初級翻訳・神州天馬侠 第130話

吉川 英治

若侍たちは、その親子を容赦なく引きずり回し、大久保石見守が酒宴の真っ最中である庭先へと突き出しました。

「なんだ、その薄汚い人間は?」
石見守は、近習に酒を注がせながら、とろんとした眼で二人を見下ろしました。
若侍は膝をついて報告しました。
「こいつめ、たったいま城下の辻で、信玄の碑の前に供物を捧げながら、徳川家を悪しざまに呪っていたのです」
「斬ってしまえ」
石見守は酒を口に含みながら、あっさりと命じました。
「ついでに、あの信玄の石碑なども、堀の底へ投げ込んでしまえ。あんなものを辻に立てておくから、いつまでも百姓や町人どもが、旧主を忘れずに新しい領主を恨むのだ」
若侍は即座に刀を抜きました。石見守は盃を重ねることに夢中で見てさえいませんでしたが、背後でバサリという音がしたので庭先へ目を向けると、そこにはもう、百姓と娘の死骸が二つ、うつ伏せに転がっていました。

「殿さま!」
そこへ一人の小侍が、あわただしい足音を立てて、一通の早打状を差し出しました。立派な黒印が押されています。徳川家康からの書状でした。
「おっ、なんだろう?」
石見守も少し酒の気が冷めたのか、いそいそと封を切りました。しかし、その下にもさらに封印がしてあります。よほど重要なことなのだと察しました。
「おい、伊部熊蔵を呼べ。奥の鉱石庫にいるはずだ」
書状を巻き収めながらそう言う石見守の顔色は、尋常ではありませんでした。鉱山目付の伊部熊蔵が、奥から庭伝いに飛んできました。大久保石見は酒席に立ったまま、庭先にいる中戸川弥五郎という若侍に、
「その見苦しい百姓と娘の死骸を、早くどこかへ片付けろ」
と苦々しく命じると、
「おい熊蔵、向こうへ回れ。浜松からの早打状で、お前に申しつける急用ができた」
と、離れの部屋を顎でしゃくって、その中へ消え、密談を始めました。

それから半刻ほど経つと、伊部熊蔵が躑躅ヶ崎の館の外郭へ駆け出し、ピピピピと山笛を吹きました。鉱石庫の外や中で働いていた荒くれ男たちは、その笛の音を聞くと、持っていた槌や天秤を放り出し、わらわらと熊蔵のいる土手の下へ集まってきました。
「おい、すばらしい鉱脈が見つかったぞ」
熊蔵はそう言って、鉱山掘夫たちの顔をじろりと見渡しました。どれもこれも山男のようなたくましい筋肉と獰猛な形相をしており、尻端折りに結んだ三尺帯の腰には、一本ずつの山刀と、一本ずつの鉱石槌を差しています。鷲のくちばしのように鋭く曲がってキラキラと光る、鉱山特有の槌です。

「へえ」と、皆はバカにしたような面構えで、熊蔵の言葉を冷笑しました。
「どうして素人にそんなものが見つかるんで?」
「素人だと? ふふん、貴様たちのように銅脈ばかり探り当てる玄人とは違う。しかもこれは金鉱だ」
「ご冗談でしょう。めったやたらにそんな鉱山が見つかってたまるもんですか」
「いや、嘘ではない。すぐにこれから、その鉱山へ出立する」
「本当ですか? で、一体誰が見つけた山なんです?」
「浜松城のご主君、右少将家康様だ!」
「……?」
皆はあっけにとられてしまいました。家康公が鉱山掘りの玄人だなどとは、どうしても信じられないといった顔つきです。熊蔵は少し苛立って、山目付らしい威厳を見せました。
「これは家康公の直命に等しいのだ。鉱山へ行く途中で、嫌だの何だのと渋る奴は、容赦なく打ち斬るからそのつもりでいろ」
「へい」
「人数は?」
「六十人ばかりで……」
「よし、向こうへ行けば他にも人数がいるはずだから、これだけでいいだろう。五足ずつの草鞋と三日分の焼き米を腰につけて、すぐに西門の堀際へ集まり直せ!」

