
「どこに住むかは分からんが、てめえもこれからは無断でほうぼう飛び回ることは許さんぞ」
「へ、へい」
「どこまでもおれについていろ。そして一人前の鏃師になったら暇をくれてやる。おっと、そんなことはともかく、おれがここへ来たことを竹童に知られてしまった以上、もう長く居座るのは危ない。
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