初級翻訳・神州天馬侠 第120話

吉川 英治

ですがおじさん、この広い原っぱは、いったい何という場所なんでしょうね」
と尋ねました。
「おまえ、そんなことも知らずに歩いているのか。子供というのは無知なものだなぁ。ここはおまえ、甲斐の武田信玄と家康さまが鎬(しのぎ)を削った有名な戦場、そう、三方ヶ原(みかたがはら)というところだ」
「あ、ここが三方ヶ原でございますか。なるほど、広いものですね。ところで、おじさんたちは徳川さまのご家来なんですか?」
「そうよ、おれたちは浜松城の足軽組だ」
「こんな時間から、あんな青竹や松明をたくさん車に積んで、いったいどこへ行かれるんですか?」
「おれたちか……」足軽は少し嫌な顔をして、
「これから都田川(みやこだがわ)の手前まで行って、夜通しで人の死に場所をこしらえに行くんだよ」
「へえ、人の死に場所を」
「うむ。つまり、刑場の支度に行くんだ」
「ああ、それで矢来(やらい)にする竹や丸太、獄門台を作る道具を担いで、みんながさっき向こうへ行ったんですね」
「そうだ。おまえもそんな怖い話を聞いてしまうと、ただでさえ寂しい三方ヶ原が、よけいに寂しくなって歩けなくなるぜ。だがまだ今のうちなら夕陽がキラキラしているからいい、早く急いで行くんだな」
クルリと振り返ると、先を行く仲間たちとはだいぶ距離が開いてしまったことに気づき、足軽の男は急に足早になって別れようとしました。
「あ、おじさん! もしもし!」
竹童は慌てて呼び止めましたが、特に理由もなかったので、とっさの機転で、
「腰の手拭いが落ちますよ!」
と言いました。
「ありがとう」
そう言って男がうっかり振り返った隙に、竹童はすかさず畳みかけるように尋ねました。
「あの、今おじさんが言った刑場で、いったい誰がいつ斬られることになるんですか?」
「よくいろんなことを聞きたがるな。子供のおまえに話しても仕方がないが……男なら一度は見ておくものだそうだから、あさっての夕方、都田川の竹矢来の外へ見に来な。この高札に書いてある通り、今度徳川さまの手で捕まった、武田伊那丸とその仲間二人がバッサリやられるのだから」
もううるさいと思ったのか、今度はそっけなく言い放ちました。
肩の高札を持ち直すと、振り返りもせずにスタスタと仲間たちを追いかけていきました。