さて、躑躅ヶ崎の館を出た六十人の鉱山掘夫たちは、伊部熊蔵に率いられ、甲府の城下を西へ西へと進みました。龍王街道から釜無川を駆け渡り、やがて山地へと差し掛かりました。
「どこだい、ここは」
「御勅使川の裾じゃねえか」
「ふーむ、まだ山は浅いな」
「どうやら行く先は信濃か飛騨だぜ」
ドンドンドンドンと、彼らは駆けていきます。
「沢へ出たな」
「水浸しじゃ草鞋がたまらねえ」
「向こうの山は?」
「大唐松よ」
「峠へ来たな、どこだいここは」
「べらぼうめ、鉱山掘夫がいちいち山の名を尋ねるやつがあるか。トノコヤ峠、雨池の下り勾配、ヌックと向こうに立っているのが、甲斐・信濃・駿河の三国にまたがっている白根ヶ岳と鷲の巣山だ」
「だが、おい」
「なんだ」
「一体どこまで行くんだろう」
「さあ、そいつは俺にもわからねえ。先へ行くお目付の熊蔵さまに聞いてみろ」
「変だな、妙だな。だんだん鉱気のねえ山へ入っていくぜ。ぶつかるのは水脈ばかりだ」
しかり。鉱山掘夫六十人は、その時、野呂川の流れに沿って、上流へ上流へと足並みを揃えていたのでした。森々と深まる檜の沢を、タッタと揃った足音が響き、思わず足取りも軽くなる。
そう思った矢先、伊部熊蔵が「おい、止まれ」と後ろを振り返った。
六十人の額からは、ポッポと湯気が立ち上っている。
そこは、小太郎山のふもとであった。

山掘夫、山にからかわれる

一

「止まれ」
と言われた鉱山掘夫たちは、汗を拭いながら周囲を見回し、皆けげんな顔をして伊部熊蔵の差し図を疑った。
「馬鹿にしやがって!」と言わんばかりに、気の荒い山掘夫の一人が突っかかってきた。
「なんだ、雁六」
「ここは小太郎山じゃあねえんですか」
「そうだ、小太郎山の東麓だが、それがどうした」
「どうしたもこうしたもありません。冗談じゃねえ、いい加減にしてくだせえ」
小頭の雁六が腹を立てて岩に腰を下ろしてしまったので、あとに続く六十人の山掘夫たちも、皆ブツブツと小言をこぼしながら、ふて腐れて煙草を吸い始めた。
こんな日雇い稼ぎの連中に舐められていては、山目付という役目が務まるものかと、伊部熊蔵は額に青筋を立ててカンカンになり、
「こら! 山掘夫どもッ。
誰の許しを得て勝手に煙草休憩をするか。
躑躅ヶ崎(つつじがさき)を出た時から厳しく言いつけてある通り、拙者の命に背くことは大久保石見守(いわみのかみ)様の命に背くも同じこと。石見守様のお言いつけに背くことは、すなわち、家康公のご命令をないがしろにするも同様だぞッ」
そう怒鳴りながら、いきなり腰の刀を抜いて素振りをし、猛獣使いの鞭のように振り回した。
「言いつけを守って素直に働く者へは、後日、十分な褒美をやる。とやかく申す奴は斬り捨てるから、そう心得ろ」
「ですがお目付さま、いくら働けと言ったところで、こんな鉱気のねえクソ山を掘り返したところで、何になりましょう」
「いや、この山には金鉱の脈がある! すなわち家康公にとっての金脈があるのだ! これからそれを探しにかかるのだから、骨を折るがいい。
いまも言った通り、首尾よくいけば莫大なご褒美がある仕事だ」
「どうもさっぱり腑に落ちませんが、おそらく骨折り損のくたびれ儲けでございましょう」
「余計なことは言わんでもよい。

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