彼は城下の馬場の外れに立って、皿回しの大道芸人の口上を真似し、例の竹生島で菊村宮内からもらってきた水独楽の曲回しをやりだした。
不思議な独楽の乱舞を、かれの技術かと目を丸くする往来の人や暇人たちが、次々と銭や拍手を投げる。
――蛾次郎はそれをかき集めては、毎日、卜斎の家を留守にして、野天の芝居を見たり、買い食いに日を暮らしている。
今日も夕方が近づくのを待って、柳の辻の鳥居の下に立ち、「竹生島神伝の魔独楽(まごま)! 水を降らす雨乞独楽(あまごいごま)!」と叫んで声をからし、半時ほど人を集めて、「いざ小手調べは虹渡りの独楽! 見物人は傘のご用心!」とそんな口上を張り上げて、蛾次郎はいよいよ独楽回しの芸に取りかかろうとしていた。
と、その時。その群衆の中に立って、彼の様子をじっと見つめているふたりの浪人がいた。深い編笠で眉を隠した者と、その半身が影に隠れた者が混じっている。
なにかを囁き合い、薄ら笑いを浮かべているようだ。
するとまた、その背後に隠れていた六部(諸国を巡る僧)の指が、前の侍の背中を軽くつつき、振り返った顔と何やらひそひそと話をしている様子だった。
にわか仕込みの水独楽回しの太夫、さあ大変。独楽を回そうと威勢のいい口上を述べたのはいいが、ふと人だかりの中にいる浪人と六部の姿を見て、
「あッ! ……」
そう言ったきり足をすくませ、水独楽のことなどどこへやら、目をグルリと回して固まってしまった。
諏訪神さまの禁厭灸(まじないきゅう)
一
さて、いよいよ本番の芸に取りかかったところで、どうしたことか蛾次郎太夫。ふと妙なことが気にかかっていたせいか、いつもは見事に決める「水独楽虹渡り」の曲回しを、その日は三度も失敗してしまい、見物人たちからドッと嘲笑を浴びてしまった。
通力のある神伝の魔独楽のはずなのに。
「こんなはずはないぞ。こんなはずはないぞ」
と、蛾次郎はドギマギしながら、何度も口上をやり直しては独楽を空へ投げ上げた。しかし、水を降らせるどころか、回ることもなく、石のように曲芸とも呼べない姿で、ボカーンと自分の頭の上へ落ちてくるばかりだ。
だが、うまくいかなくても見物人たちはワイワイと言って面白がった。木戸銭を払っていない大道芸ということもあるだろうが、人間というものは、他人の成功よりも失敗を見る方を好む傾向を多分に持っている。
そして、それが群衆となると、いっそう露骨に、遠慮なく笑いが爆発してくるのだった。
「イヨーッ、また失敗したぞ!」
「やり直しの名人だ!」
「小僧、そのうちベソをかくぞ」
「どうしたんだい! 独楽回し!」
「目が回っているのか? あんまり騒ぐと泣き出すぜ」
「大将、しっかり頼むよ!」
当然、飛んでくるはずの野次が四方八方から蛾次郎を標的にして飛んでくるので、さすがに恥じらいというものを知らない蛾次郎も、すっかり参ってしまった。三度目の口上は、自分でも何を言っているのか分からないほど、カッと頭に血が上っていた。
しかし、こうなると彼も意地である。見物人たちをあっと驚嘆させてやらなければ気が済まない。第一、この水独楽が回らないという理屈はないのだ。
「そうだ、俺があいつらに気を取られて、びくびくしながら回しているから、本当の精気が独楽に乗り移らないんだ」
蛾次郎にしては、なかなか鋭いことに気がついた。
いかにも、その通りに違いなかった。彼はさっきから群衆の中に混じって自分を見ているふたりの人物が、気になって仕方がないのである。
「よし、今度こそは!」
と腹に力を込めて構え直し、蛾次郎太夫は邪念を払って独楽を持ち直すと、堂々とした態度で四度目の口上を述べた。