五

別れた足軽の姿が半町(約50メートル)ほど遠ざかると、血の気が引いてその場に取り残された竹童は、
「ウウム……」
と髪を掴んだまま、よろよろと草の中に座り込み、
「た、大変だ……」
と体を震わせて悶え始めました。
「伊那丸さまが――あとの二人も……?」
大きく目を見開き、虚空を見つめましたが、
「こうしてはいられない!」
と、また狂ったように立ち上がりました。
いても立ってもいられない焦りです。その驚きと取り乱しぶりは、鞍馬の竹童として、かつてないほどのものでした。
飛び起きましたが、どの方向へ向かえばいいのか、迷いと苦悩が足取りを重くさせます。
「ああ、どうしたらいいんだろう」
三方ヶ原は果てしなく広く、そこにはただ、漂うように薄れていく夕陽の色があるばかりでした。「とにかく、小太郎山に残っている仲間たちへこの大事を知らせるのが一番良い方法だけれど、そんなことをしていたら四日も五日もかかってしまい、到底間に合わない。
ああ、どうしたらいいんだろう……」
竹童は歯を食いしばったまま、高鳴る胸を両手でギュッと抱きしめました。
「どうして、伊那丸さまが……おまけに龍太郎さまや忍剣さままで一緒なのに、あんなにあっさりと徳川家の手に捕まってしまわれたのだろう。
ああ、でも今はそんなことを考えている場合じゃない。
俺の頭の上に降りかかってきた使命は二つ――どうすれば早くこのことを小太郎山へ知らせられるか、そしてどうすれば伊那丸さまをお助けできるかだ! この二つこそが、今目の前にある大事なんだ」
自分自身に問いかけ、自分で答えては、あまりの窮地に頭も混乱し、ぼうぜんと腕組みをしたまま立ち尽くしてしまいました。
すると、野原のどこからか、「わーっ!」と元気の良い声が潮のように近づいてきたかと思うと、やがて青々とした草の波間から、同じくらいの年頃の少年たちが二十人ほど、真っ黒になって竹童の方へなだれ込んできました。
「や、なんだろう?」
ぼうぜんとしていた竹童は、その気配に顔を上げましたが、状況が飲み込めず、すぐに草の中に身を伏せました。
姿を隠して目だけをじっと向けていると、大勢の少年たちは皆、前髪を垂らし、とんぼ模様のついたお揃いの小袖と袴を身につけ、何か大きな動物に綱をつけて、その動物の力にワイワイと引きずられながらやってきます。
よく見ると、それはクロでした。竹童の愛鷲、あの大きな鷲です。
とんぼ模様の揃いの小袖を着ているところを見ると、これこそ浜松城で有名な「お小姓とんぼ組」の少年たちに違いありません。
そして、このとんぼ組のガキ大将と呼ばれているのは、結城秀康の子で家康の孫にあたる、徳川万千代です。
万千代は今もこのとんぼ組の小姓たちの先頭に立って、大鷲の背中に乗ろうとしては落ち、乗ろうとしては翼に叩かれて転げ回っています。
足に結びつけた綱にすがっている大勢の小姓や万千代も、手や足にすり傷を負って血だらけになっていますが、さすがは戦国の少年、三河武士の卵たちです。
あくまで鷲と力を競い合い、自由にさせまいと必死です。
竹童は、自分も忘れて草の中から立ち上がりました。

独楽だまし

一

草を揺らす風に薄く染まる夕日。
日が暮れるのも忘れて、三方ヶ原の奥へ奥へと、鷲に引きずられていくとんぼ組のお小姓たち。
鷲をおもちゃにしているのか、鷲におもちゃにされているのか。時折、逆に空へ吊り上げられそうになりながらも、なんとか一本杉の根っこに綱を巻きつけて食い止めると、
「あぁ、くたびれた」
と、ヘトヘトに疲れた声を揃えながら、
「休もう」
「休もう」
「休んでからまた飛ぼう!」
と、まるで自分たちも鷲と一緒に飛んできたかのような口ぶりで、なんとも無邪気なものです。
見れば皆、なつめのような瞳をした十二、三歳から十五歳くらいの少年たち。
浜松城のお小姓であれば、それなりの家柄の息子たちに違いありませんが、城下からこんなところまで鷲と取っ組み合ってきたのですからたまりません。とんぼ模様の揃いの小袖も、あちこち破れて泥だらけです。
中には手や頬をすりむいてザクロのように赤くなっている者、鼻血を出して押さえている者、髷に草の葉がついたまま困っている者、脇差の鞘だけ刺してすましている者。
――どれもこれも甲乙つけがたい腕白顔です。
きっと屋敷に帰った後には、お母様からお小言を食らうことでしょう。
「山の大将は俺ひとり」といった格好で、その中に混ざっている徳川万千代は、みんなと一緒に繋ぎ止めた大鷲を取り囲みながら、
「やあ、金色の瞳でギョロギョロとにらんでいるな。
怒るな怒るな、今に餌をやるからな。余一、余一、さっきの餌を持ってこい!」
と、鞭を上げて指図しました。
「はい」
と答えて、とんぼ組の中でも一番チビなお小姓の余一が、死んだ鶏を竹の先に引っ掛けて、万千代の手へ渡しました。

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