神官たちはにわかに相談して、その善後策に沈鬱(ちんうつ)な空気をつくった。
「夢にも知らぬご無礼、深くおわびをしたら、お咎(とが)めもあるまい。このうえは、一刻も早く、あの垢離堂から社家(しゃけ)へお移し申し上げ、また、付人の忍剣とやらの神縛りも解いて謝罪するよりほかに手段はなかろう」
いつまで応接のないのはそのためであった。
神官たちが垢離堂へ迎えに立ったあとで、右近はやっと一学のまえへ出てきた。そして、あからさまに事情を述べて謝罪のとりなしを頼むのだった。
「ほ。それでは、若君は当社においで遊ばしましたのか」
「武田家からは、世々、あつき社領を賜り、亡家ののちも、決して疎かには思いませぬものを、なんとも面目ない大失態」
「いや、まったく知らずにしたことなれば、寛大な若君、お咎めはありますまい。なんにしても、ここでお目にかかることができれば、自分もはるばるの使いとしてきてなによりの僥倖(ぎょうこう)です」
間もなく、清掃した社家の客殿へ、錦繍(きんしゅう)のしとねが置かれた。垢離場の板敷にワラの円座を敷いて、数日謹慎していた人々は、一躍あたたかい部屋と丁重なもてなしに迎えられてきた。
一行の人々は、神官たちが平あやまりに謝る事情を聞いて、一場の滑稽事のように笑っていた。また伊那丸も、それをとがめるどころではなく、自分の手飼いの者が神庭を汚したのであるから、主たる自分の謹慎するのは当然であって、まだ二十一日に満たないうちに許しを賜うのは、神に対してむしろ心苦しいとさえいうのであった。
で、御岳の神官たちは、ホッとした。
「ときに、若君をたずねて、はるばる都からまいられたお方がござります」
右近はおそるおそる、菊亭(きくてい)家の使いの由を伊那丸にとりついだ。
「通せ」
こういってやると、折り返しての返事が、
「ひそかなご用件とやらで、清浄な、神殿において、若君とただふたりだけでお目にかかりたいと申しますが」
という腑に落ちないことばである。
民部も龍太郎も、一行の人々は、見知らぬ旅の侍に油断はならないとたぶんな懐疑をもった。
伊那丸は考えて、
「だが、かりそめにも、菊亭右大臣家はわしの伯母さまのご縁づきなされた家柄、お疑い申しては済まぬことだ。わしひとりで神殿においてその者に会いましょう」
と、ふたたび右近を介して、その旨を言いやった。
冷気のこもったうす暗い拝殿に、二つの円座が設けられた。伊那丸と園部一学がそこに対座したとき、杉戸の外には、木隠龍太郎(こがくれ・りゅうたろう)や蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)などが、大刀を掴んで、よそながら主君の身を守っている気配であった。
が――伊那丸は、京都からきたという一学を見ると、すぐに、彼があやしげな者でないことを信じた。
「若君はもうお忘れでございましょうが、去年、お父上の勝頼(かつより)さまに似た僧侶をお慕いなされて菊亭家へお越しあそばしたことを」
「オオ」
「その折、よそながら一学は、お姿を拝しておりましたが、わずか一年のうちに、見ちがえるばかりなご成長……」
そういって畏(おそ)るおそる伊那丸を見上げながら、
「右大臣家において、常に、お噂申し上げております」
「菊亭晴季(きくてい・はるすえ)公にも、いつも、お変わりなくお暮らしであるか」
「世は戦塵濛々(せんじんもうもう)、九重(ここのえ)の奥もなんとなくあわただしく、日ごとご君側の奉仕に、少しのお暇(いとま)もないていにお見受け申しまする」
「それは祝着である。そして、とくにそちがわしを尋ねてきた用向きとはなんであるな」
「右大臣家へのご托使(たくし)にござります」
「托使? ……では晴季公よりのご用でもないのか」
「さればです!」
と、一学はさらにパッと威儀をあらためて、
「お嗽口(うがい)を」
と目配せをして立った。
ただごとではない――と伊那丸もすぐに席を立った。そして、清水を汲んで手洗、嗽口をすまし、あらためて席へもどってくる。一学もおなじようにすすぎを終え、神殿の龕(がん)に御灯をともした。
ふとみると、そこに禁裡(きんり)のみ印のある状筥(じょうばこ)がうやうやしく三宝(さんぼう)の上にのせられてある。
「はッ」
と、伊那丸は突かれたように平伏した。
「密勅(みっちょく)です」
一学の声は、低いが、おごそかである。
伊那丸は夢かと思った。国なく、家なく、武力もない自分になんの密勅であろうか。彼は五体のおののくようにおそれ多さを感じた。
べつに一学に託されてきた菊亭晴季の書状からさきに黙読した。菊亭家と武田家は、深い血縁で結ばれた間柄です。
その晴季公から、一体どのような便りが届いたのか。伊那丸の胸は期待と不安で高鳴りました。
手紙を読み進めるうちに、伊那丸の瞳はみるみる涙でいっぱいになりました。
義憤と悔しさが入り混じり、頬を熱く火照らせます。
「伊那丸よ――」
菊亭晴季の手紙は、こう書き出されていました。
その文意を分かりやすく現代の言葉に直すと、このような愛国心あふれる長文でした。
「伊那丸よ。
都でも、近ごろはそなたの噂をしばしば耳にする。
勇ましいことだ。
けなげなことだ。
そなたはたとえ貧しくとも、信玄公の名を汚すようなことはしていない。
わしは、影ながら喜んでおる。
だが、そなたもはや元服を迎えた若者だ。
一人前の武士となるべき時である。
いつまでも小さな私怨にとらわれていることだけが、真の武士の道ではあるまい。
もっと広く、世の中を見渡してみるのだ。
この一年半という歳月で、そなたも今の世相をよく観察できたはずだ。
戦国という、この浮世はどうであったか。
とりわけ百姓や町人――いや、それよりもっと貧しい民たちの苦しみはいかばかりか。
また、そなたも知らないかもしれないが、畏れ多いことに、今の御所の様子は、その貧しい人々にも増して困窮している。
いや、自らのご不自由よりも、戦乱の世で飢え苦しむ民の身を案じ、心休まる時がないのだ。
わしは朝夕、御座の近くでお仕えしているので、目の当たりにするそのお悩みに、涙が絶えることはない。
畏れ多い噂だが、御所の御簾(みす)はほつれて秋風を防ぐこともできず、日々の食事さえ事欠くことが珍しくないのだ。
それだというのに、君は民草の塗炭の苦しみに心を痛めておられる。
なんと情けない戦乱の姿であろうか。
なぜ今の世はこれほどまでに荒れ果てているのか。
それをそなたに説くのは、まるで孟子に教えを説くようなものだが、これは武家の罪である。群雄が割拠して、領土を奪い合うこと以外を忘れている兵家(武士)の罪に他ならない。
秀吉、家康をはじめ、加賀の前田、毛利、伊達、上杉、北条、長曾我部、みなそれぞれ名高い武将ではあるが、かれらは自分の功を急ぐあまり、上も下も、何ものも顧みる余裕がない。
天下統一の先駆けと焦り、戦って勝つという信条の下には、どんな犠牲も惜しまない。
これでは民草が枯れ果てるのも道理だ。
お上が心を痛めておられるのも、もっともなことである。
気を悪くするかもしれないが、そなたの祖父・信玄ほどの人物も、その一人であったと言わねばなるまい。
伊那丸よ。
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