「エエ、エヘン」
見物人は「またか」とクスクス笑った。
「さて、最初の独楽しらべ、小手しらべとしまして、空回し三たび首尾よく相済みましたから、いよいよこれから本回しの初芸に取りかかります!」
「うまく逃げ口上を言いやがる」
「また四度目も小手しらべはごめんだぜ」
「早くやれ、文句を言わずに!」
第一印象が悪かったので、太夫の人気は散々である。
けれど蛾次郎は、ここで喝采を得て見物から銭を投げてもらわなければ、これまでの努力も水の泡になるし、帰りに空腹を抱えて戻らなければならないと思うと、自然と勇気が湧いてきた。四面楚歌の野次も馬の耳に念仏である。
「あいや、お立会いのみなさまの衆!」
と一段と声を張り上げて、
「芸は気合いもの、独楽は生き物! いくら回し手が名人でも、お葬式の饅頭にカラスが寄ってきたみたいにガアガア騒がれていてはやりきれない。先ほどから見物の中で俺のことを小僧小僧と言っているようだが、大人のくせにガアガア言う方がよっぽど見っともないや。今に俺の気合いが乗って、この水独楽がブンと唸るのを見てみろ。悪たれを言ったその口が曲がって、面目ないやと尻尾を巻いて逃げ出すだろうよ。オッといけない、首尾よく独楽が回ったからといって、逃げ出したりあっけにとられたりして、銭を投げるのを忘れてはいけないぜ。感心したものは遠慮なく一文でも二文でも投げるのさ。喜びを受けて報いることを知らざるは人間にあらず、馬なり、野次馬なり! さあさあ野次馬は後ろへ引っこんで、金持ちだけ前の方へ出てくださいよ。エエ、やり直しの魔独楽は天津風(あまつかぜ)吹き上げ回し、村雨下がりとなって虹渡りの曲独楽、首尾よく回りましたらご喝采!」
とうとうと無駄口をしゃべって大人の見物人を煙に巻いた蛾次郎は、そこで「ヤッ!」と気合いを入れると、右手の独楽を虚空へ高く投げ上げた。「うむ、うまくいったぞ」
蛾次郎も思わず自分自身でニヤリと笑った。
風を切ってまっすぐに手から放たれた独楽は、勢いよく空へ昇りきると、ビューッという鋭い音を立てて、見物人たちの頭上へ落ちてくるような勢いを見せた。
「おおっ?」
見物人たちは誰しもが思わずその動きに目を奪われ、空を見上げた。夕陽にキラキラと輝きながら回る独楽は、まるで星が降りてくるかのようだった。その金色の独楽の縁からは、雨か霧か、独楽の激しい回転とともにシューッと季節外れの通り雨のような水しぶきが舞い上がる。その細かい水粒と夕陽が交じり合い、口上の通り七、八尺(約二メートル強)もの見事な虹が空にいくつも架かった。独楽はそのまま、トーンと蛾次郎の足元へ落ちてピタリと静止した。
群衆は正直なもので、ドッと大きな拍手と歓声を送った。
回っているかどうかも分からないほど静かに地上の魔独楽を見つめ、人々はわれ先にと押し合った。蛾次郎は得意満面で独楽の心棒を人差し指の先にすくい上げると、ピョンと肩へ乗せた。かと思うと、今度は左の手から右の手へ、まるで衣をさばくような軽やかな手つきで独楽を操ってみせる。
見物たちはもう手を叩くことさえ忘れ、不思議な独楽の魅力にすっかり吸い込まれていた。
独楽は生き物のように蛾次郎の思い通りになり、指先を歩き、剣の刃を走り、胸や鼻を越え、背中を滑り、手玉に取られて回っていた。ところが、再び蛾次郎が「ヤッ!」と空へ高く飛ばしたとき――おお、どうしたことか。途中まで霧をまき散らしていたその水独楽は、彼の手元へは戻ってこず、忽然とどこかへ消えてしまったのだ。
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