彼は目がくらんでしまいました。
ただそこに大きな楢(なら)の木があり、断崖の空間に向かって枝を曲げていました。
バリバリと音を立てて、蛾次郎は幹を這い、その横枝へと移りました。
しかし、そこもホッとするような安全地帯ではありません。
血眼になった竹童がすぐさま同じ幹をよじ登り、般若丸で楢の小枝を払いながら、ジリジリと迫ってきました。
追いつめられた手長猿のように、蛾次郎はどんどん危険な枝へと這い移りました。「いくら竹童でも、もうここまでは来られまい」と安心したのも束の間、ふいに竹童の体重が同じ枝にのしかかった途端――生木の股に虫食いでも入っていたのでしょうか、ボキッとあまりにも脆い音がしました。
かなり大きな枝でした。
それが二人の体とともに、ザーッと深い樹間の空へと落ちていきました。
「あッ」という暇もなく、すべては一瞬のうちに思い切った結末を迎えました。
やがて、嵐弦の滝の深い淵に、白い水が踊り上がったのが見えました。
そしてしばらくは消えない泡の上へ、落葉樹の黄色い葉や楢の実がバラバラと降ってやみませんでした。
二
山はまた元の静寂にかえり、坩堝(るつぼ)から出たような陽光が、樹林の上の秋の自然を輝き照らしました。
ほどなくしてまた、そこへ二人の旅人が仲よく話しながら登ってきました。
一人は年配の女で、坂東三十三箇所を巡礼して歩く者のようで、一人は天蓋のついた笈(おい)を背負っています。
「山の道というものは、迷ったら際限がない。もうこうなっては急がないことだ。そのうちには誰か山家のものにゆきあうであろう……だが、お時さん、女の足ではさだめしお疲れになったろうな」
「いいえ、少しも」
「急いてはいけませんよ。息を平調に保ってお歩きなさい。道に迷った時はなおのこと、山は気を落ち着けて歩くにかぎります」
地蔵行者の菊村宮内(きくむらくない)と、坂東巡礼のお時でした。ほんの旅の道連れにすぎない二人でしたが、その仲の良さは、まるで同じ屋根の下で暮らす家族以上の温かさがありました。
お時は宮内の身の回りのこまやかな世話を焼き、宮内は旅の途中で心細くなるお時をいつも励ましていました。どうかして、このお時がずっと探し求めている、本当の子供を見つけ出してやりたいと願っていたのです。
言うまでもなく、ここは御岳の「お止山(立ち入り禁止の山)」であり、本来なら足を踏み入れてはならない場所です。それなのに、二人はその禁制にも気づかず、一体どこの山道から迷い込んでしまったのでしょうか。
その時、宮内は腰をかがめて、何か不思議そうな顔をしながら地面のものを拾い上げました。
「こんなところに、南蛮渡りの短銃が落ちている……」
「宮内さま、まだこのあたりに、草履だの、紙だの、いろいろなものが落ちておりますよ」
「なるほど」
「誰の持ち物なのでしょうか?」
お時は、落ちている小さな草履が気にかかりました。
「どれ、どれ」
宮内はそこに笈(おい)を下ろすと、踏み散らされた落ち葉の跡をたどっていきました。
そして、あの楢(なら)の木の断崖から、深い谷底の水面をのぞき込んで、
「おお、お時さん、大変だ、大変だ! 誰か山家の子らしい者が水に浮いている」
「えっ、子供が!」
こういう場合にかぎらず、子供という言葉を聞くとすぐに顔色を変えるのが、お時の癖になっていました。
「あの様子では、まだ水に落ちてからそれほど時間はたっていない。わしはここから藤づるにすがって、その子たちを助けてくる。お時さんは、わしが戻ってくるまでこの楢の木のそばを離れてはなりませんぞ」
どうやってこの絶壁を下りるのかと見ていると、宮内はさすがに武士の生まれだけあって、いざという時の胆力は恐ろしいほど座っていました。
彼はアケビや藤の蔓をたぐり寄せ、あっという間に滑り降りました。
途中まで降りると、何か足がかりがあったのでしょう。彼の姿は忽然と木の葉の中に隠れてしまいました。
――かと思うと、また滝の水しぶきが立ち込めている岩場の淵に沿って、水面に注意を払いながら駆ける宮内の小さな影が見えました。
三
どこか上品で、物腰の静かな旅の侍が、森閑とした御岳の社家の玄関に立ち、取次ぎを介してこう申し入れました。
「当社の神主、長谷川右近どのにお目にかかりたく参じました。私は京都、菊亭公の雑掌(ざっしょう)、園部一学というものです」
若い神官たちを相手に、奥で笙(しょう)を吹いていた長谷川右近は、
「はて、菊亭右大臣家から、何の使いであろう」
と不思議に思いつつも、急いで客間へと通しました。
そこで対面した一学という人物は、なるほど温厚で、京風の装いをした立派な人でした。
「さっそくに伺いますが」
「はい。ご用向きは?」
主客とも、心持ち膝を寄せ合いました。
「ほかでもございません。先ごろ当社の広前で行われました兵法大講会のみぎり、信玄公のお孫、武田伊那丸さまとそのほかの浪人衆が、お忍びで見物に入り混じっていたと里の噂に聞きました。その後のおゆくえをご存じないでしょうか。信玄公のご在世まで、代々武田家より社領のご寄進もあったこの山のことゆえ、もしやご存じかと思い、伺いに参った次第です」
そう聞くと、神主の長谷川右近は、まるで初耳のような顔をして目を見開きました。
「ほお。ではあの時、信玄公のお孫、伊那丸さまがご見物の中におられましたか」
と、あべこべに園部一学へ問い返しました。
「では、ご存じないのですか?」
「いや、ただいまが初耳です。それと知っておりましたら、もとのご縁故も浅からぬこと、ぜひお引き留めしたものを」
「それでは、おゆくえも分かりませんか」
「さらに存じ上げません。……その伊那丸さまのお年ごろは?」
「天目山にてお父上とともにお果てになった太郎信勝さまより一つ下――本年十六歳になられます」
「して、お供の者は?」
「いずれもわざと姿を変えておりますが、小幡民部は堅苦しい武芸者風。巽小文治と申す者はもと浜名湖の船頭の子とかで、目印には常に朱柄の槍を携えております。また浪人風の山県蔦之助、六部姿の龍太郎、わけても恵林寺の弟子僧、加賀見忍剣と申す者は、武田家滅亡以来、寸時も側を離れることなくお付き合い申しておる忠節な男……」
話しているうちに、神主・長谷川右近の顔から血の気が引き、発作的な病気でも起こしたかのように唇をワナワナと震わせ、土気色になってしまいました。
――と、急に座を立って、
「しばらくの間、中座ごめんを」
と、足も畳につかぬ様子で奥の座敷へと駆け込んでいきました。
取り残された一学は、何か急病で気分でも悪くしたのかと思っていましたが、待てど暮らせど神主の返事もなければ、神官たちの応対もありません。
一方、神主の右近は、目がくらむほどの驚きに包まれていたのです。一学の話によれば、さきごろ、ご神縄にかけて山毛欅(ぶな)の上にしばりつけた怪僧は加賀見忍剣(かがみ・にんけん)であり、同時に、それ以来、垢離堂(こりどう)の板の間に二十一日間の謹慎を守っている人々こそ、まさしく信玄公のお孫、伊那丸君であり、お付きの人々であると気がついたからである。
御岳の人々は、それが武田家の御曹子とは、まったく知らずにご神縄を解いたのであったらしい。
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